“ス―パースター漫画ヒストリーvol.13”大ケガを乗り越えた男、ポール・ジョージ
7月22日発売の最新号、『月刊バスケットボール9月号』のス―パースター漫画ヒストリー”第13弾は、大ケガからのカムバックを果たしたリーグ屈指の2ウェイプレーヤー、ポール・ジョージを紹介していく。
「ポール・ジョージ」その名がNBA界全体にとどろいた瞬間。それは2013年のイースト決勝(対ヒート)のゲーム2。レブロン・ジェームズを抜き去り、バードマンことクリス・アンダーセンの真上から豪快なトマホークダンクをたたき込んだあの瞬間ではないだろうか。それまでも質の高いディフェンダーでありスコアラーだったジョージだが、あの瞬間が彼のスーパースターキャリアの幕開けとなった。
そんなジョージの姉はNCAAのペパーダイン大でプレーした元バスケット選手で、身長も193cm。カリフォルニア州で生まれ育ったジョージは、地元レイカーズのコービー・ブライアントに憧れ、プレーグラウンドで姉とバスケットに明け暮れた。
高校、大学とステージが上がるごとにポテンシャルを開花させ、2010年のNBAドラフトでは全体10位指名を受ける。同期にはジョン・ウォール(ウィザーズ)やデマーカス・カズンズ(FA)らがいたが、とあるスカウトは「数年後にはジョージがこの組で最高の選手になる」と予想していたようで、それは現実のものとなった。
入団当初はダニー・グレンジャーのバックアップとして活躍していたジョージだが、グレンジャーの負傷離脱に伴ってスターターに定着すると、徐々にエーススポットを任されるようになり、オールスターにも選出。冒頭で述べたヒートとのシリーズで自身の地位を確固たるものとし、スーパースターの仲間入りを果たした。
しかし、悪夢が…。14年夏のアメリカ代表の練習試合でジョージは腓骨・脛骨の開放骨折というバスケットの歴史でも非常にまれでかつ深刻なケガを負ってしまう。選手生命の危機でもあったが、不屈の闘志でリハビリに専念したジョージ。その成果が身を結び、翌年15年にはコートに復帰。シリアスなケガからの復帰とは思えない劇的なカムバックでオールスターに返り咲いた。
その後はサンダーを経て、クリッパーズへ。カワイ・レナードとともにチームのけん引し、オーランドで開催されるシーズン再開に備えている。今回はそんなジョージの半生を振り返る!
詳しくは、月刊バスケットボール9月号へ!
http://shop.nbp.ne.jp/shopdetail/000000001587/
(月刊バスケットボール)