月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2026.04.17

教員からプロへ——レフェリー市川雄介氏が大切にする「向かい風」という言葉

義務感から始まった審判活動と、他者の熱にあてられた日々


2025年7月、日本バスケットボール協会は新たに4名のJBA公認プロフェッショナルレフェリーを認定したと発表した。国内外の知見を国内の審判技術向上に還元し、Bリーグとともに審判員の標準化を進めることが目的である。その4名の中に、同年3月まで広島県で中学校の教壇に立っていた市川雄介氏の名前があった。

1988年広島県生まれ。小学4年生からバスケを始め、鹿屋体育大まで懸命にバスケに打ち込んだ一人の選手だった。初めてレフェリーを学んだのは大学の授業だったが、当時は競技に集中するあまり、地域の大会で笛を吹く機会にも気が進まず、嫌々ながらこなしていたと振り返る。

人生のベクトルが変わったのは、大学卒業後に故郷の広島市で中学校教員となり、女子バスケ部の顧問を任されてからだ。自身のチームの地区大会で他校の試合を裁く際、熱心に指導する指導者や選手たちの熱意に直面した。「その熱意に応え、失礼のないよう真剣に取り組まなければならない」。その誠実な姿勢が、市川氏を審判の世界へと深く引き込んでいった。

その後は広島県協会の支援を受けながら、U15から社会人まで様々なカテゴリーを担当。2014年にB級ライセンスを取得すると、中国ブロックや全国規模の大会で県外の上位ライセンス保持者たちと交流を深め、より高いレベルへの挑戦を決意する。関東や関西のタフな大学リーグの試合に自費で通い詰めて準備を重ね、2019年にS級審判員に合格。Bリーグのコートに立つ資格を手に入れた。



向かい風の中で下した「プロ」という決断


Bリーグでの活動を開始すると、これまでにないスピードとパワー、そして激しいファンの熱狂が市川氏を包み込んだ。充実感を得る一方で、自身の些細なミスが試合を壊してしまうのではないかという恐怖と常に隣り合わせの環境でもあった。「だからこそ、チームのスカウティングやルールの確認など、準備を怠ることは一度もなかった」と市川氏は徹底した事前準備の重要性を語っている。

2023年には、フィジカル強化や英語学習に2年間取り組み、一度の不合格を乗り越えてFIBAレフェリーにも認定された。しかし、教員との“二足のわらじ”を続ける中で、市川氏の中に一つの葛藤が生まれていた。
「教員という仕事も夢の一つでしたが、プロのコートに立つからには、プロの方々に失礼のないよう万全の準備をしなければなりません。仕事と両立していると、自分が満足できる準備時間を確保できず、もどかしい日々が続いていました」。

その葛藤に終止符を打ち、最大限の準備をして試合に臨むため、14年間勤めた教員を辞してプロフェッショナルレフェリーとなる決断を下したのだ。

市川氏には教員時代から大切にしている「向かい風」という言葉がある。「飛行機は向かい風を使って高く飛び立ちます。しんどい時や怖いと感じた時、それは自分がより高く飛ぶための向かい風なのだと捉え、逃げずに一歩踏み出すことを心がけています」。教員を辞して挑む厳しい世界も、市川氏にとっては自身を押し上げるための風に過ぎない。


教員時代から「向かい風」という言葉を大切にしているという市川氏



「自動ドア」のように試合を進めるレフェリーの哲学


プロとして迎えた現在、市川氏が最も気を配っているのはコンディショニングだ。常に一定のパフォーマンスを発揮するため、普段と同じ状態を作ることを重視している。インタビュー当日に行われた研修でも、食事のタイミングが体に与える消化の影響について知識をアップデートし、自身のトレーニング理論を確信に変えていた。

Bリーグという熱狂の空間で、どんな反応があろうとも哲学は揺るがない。
「自分がコートに立って判定しているという感覚よりも、素晴らしいバスケットボールの試合の一部として、客観的に担うべき役割を果たしたいと考えています。自動ドアが普通に開き、電気が普通につくように、当たり前に決められたことを遂行する。何も変化がないことこそが理想です」。
あくまで主役は選手でありチーム。レフェリーが目立つことなく、観客が試合にのめり込んで楽しめる状況を作り出すことが自身の仕事というわけだ。

「周りの人に失礼がないよう、誠実に応えたい」
その思いは、中学校の部活動で笛を吹いたあの頃から何一つ変わっていない。全国にバスケの熱狂が広がるなか、向かい風を揚力に変えるその歩みは、これからもコートの上の“当たり前”を支え続けていく。


当たり前に決められたことを遂行する——それが理想





文/広瀬俊夫(月刊バスケットボールWEB)

PICK UP

RELATED