月刊バスケットボール10月号

Bリーグ

2026.05.13

「誇れる福島」のシンボルへ。西田創社長と渡邉拓馬GMが語る、震災復興から15年目の使命と未来

震災から生まれたクラブが目指す、日本一「地域と距離が近い」存在


2011年の東日本大震災。屋外で遊ぶことを制限された子どもたちのために立ち上げられたバスケ教室。そこを原点として産声を上げたのが、福島ファイヤーボンズです。「地域のため」という理念を宿して誕生したこのクラブは、震災から15年という節目を迎え、転換点に立っています。経営のアプローチと現場の熱量を掛け合わせることで、地域を牽引する存在へと着実に進化を遂げようとしています。この両輪を担っているのが、ラグビー界から転身し地域アクションを主導する西田創代表取締役社長と、福島出身で現場の舵を握る渡邉拓馬GMです。異なる背景を持つ二人のリーダーが語る現在地に迫りました。

――西田社長はラグビー界からの転身ですが、企業スポーツと福島ファイヤーボンズの成り立ちの違いはどう感じましたか。

西田)企業スポーツの場合、“会社のために”が起点であり、その延長で地域へ普及していくのに対し、このクラブは明確に“地域のために”存在するという絶対的な理由を持っています。私がかつて在籍していたラグビー界には大きな母体企業がありましたが、このクラブにはそれがなく、知名度もゼロからのスタートでした。だからこそ、まずは地域に必要とされる存在にならなければならなかったわけです。


郡山市内の小学6年生を対象にした『福島ファイヤーボンズ算数ドリル』の寄贈式で小学校を訪れる西田創社長

――社長に就任されてから、対外的に発信するメッセージを変えたと伺いました。

西田)はい。就任当初は、対外的なメッセージが依然として「復興のために応援してください」というお願いベースに留まっていました。そこで私は「私たちがこの地域を前へ引っ張り、活力を与えていく存在になる」という前向きなニュアンスへと転換しました。その具体的なアクションとしてSDGs活動「BONDs PASS」を立ち上げ、ビジョンとミッションを再定義しています。


 
――「地域を引っ張る」アプローチとして、昨季の地域活動は550回を超えています。特に学校訪問が突出していますね。

西田)まず我々は「日本一、地域アクションをやり切るクラブ」であると宣言し、「コミュニティ営業部」という専用部隊を置いて活動を続けています。週末にアリーナでプレーしていたプロ選手が、実際に自分の学校に来てくれる。やはり子どもたちの目の輝きがはっきりと変わるんです。それはクラブにとって何よりのエネルギーになります。




福島市内の小中学校へ訪問し、バスケットボールクリニックを行った米山ジャバ偉生選手


小川翔矢選手・大久保友貴選手(右)


会津市内の幼稚園を訪れたパトリック・ガードナー選手


郡山市の保育所を訪れた西田創社長

――地道な活動は、クラブの集客やコミュニティにも具体的な変化をもたらしていますか。

西田)活動を続けることで、今季は平均4,239(2026年4月19日現在)の来場者数人を記録しています。また、子どもたちや、昔スクールに参加していた中高生が足を運んでくれるようになってきています。子どもたちの笑顔が見たくて愚直に続けてきた活動が、ここへ来て目に見える好循環になりつつあると分析しています。

――渡邉GMは地元出身ですから、15年という月日をまた違った視点で見てきたと思います。現状の復興のリアルをどう捉えていますか。

渡邉)引退後、クリニック等で被災地を回ってきました。震災で被害を受けた町に建物が再び建ち、一見は復興が進んでいるようにも感じます。それでも、住む方々の深い傷は癒えていないと肌で感じます。


南会津の小中学生を対象にクリニックを実施した渡邉拓馬GM

――チームとして定期的に「東日本大震災・原子力災害伝承館」を視察されていますね。

渡邉)はい。特に新しく来た選手やスタッフには、このクラブができた経緯を理解してもらうよう伝承館を訪れています。外国籍選手やコーチ陣も、展示物を見つめながら福島の歴史を真剣に学ぼうという姿勢があります。私自身も訪問すると込み上げるものがあります。B.PREMIER参入を目指して頑張っているわけですが、それ以前に被災された方に何かを感じ取ってもらえるような「魂のこもった試合」を見せることが我々の永遠のテーマだと選手たちにも伝えています。


