月刊バスケットボール5月号

今週の逸足『CONVERSE ERX-400 HI 』

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした一品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1988年に発売されたコンバースの『ERX-400 HI』。昨今、NBAとの関わりは決して強くはないが、往年の名プレーヤー、マジック・ジョンソンやラリー・バードとともに80年代後期から90年代半ばにかけて、NBAを象徴するシューズブランドとしてその地位を確立していたのだ。

CONVERSE ERX-400 HI

コンバース ERX-400 HI
 

文=岸田 林 Text by Rin Kishida

写真=山岡 邦彦 Photo by Kunihiko Yamaoka
 

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした一品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1988年に発売されたコンバースの『ERX-400 HI』。昨今、NBAとの関わりは決して強くはないが、往年の名プレーヤー、マジック・ジョンソンやラリー・バードとともに80年代後期から90年代半ばにかけて、NBAを象徴するシューズブランドとしてその地位を確立していたのだ。
 

 昨年秋のMLBワールドシリーズ第5戦の試合前、ドジャースタジアムの電光掲示板に意外な人物が登場した。ロサンゼルス・ドジャース対ボストン・レッドソックスで争われたこのシリーズを盛り上げるために一肌脱いだのは、ドジャースのオーナーでもあるマジック・ジョンソン(元レイカーズ)と、ボストンの英雄、ラリー・バード(元セルティックス)だ。ジャケット姿のバードがドジャースのTシャツを着たマジックに「Mr.ドジャース、いいTシャツだね」とトラッシュトークを繰り出せば、マジックも「君はバスケ選手、野球のことは知らないだろう?」と応戦。二人、そして二都市のライバル関係を活かした動画には、球場の野球ファンも大喜びだった。
 

 80年代のNBAレジェンドにして、現在レイカーズのバスケットボール部門社長を務めるマジック。日本風に言えば彼は今年「還暦」を迎えるが、そのエネルギッシュさとショーマンシップは現役時代と変わらないようだ。“本業”においても昨オフにレブロン・ジェームズ、ラジョン・ロンド(ともにレイカーズ)らの獲得に成功。その大胆なチーム改革はまだ道半ばのようで、シーズンに入っても大型トレードを画策していることが報じられている。

 マジックの活躍に刺激されたわけでもないだろうが、かつて彼が愛用していたシューズブランド、コンバースがここ最近、活発な動きを見せている。現在ナイキの傘下にあるコンバースは、昨年11月にケリー・ウーブレ(サンズ)とエンドースメント契約を締結。同社にとってNBA選手との契約はドウェイン・ウェイド(ヒート)の契約が終了した2008年以来のことだが、今回の契約は少々特殊なもので、ウーブレはコート上ではナイキのシューズを、試合前の私服シーンではコンバースのカジュアルシューズやアパレルを着用するのだという。この2月に日本で復刻される「ERX-400 HI」「アクセラレーター」といったレトロキックスも、そうした文脈の中でリリースされるアイテムだ。同社は現在、80年代後半~90年代前半のスポーツミックススタイルにインスパイアされたシューズ、アパレルを「エナジーウェーブ」コレクションとして、ストリートの若者に向けて積極的に提案している。
 

 「エナジーウェーブ」は、もともと1988年に発表されたコンバースのクッショニングシステムの名称だ。80年代後半、ナイキの「ビジブルエア」に対抗する形で、各社によるクッショニングシステムのアピール合戦が激化。各社が相次いで新技術を発表する中、コンバースは、独自の樹脂素材とプレートをミッドソールに組み込んだ機構を「エナジーウェーブ」と名付け、「ナイキエアよりも77%エネルギー効率がよく、EVAソールよりも長持ちする」とアピールした。その広告塔として起用されたのが、当時キャリアの絶頂にあったマジック・ジョンソンだった。

 長年コンバースの「プロスター」「ウェポン」などを着用し続けてきたマジックは1988-89シーズン、「エナジーウェーブ」を搭載した「ERX 400 HI」を履いて躍動。1試合平均22.5得点、12.8アシスト、7.9リバウンドの成績を残し、レギュラーシーズンMVPを獲得している。迎えた1988年のNBAファイナル、全盛期のマジックを擁するレイカーズをスウィープで退けたのが、“バッドボーイズ”ことピストンズだった。実はこのシリーズでマジックと相対したピストンズの司令塔アイザイア・トーマスもまた「エナジーウェーブ」搭載のコンバース「ERX 300」を着用。この年、コンバースと「エナジーウェーブ」は確かにNBAの頂点に君臨していた。
 

 バスケットボールという競技とともに成長してきたコンバースは、かねてより米国バスケットボール代表(USAB)にシューズを提供。加えて1985年にはNBAと、1990年にはFIBAとも公式シューズ契約を締結し、ブランドの地位を固めていた。だがマイケル・ジョーダン(元ブルズなど)とナイキのぼっ興により、時代の潮目は確実に変わりつつあった。NBAコミッショナーのデビッド・スターン(当時)は、リーグの人気を世界的なものにするため、1992年のバルセロナ五輪にプロ選手の派遣を決定。その過程で、ナイキやリーボックなどスター選手に多大な影響力を持つスポーツブランドに対しても協力を要請し、「コンバースをUSABの公式シューズとする現行の契約に変更はないが、出場選手にコンバースの着用を強制することはない」と約束。結果、ジョーダンをはじめ“ドリーム・チーム”の面々は、それぞれの契約ブランドが開発したオリンピックモデルのシューズを着用したが、ロスター12名のうちコンバースを着用したのは、大会直後に引退を表明するバードと、すでにHIV感染により現役を退いていたマジックの二人のみだった。そのマジックも、旧態依然とした当時のコンバースのマーケティングに不満を漏らし、大会後に同社との関係を終了。1996年の現役復帰時は自身が立ち上げたブランド「M.V.P.」でプレーした。 登場から30年、コンバースと「エナジーウェーブ」は戦いの場をNBAのコートからストリートへと変えた。それでも「ERX-400 HI」の80年代後半らしい無骨なシルエットは、往年のショーマンシップあふれるマジックのプレーを思い出させてくれる。
 

月刊バスケットボール2019年4月号掲載

◇一足は手に入れたい! プレミアムシューズ100選

http://shop.nbp.ne.jp/smartphone/detail.html?id=000000000593

(月刊バスケットボール)



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