震災から15年、バスケが灯す福島の希望——笠井康平選手・新川敬大選手が語る「プロの存在意義と未来への種まき」

笠井康平選手(写真左)と新川敬大選手(同右)
震災の記憶を力に変え、子どもたちとの交流を原動力に
東日本大震災から15年という節目を迎えた福島県。この地を本拠地とする福島ファイヤーボンズは、震災後に屋外で遊ぶことを制限された子どもたちのために設立されたバスケットボールスクールを原点として産声を上げたクラブです。年間を通じて地域との距離を縮め続ける選手たちが、コート外の活動を通じて何を感じ、どう日常のプレーへと還元しているのか。笠井康平選手と新川敬大選手にお話を伺いました。
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コート外の活動こそ、プロ選手の大きな役割(笠井選手)
楽しさから学ぶ防災と、県内全域への恩返し(新川選手)
――福島ファイヤーボンズは、震災をきっかけに誕生したバックグラウンドを持っています。プロ選手としてこの地で地域活動に携わることの意義を、どう受け止めていますか?
笠井)僕たちがプロ選手としてプレーできるのは、地域の方々の支えがあってこそです。だからこそ、バスケットボールというツールを使って皆さんに元気を届けることは、コート上で結果を出すことと同じくらい、僕たちの大きな役割の一つだと思っています。特に福島は、震災という未曾有の苦難を乗り越えてきた歴史があり、このクラブの存在そのものが復興というテーマと深く、そして強く結びついています。ただ試合をして勝つだけではなく、コート外の活動を通じて地域に活力を注ぎ込む。それが、この地でプロ選手として生きる存在意義だという覚悟を持って向き合っています。

プロ選手としてプレーできるのは、地域の方々の支えがあってこそと語る笠井選手
――新川選手はいかがですか?
新川)コート上で得た影響力や発信力は、決して自分のためだけにあるのではなく、福島の未来のために還元して初めて本当の価値を持つと考えています。被災地で、15年経った今も復興に向けて必死に生きている方々に、バスケットボールを通じて少しでも前を向くためのメッセージを届けること。それができて初めて、僕たちがここでプロとして存在する意味が示せるはずです。今の自分たちに何ができるのかを常に自問自答し、止まることなく具体的なアクションを起こしていきたいと思っています。

新川選手はコート上で得た影響力や発信力は、還元して初めて本当の価値を持つと考えている
――震災当時、笠井選手は高校生で、香川県にいらしたと伺いました。当時の記憶は、どのような形で胸に刻まれているのでしょうか。
笠井)当時は高校2年生でした。香川にいたので直接的な揺れは感じませんでしたが、練習が終わって携帯電話を開いた瞬間に初めて状況を知りました。東北の惨状を伝える映像を見た衝撃は脳裏に焼き付いて離れません。最初は映画か何かを見ているようで信じられませんでしたが、次第に「とんでもないことが起きている」と実感するようになりました。あの時、ただ画面を見つめることしかできなかった自分が今、福島のクラブの一員として活動できている。そこには言葉で表現しきれないほどの縁を感じますし、強い責任を感じずにはいられません。
――新川選手は、中学3年生で修学旅行中だったそうですね。
新川)はい。修学旅行中のバス移動の最中でした。高速道路が突如として通行止めになり、長時間バスの中で缶詰め状態になった時の不安感はよく覚えています。結局、修学旅行は中止になり、親が迎えに来られない生徒は現地に留まらざるを得ないという大パニックでした。あの混乱した空気感、大人たちが見せた不安の表情は、今でも鮮明な記憶として残っています。
――クラブでは、スポーツを通じて学ぶ「防災バスケ Assist Action」や、コミュニティ活動「スポコミュ」にも積極的に参加されています。
新川)「防災」という響きはどうしても堅苦しく、子どもたちにとっては「難しい勉強」と敬遠されがちなテーマです。でも、そこにバスケットボールという楽しさのエッセンスを掛け合わせることで、自然と興味を持ち、笑い合いながら学ぶことができるんです。僕自身、活動の一環で被災地を訪問し、実際に語り部の方々から当時の壮絶な体験を伺いました。その一つ一つの言葉の重みは、経験したことのない僕の心にも深く、重く突き刺さりました。スポーツには、そうした風化させてはならない重いテーマを共有し、次世代へパスしていくための架け橋になれる力があると感じています。子どもたちのハツラツとした表情を見ていると、スポーツが持つ可能性を感じますね。

