月刊バスケットボール5月号

VOL.2 プロ意識を持って貫いたJX-ENEOS時代

JOMOに入団(現JX-ENEOS)

“社会人として”プレーすることの意味を学ぶ

――高校卒業後にJOMO(現JX-ENEOS)に入団しました。

「自分の好きなことを仕事にしてお金をもらっている。土日にはJXを見たくてファンの方々がお金を払って試合に来てくれている。それで私たちは生活をしているからこそ、その試合では最高のパフォーマンスを発揮しなければいけない。手を抜くことは一切許されない」と説明されました。そこで社会人になったということを自覚しました。

 

内海知秀コーチには、プロとして戦うことを1から教えてもらった

 

(当初は)高校を卒業したばかりで、社会に出るといってもバスケットをしているだけだったので、あまり説明されたことの大切さというものを理解していなかったです。けれど、その説明を受けてからは学生ではない、今までと同じではいけないと思うようになりました。JXは社会人としてのマナーなどの部分に厳しいチームでした。挨拶はもちろん、生活していく上でのルールであったり。「常に見られているというプロ意識を持ってやっていかなければいけない」ということを教わって、育てていただきました。私にとってはとてもありがたいことでした。

 

 

――専用の練習場があったり、専属のトレーナーが付いたりと練習環境なども大きく変化しましたね。

 高校の頃もトレーナーはいましたが、そこまで専門的ではありませんでした。成徳はウエイトトレーニングのメニューはあまりなくて、週に1回やる程度です。それもあって、最初のうちはフィジカル面での差を感じましたね。先輩方は体も出来上がっていて、ぶつかり合いにも強かったので、すごく苦労しました。何とかしなければと。あとは1日バスケットをするという環境も初めてでした。これも慣れるのにすごく時間がかかりました。それに社会人1年生なので、仕事も覚えることがたくさんあって、すごく大変だったという記憶があります。

フィジカル面でとても苦労した入団当初。

先輩からいろんなことを吸収しようと一生懸命だった(背番号12吉田)



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