月刊バスケットボール6月号

VOL.4 次世代を支えるべく新たなステップへ

目標を成し遂げ

13年間の現役生活にピリオド

――昨シーズンで引退を決断した理由は?

 オリンピック出場を夢としてプレーしてきて、2016年にリオデジャネイロ・オリンピックに出場することができました。当時はケガ明けだったので、正直あまり自信はなかったです。でも、いざやってみると通用する部分はたくさんあって、1試合1試合がすごく楽しく、充実した時間でした。チームの目標であったメダルには届かず、ベスト8でしたが、すごく達成感がありました。アメリカに敗れてオリンピックが終わったときに寂しかったのと同時に、「夢がかなった。次の目標はどうしよう」と考えました。4年後の東京オリンピックでこの達成感を超えることができるのか、これ以上のパフォーマンスができるのかと考えたときに、きっとそうではないと思ったんです。

 

司令塔として世界にその名を知らしめた

 

日本代表に関してはモチベーションの問題もありましたし、自分にとっては中途半端に関わってはいけない場所だと思っていました。オリンピック直後で4年後のことは考えられないだけなのかなとも思ったのですが、昨シーズン前にもピンとこなかったというか…。もちろんオリンピックに出たい気持ちはありました。自分が現役のうちに日本でオリンピックが開催されること、バスケットでオリンピックに2回も出場できる可能性があることも、そうそうないことだというのは分かっていました。ただ、気持ちが付いてこない以上、プレーできない。それに、若い選手にオリンピックを経験してもらいたい。これは私がリオを経験して強く感じたことです。人生の価値観が大きく変化したので、それを後輩たちにも味わってほしかったです。

 

 

長い間、吉田が背負った日の丸は未来ある若手に託された

 

――13年間、第一線を走ってきて今感じていることや、自分の中に残っていることは何ですか?

 仲間というのはすごく良いなと思いました。私は小学校の頃から引退するまで、周りの人にすごく恵まれていたなと感じています。JX−ENEOSは仲間のために頑張ろうというチームで、このチームを選んで良かったと思っています。ケガをして以降、考え方が変わりました。それ以前も仲間が大切だったことは変わらなかったですが、ケガをして自分がベンチで試合を見ることが増えました。

 

 

ベンチから見える景色が吉田の心境に変化をもたらした

 

 

若手にも積極的にアドバイスを送る

 

ケガをするまではなかなかないことだったので、ベンチでどう選手たちが一緒に戦ってくれているかということも、そこで見ることができたし、復帰して以降は仲間のためにも、という思いがより強くなりました。ケガをして良かったとは思わないですが、そこで得られたものもたくさんありました。

 



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