月刊バスケットボール5月号

今週の逸足『NIKE SHOX BB4』

 バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、2000年のシドニー五輪でお披露目となった『ショックス BB4』。エアの代わりにバネが搭載されていたこと、それまでプーマともめていたヴィンス・カーターが着用したことでも注目を浴びたモデルだ。


 文=岸田 林 Text by Rin Kishida 

写真=石塚康隆 Photo by Yasutaka Ishizuka
 

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、2000年のシドニー五輪でお披露目となった『ショックス BB4』。エアの代わりにバネが搭載されていたこと、それまでプーマともめていたヴィンス・カーターが着用したことでも注目を浴びたモデルだ。
 

 2019年1月に42歳となるヴィンス・カーターが、キャリアで7チーム目となるアトランタ・ホークスと1年契約を結んだ。開幕ロスターに残ったのでNBA在籍21シーズン目。ケビン・ガーネット、ダーク・ノビツキー、ロバート・パリッシュ、ケビン・ウィリスに次いで史上5人目という快挙だ。
 

 すでにたびたびキャリアの終着点について示唆しているカーターは、先ごろESPNのインタビューでも改めて「今季終了後、90%以上の確率で引退すると思う」と言及。今季は若手中心のホークスに、プロとしての経験と生きざまを伝える1年となりそうだ。
 

 以前も本稿で触れた通り、カーターは1998年のドラフト指名直後にプーマと長期契約を締結している。プーマはさっそくカーターのルーキーシーズンにシグニチャーモデル『ヴィンザニティ』をリリースしたが、ほどなくカーターはシューズの履き心地や契約条件に不満を漏らすようになる。新人王を獲得し、2年目のシーズンが始まった1999年11月、カーター側は一方的にプーマとの契約終了をアナウンスするプレスリリースを配信。カーター側の言い分は、シューズが足に合わなかった、プーマ側がシグニチャーモデルの製作を約束どおりに実行しなかったといったもので、以降彼は、エンドースメント契約がないことを暗示する、ブラックやホワイトの各社シューズを試合ごとに履き替えてプレーするようになった。カーターが真っ赤なAND1の『タイチ』を着用して優勝した2000年のスラムダンクコンテストは多くのファンの目に焼き付いているが、これはまさにこの期間の出来事だった。

 とはいえプーマにとってはたまったものではない。すぐにプーマはカーターを契約違反で訴えた。裁判は和解で決着したが、カーターには1350万ドル(およそ15億円)の賠償金支払いが命じられ、「以後3年間はプーマ側の合意を得ずに競合メーカーと契約してはならない」という縛りもついた。ルーキーシーズンで自身の実力と価値を証明したカーターにとって、プーマとの契約はまさに“足かせ”となってしまった。
 

 この騒動の背景には、90年代末の世界的なスニーカー販売の低迷があった。一時のハイテクシューズブームの反動で、若者たちの間でティンバーランドやクラークスといったブランドに代表される“ブラウンシューズ”がトレンド化。『アドエイジ』誌によればナイキは1998年、アスリートとの契約金総額を約1億ドル(約100億円)近くカット。リーボックもシャキール・オニール(当時レイカーズ)との契約を予定より早く終了し、マーケティング投資をアレン・アイバーソン(当時シクサーズ)に絞り始めた。カーターがプーマと契約したタイミングは、いわばエンドースメント契約の“冬の時代”だったのだ。

 未契約のまま1999‐2000シーズンを通じてアンドワンの『タイチ』を多く着用したカーターだったが、シーズン終了後、事態が急展開する。この年の秋、バスケ米国男子代表に選出されたカーターの足元には、ナイキ『ショックスBB4』が輝いていたのだ。“シューズにバネがついていたら…”というアイデアを実現する研究は、ナイキによれば1984年頃から始まり、15年以上の紆余曲折を経てようやく実用化した技術だった。そしてナイキがこの次世代テクノロジーのお披露目の場として選んだのが、2000年のシドニー五輪。ナイキは五輪に合わせ、まず予選の段階からジェイソン・キッド、アラン・ヒューストンらに発売前の『ショックスBB4』を着用させた。さらに米国代表が決勝戦に進出するという前提で、金×ネイビーの特別カラーを準備。決勝戦の当日に自社サイトで500足の限定販売と、周到な計画を準備していた。だがこの計画に最後まで欠けていたピースが、文字通り『バネのように高く跳ぶアスリート』だった。
 

 水面下での交渉を経て、ナイキがカーターとの契約に成功したのは、シドニーでアメリカ代表が初戦を迎えるわずか2日前だったといわれる。その金額は3000万ドル/6年、実質的にはプーマへの賠償金をナイキが肩代わりするに等しい契約だった。こうして前述の2人に加え、アントニオ・マクダイス、シャリーフ・アブドゥル・ラヒム、そしてカーターの5人が、『ショックスBB4』の金×ネイビーを履いて金メダルを獲得した。ナイキ会長のフィル・ナイトが公式にカーターとの契約を認めたのは9月19日、五輪開幕から4日後のこと。カーターとナイキの契約は、この大会でのアメリカ代表の戦いぶりと同じく、薄氷を踏むような交渉だったようだ。
 

 以降カーターは、ショックスシリーズのメインキャラクターとして活躍し、現在に至るまでナイキとの関係を継続している。昨シーズン終盤には試作品と思しき『ショックスVC4』のレトロを履いていてプレーしたことが確認されている。またプレーオフではレブロン・ジェームズが『ショックスBB4』へのオマージュと思しきカラーリングの『レブロン15』を着用したことも話題となった。カーターの輝かしいキャリアを締めくくる準備は、すでに着々と進行しているようだ。
 

月刊バスケットボール2018年12月号掲載

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(月刊バスケットボール)



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