月刊バスケットボール7月号

Bリーグ

2026.06.23

引退の菊地祥平、古巣・川崎で指導者へ。「全てが報われる」日本一の景色を再び

始まりは24年前の夏。2mのツインズに挑んだサウスポー


2002年夏、茨城インターハイ。日本大山形高は1回戦で松商学園高を104-78で快勝すると、2回戦で浜松商高(112-90)、3回戦で霞ヶ浦高(86-64)、4回戦で弘前実高(96-71)と下してベスト8入りを果たした。迎えた準々決勝で対戦したのは竹内譲次・竹内公輔という2mツインズを擁する洛南高。その優勝候補に、日本大山形が、サウスポーエース、菊地祥平がどう挑むかに注目が集まった。

菊地のマッチアップには譲次が付き、1Qは無得点に抑えられたものの、マッチアップが変わった2Qからインサイドで存在感を発揮。後半には速攻などで必死にチームをけん引したものの、結果は58-98で洛南高に軍配が上がった。


日本大山形高ではスコアラーとして活躍

それから24年という歳月が流れた2026年5月29日。東京ガーデンシアターで開催された「B.LEAGUE AWARD SHOW 2025-26」のステージで、今季限りでの現役引退を発表した41歳、アルバルク東京の菊地祥平は、功労者表彰の壇上に立っていた。セレモニーの最中、スクリーンに映し出されたのは、日本代表やトヨタ自動車、アルバルク東京で共に戦い、2度のリーグ制覇を分かち合った譲次の姿だった。

「祥平と初めて会ったのは、23、4年前の全日本ジュニアの合宿だと思う」と振り返る譲次は、「(メールを送ったけど)返信がこなかったのをすごく覚えている」と笑うと、「山形弁が解読不能だった時期からお互い、年をとって、父親になって、子どもの話題とかしつつ、最終的に同じチームになって、引退を見届けることができて、すごく良かったなと、本当に思っています。祥平と達成した2回の優勝っていうのは、僕らの、今後の財産になっていくと思います」と旅立ちをねぎらった。


「B.LEAGUE AWARD SHOW 2025-26」では西村文男(千葉J)とともに功労賞を受賞。スピーチでも笑いを誘った



挫折の会社員時代を踏みとどまらせた「家族の言葉」


日本大でインカレを制し、東芝(現川崎ブレイブサンダース)へ入団した菊地は、当初はスコアラーとして期待されていた。しかし、午前中は社業、午後は練習という会社員生活の中で、なかなか結果が出せない苦しい時期が続いた。かつて月刊バスケットボールの取材に対して、「会社のために戦っているのに結果が出ず、バスケットとも向き合えないような時期も正直ありました」と、引退をも考えていた日々があったと明かしている。



日本大時代の菊地

そんな彼の背中を押したのは、いつも「本人が安心できる選択肢を」と見守り続けてくれた家族だった。「もう一回頑張りなよ」という温かい言葉に支えられ、菊地はプロとしてバスケのみに打ち込める環境を求め、トヨタ自動車(現A東京)への移籍を決断する。新天地で、当時のドナルド・ベックHCから与えられたのが「タフなディフェンダー」という新たな役割だった。ディフェンスを泥臭く徹底し、チームを勝たせるロールプレーヤーになること。自身の武器を再定義した菊地は、ここで眠っていた才能を完全に開花させた。そして2018年、キャリア11年目にして、Bリーグの表彰台の頂点に登り詰める。

アワード後のミックスゾーンで、菊地は「優勝したときのあの景色というのは忘れられない。今でも表彰台の上に登って、パーッとなったのはまだ覚えています」と、感慨深げに語った。「毎年の優勝クラブは簡単に挙げられるかもしれないけど、2位以下とは本当に全然違うものがある。優勝したら全てが報われるし、やっぱり優勝するしかないんだなと感じています」。



指導者としての第一歩は「始まりの地」川崎で


19年間のプロキャリアを走り抜き、コートを去る菊地だが、その第2のキャリアが早くも決定した。6月15日、川崎ブレイブサンダースは菊地と2026-27シーズンの「ディベロップメントサポートコーチ(DSC)」としての契約締結を発表した。

DSCは同シーズンより新設されたポジションで、主に選手個人のスキルアップや育成を専門に支える役割を担う。東芝(現川崎)で選手キャリアをスタートさせた菊地にとって、まさに始まりの地での指導者デビューとなる。「コーチとしての第一歩をプレーヤーとして初めて所属したブレイブサンダースで迎えられること、大変光栄です。サンダースファミリーの皆さんと共に最高の景色を見れるように精一杯HC、AC、選手のサポートをしていきたいと思っております」と、菊地はクラブを通じて熱い決意を明かした。

アワードの壇上では、長年戦い続けた同期の存在についても触れていた。
「同期がもう譲次と公輔しかいなくなってしまった。チームは違うんですけど、もう譲次・公輔をこれからずっと応援していこうと思います」と温かいエールを送りつつも、「コーチとしてやっぱりあの2人には負けたくないっていう気持ちもまたある。これからも竹内世代として恥じないような、ちょっと立場は変わるんですけど、バスケ界に貢献できるように頑張っていきたい」と意気込みを語った。

出番となれば、筋骨隆々の体でチームのためにプレーしていた菊地。コートを離れた今、やっと大好きと公言する生クリームがたくさん乗っているタルトケーキをたっぷり頬張っているかもしれない。

新天地での新たな役割はベンチから。かつて表彰台から見た「全てが報われるあの日本一の景色」を、今度は自身が育てた選手たちに見せるため、菊地祥平の第2章が幕を開ける。






文/広瀬俊夫(月刊バスケットボールWEB)

PICK UP

RELATED