東日本大震災・原子力災害伝承館と浜通りの被災地を訪問した際の様子(Youtube▲)
 


――渡邉GMご自身も被災地での活動を続けてこられました。現場で直接子どもたちと触れ合う中で、特に印象に残っている出来事はありますか。

渡邉)浪江町でクリニックをした際、1対1のトーナメント戦をやったんです。その際、決勝まで勝ち残ったご兄弟が、本当に楽しそうないい笑顔でプレーしていたんですよ。実はその二人は津波でご両親を亡くされていて、見守っていたスタッフが「あんな笑顔は久しぶりに見ました」と教えてくれました。辛い経験をした子どもたちが、バスケットボールに触れている瞬間だけでも厳しい現実を忘れる場になるというバスケットボールの力を感じた場面でもあります。

――プロスポーツチームが日常にあることで、前向きなきっかけやエネルギーにつながるということですね。

渡邉)はい。個人で全国を回っていた際に、古い指導法や厳しい言葉を理由にバスケットボールを嫌いになってしまう子どもが少なくないと知りました。子どもたちが本当に好きなことを続けるには、まず大人が適切な環境を作り、多くの選択肢を提供しなければならないと学んだのです。GMとして、このアリーナという場が「将来選手になりたい」「運営スタッフになりたい」「全く別の仕事で頑張りたい」など、未来に繋がるポジティブなきっかけを見つける場所であってほしいんです。好きなものを見つけることができるなら、自分から努力できるはず。ですから、私たちはその選択肢となる上質なきっかけを提供しなければならないと考えています。


B.Hopeとクラブの連携プロジェクト「ON the Court!」では郡山市の「ひろえ塾」の児童生徒を対象にアリーナでの職業体験を行った


B.Hopeとクラブの連携プロジェクト「ON the Court!」では郡山市の「ひろえ塾」の児童生徒を対象にアリーナでの職業体験を行った

――クラブが果たすべきビジョンにもつながりますね。

渡邉)そうですね。私の究極の目標は、このクラブ、福島から日本代表選手が生まれることです。実は現在、このクラブのスクール、U15でバスケットボール教わっていた選手(#2菅野陸/山梨学院大2年)が成長し、特別指定選手として戻ってきてくれています(※)。そういった形で15年前の悲劇から立ち上がったクラブが日本代表選手を輩出することになれば、世界への最高のアピールになるはずです。もちろん、私たちと出会った子どもたちがスタッフや選手としてクラブに帰ってきてくれる光景をもっと見たいですね。非常に時間がかかる挑戦ですが、福島の未来に寄り添い続けていきたいです。※インタビュー当時2026年3月


菅野陸選手

――ありがとうございます。そのための場所となる「宝来屋・ボンズアリーナ」は、大規模改修を経て昨年4月にリニューアルオープンしました。社会的責任活動という面でも大きなプラスではないでしょうか?

西田)おっしゃる通りです。最終的なゴールとなると、やはり我々のミッションである「誇れる福島をつくる」こと。そして、ビジョンである「福島のシンボルになる」ことです。改修されたアリーナを起点にして、福島のシンボルになることが達成できれば、おそらく誇れる福島という理想の一つの到達点になるのだと思います。

――地域を元気にする「シビックプライド(都市に対する市民の誇り)」のような存在になるということですね。

西田)そうです。私は福島というのは地方の中でも数少ない「世界への発信ポテンシャル」を持っているエリアだと思っています。2011年にあのような出来事があったからこそ、福島は世界から注目されることになりました。ネガティブなイメージが付き纏う事実ですが、我々のクラブはそこから立ち上がるために生まれたというのもまた事実です。

このクラブが、震災から20年、30年経った時にどうなっているか。渡邉GMも語ったように、活動を通して出会った子どもがスクール生として育ち、そこから日本代表選手になるような未来が来れば、福島が力強く立ち上がった姿を世界へ向けて発信できる。そんな無限の可能性を本気で抱いています。


©B.LEAGUE

次回は笠井選手・新川選手のインタビューをお届けします。

取材協力:Bリーグ

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文/広瀬俊夫(月刊バスケットボールWEB)

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