渡邊翔太選手と一緒に防災バスケの参加者へワークブックを配布する新川選手

火災の際のアクションを実践する子どもたち

――笠井選手は「夢授業*」で中学校を訪問し、子どもたちに目標を持つことの尊さを伝えたと伺いました。
笠井)子どもたちは本当に純粋で、目を輝かせながら前のめりに僕らの言葉を聞いてくれます。最近はチームの認知度も上がってきていて、「この前の試合、アリーナに見に行ったよ!」「次の試合も絶対に勝ってね!」と声援をくれる子がすごく増えました。何気ない言葉を交わす中で、実は僕らの方が彼らから計り知れないエネルギーをもらっています。もっと頑張らなければいけないな、と会うたびに身が引き締まりますね。
*=様々な職業に就く大人が学校や地域を訪れ、子どもたちに仕事のやりがいや楽しさ、夢を持つことの大切さを伝えるキャリア教育プログラム

「夢授業」の様子、笠井選手が子どもたちに話しかける

「夢授業」より、子どもたちと触れ合い、自然と笑顔に
――ゴールを寄贈する活動などにも参加されていますが、福島という地域に少しずつバスケットボールが溶け込んでいる実感はありますか?
笠井)確実に浸透してきていると感じます。リング寄贈の場などで直接触れ合う機会もありますし、特に今シーズンはチームの成績が好調なことも相まって、アリーナの熱狂がそのまま街全体に波及しているような感覚があります。プライベートで外を歩いていても、近所の方から「試合、最高に楽しかったよ」と声をかけていただけることもあります。プロに入る前はここまで地域と密接に関われるとは思っていませんでしたし、福島の人々の温かさと優しさに日々支えられていると強く実感しています。


――今後に向けてやってみたいことや目標があったら教えてください。
新川)実は今、チームのGMにも相談している段階なのですが、いつか県内全域のミニバスを対象に無償のクリニックを実現したいという夢があります。静岡でチームメイトだった岡田雄三選手(現富山)が静岡県下の子どもたちにクリニックを開催しているのを見ていたのですが、「これこそ、被災地である福島の子どもたちに絶対に必要なことだ」と思ったんです。この福島という地に、何か形に残る恩返しがしたい。直接ボールを触りながら子どもたちにバスケットボールの魅力を伝える。それが目標です。


B.Hopeとクラブの連携プロジェクト「SMILE HOOP」で地域の子どもたちの居場所に訪問し、ミニゴールの寄贈や運動プログラブを実施した新川選手
笠井)福島ファイヤーボンズは僕が所属してきたクラブの中で、クリニックや学校訪問の活動数が断トツに多いクラブだと感じています。だからこそ、その一つ一つの活動で子どもたちとしっかり接しながら「カッコいいな」と憧れてもらえるように、活動自体を全力でやり切ることが何より大事だと思っています。今のクラブ全体での活動をしっかりと続けていきたいです。
――福島は“恩返し”をしたい場所なんですね。
新川)そうですね。試合会場には小さなお子さんからお年寄りまで、本当に幅広い世代の方々が足を運んで声援を送ってくれます。皆さんの「頑張れ!」という声に、いつも温かさを感じています。自分たちのプレーや日々の活動が、少しでも福島の皆さんの活力につながっていると感じられるのは、プロ選手として本当にうれしい瞬間です。皆さんの応援や笑顔が、僕たちがコートで戦い続ける大きな原動力になっています。
取材協力:Bリーグ
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文/広瀬俊夫(月刊バスケットボールWEB)









