月刊バスケットボール6月号

NBA

2020.07.28

【コービー・ブライアント追悼コラム】あの日から半年、そして一夜明けて

 2020年1月27日早朝、この日の衝撃はいまだに忘れることができません。昨日で丸半年が経過しましたが、それから一夜明けた今日、改めてあの出来事を振り返りたいと思います。

文・堀内涼

 

コービーという男を決して忘れないために…

 

 あの日、SNSのタイムラインにはひっきりなしに「1978-2020」という数字と共にコービー・ブライアントと娘のジアナの画像が流れてきました。『何のことだろう? また何かコービーがすごい賞を受賞したのだろうか? ジアナが何かの記録を作ったのだろうか?』。こんなことを考えながらスマホの画面をスクロールしていくと、あのヘリコプター事故について、そして、それによってコービーとジアナが亡くなったという内容の文面が目に飛び込んできました。

 

 NBAのOB、現役、コーチ、ほかにもさまざまな著名人や他競技のアスリートがコービーの死を悼む投稿をしていましたが、亡くなる6日前には長女ナタリアの誕生日を祝う投稿をインスタグラムで行っていましたし、前日には自身の通算得点を越えたレブロン・ジェームズへの祝福の投稿をしたばかりでした。そんな中で「コービーが亡くなった」などといきなり言われても簡単に信じることなどできません。結果、動揺と混乱をきたした私の脳が『このニュースは現実なのだ』と理解するのにはかなりの時間を要し、以降数日は何をやっても上の空、SNSを眺めてはコービーの映像を見漁っていました。

 

 そのときNBAではショットクロックバイオレーションや8秒バイオレーション、8番または24番を着けていた選手が次々に背番号を変更したりとコービーへの弔いの儀が行われ、レイカーズは事故直後の試合をキャンセルするという異例の事態も発生しました。これほどまでに大きな衝撃を与えたニュースは、この時点ではほかに思い付きません。コービーの現役時代をリアルタイムで観ていた方なら誰しもが彼への思い入れがあるはずです。コービーのショットで勝利を喜んだ記憶、逆に屈した記憶…。アンチが多いコービーではありましたが、彼は好き・嫌いという感情を超越した数少ない選手であったことは紛れも無い事実であり、だからこそ我々ファンを含むNBAファミリー全員が落胆し、悲しみに苛まれたのです。

 

 あれから早半年。この期間の中でバスケットボール界隈でも新型コロナウイルスの影響による世界各国のリーグの中断・中止、それを経てのNBA再開など実に様々な出来事がありました。コービーの死という衝撃的な出来事がそういったニュースに上書きされ、少しずつインパクトが薄れていったのは間違いありません。そしてそれが薄れていったのは悲しみや喪失感を時間が少しずつ溶かしていってくれたからです。

 

 それでも、ふとコービーの画像やハイライトを見るたびに、そのときの感情がフラッシュバックしてくるのです。涙すらも出ないあの感情は今まで経験し得ないものでした。情報社会の中で古いニュースは次々に上書きされ、人々の記憶から消えていくものです。それでも、忘れてはいけない、風化させてはいけないものも必ず存在します。コービー・ブライアントという男の存在はその一つです。だからこそ、このタイミングで改めてご冥福をお祈りいたします。

 

(月刊バスケットボール)



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