月刊バスケットボール1月号

“ス―パースター漫画ヒストリー特別版”NBA史を彩ったレジェンド、コービー・ブライアント

 2月25日発売の最新号、『月刊バスケットボール4月号』のス―パースター漫画ヒストリー”は特別版として、1月末にこの世を去ったコービー・ブライアント(元レイカーズ)のキャリアを振り返る。

 

 元NBA選手で、かつてはbjリーグの東京アパッチでヘッドコーチを務めたこともあるジョー・ブライアントと妻のパムのもとに生まれたコービーは、幼少期に父がイタリアリーグへ移籍したことで、一家でイタリアへ移住。バスケットにサッカーに夢中になった。

 

紆余曲折はあったにせよ、良き父であり、良き夫でもあった/Photo by Tomoaki Sasaki

 

 その後、帰国し、生まれ故郷近くのローワー・メリオン高へ進学。メキメキ頭角を現し、チームを州チャンピオンに導くなど、活躍を見せる過程で、すでにNBA選手と同等の実力を備えていた。

 

 前年にケビン・ガーネット(元ウルブズほか)が高卒でのNBA入りを果たしたことから、コービーも1996年のNBAドラフトにエントリー。ホーネッツに指名された後にトレードされたレイカーズは、コービーが幼少期に大ファンだったマジック・ジョンソンのいた名門球団。

 

通算で5度の優勝を果たした/Photo by Tomoaki Sasaki

 

 NBA入り以降数シーズンはリーグに順応することに苦労したものの、NBAの水に慣れるとシャキール・オニールと共にリーグを席巻し、3連覇。その後、オニールとは決別したものの、順調にスター街道を駆け上がったコービーは自身が中心となった09、10年にもNBAを連覇。名実共にリーグの顔として君臨した。

 

 14年のアキレス腱断裂以降は徐々に衰えを見せる中でも、若手の指導に情熱を燃やすようになったが、それでもチームの中心として活躍。伝説の60得点をたたき出し、現役生活にピリオドを打った。

 

 …引退から4年後の1月26日に信じがたい最期を迎えてしまったコービー。我々の胸に永遠に刻まれるスーパースターのキャリアを今月はお届けしよう。

 

(月刊バスケットボール)



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