細川一輝、水野幹太の15年前の記憶──「そんなに経ってないように感じながらも、 15年も経ったのかと思いながら…」

2025-26シーズンはFIBAブレイクが明けていよいよ終盤戦に突入した。
チャンピオンシップを争うチームはそこを目指してのラストスパート、その望みが薄いチームはシーズンをどう締めくくり、来季につなげるかを考え始める時期だ。
第25節の群馬クレインサンダーズと川崎ブレイブサンダースは群馬が前者、川崎が後者の立場にある。この試合前の時点で群馬は25勝16敗の東地区5位、川崎は10勝31敗で同12位だった。
試合は1Qから群馬がペイントを力強く攻め立て、アウトサイドからも面白いようにシュートが決まって37-10のビッグランを展開。2Q中盤には50-15とこの試合最大の35点差が付いた。
以降、ディフェンスの強度を強め、3ガードラインナップを敷いた川崎に翻弄される場面もあったが、最後は89-76で余裕を持って勝利。この結果を持って現在ワイルドカード5位と、2ゲーム差で同4位の琉球ゴールデンキングスを追っている。

群馬はケリー・ブラックシアー・ジュニアの17得点を筆頭に8人が5得点以上(うち4人が2桁得点)を記録するバランスの取れたオフェンスを展開したが、中でも川崎にとってダメージの大きい3Pシュートを決め続けたのが、細川一輝。この日決め切った5本の3Pシュートは今季最多タイだった。
細川は試合後、「やっぱり普通にバスケができているのはなかなかないこと。できていることに感謝してプレーしようと思って、今日は試合に臨みました」と話した。
3月11日──この試合があった日の15年前、細川の出身地である岩手県は東日本大震災によって大きな被害を受けた。幸いにも、彼の地元・雫石町は比較的内陸だったため、津波の被害などは受けなかった。
当時の細川は中学1年生で、「体育館で3年生の卒業式の準備をしていたときに、地震が来た」という。
当然、停電などのインフラ被害もあり、生活には苦労した。当時の記憶は鮮明で、「今でも地震があったり、津波警報が出たりするとそれを思い出しますし、やっぱり来ないでほしいと思います。地震があったときはこまめに両親と連絡を取っていて、『大丈夫か?』と聞いて、『大丈夫』と連絡が来たら、『良かった…』と思いながら過ごしています」と話す。
「本当に地元が好き」だと話す細川にとって、この日の自身の活躍は、地元に捧げるものだったのかもしれない。
「やっぱり、もう 15年かと思いますね。そんなに経ってないように感じながらも、 15年も経ったのかと思いながら…」

もう一人、震災を間近で経験した選手がいた。川崎の水野幹太(福島県福島市出身)だ。この試合はケガのため欠場した水野だが、彼もまた、3月11日に特別な思いを馳せる選手の一人。
「あの日は忘れられない」。こう切り出し、水野は続けた。「当時は小学6年生で、卒業式の練習などをしていた時期でした。だからすごく鮮明に覚えているんです。あれから15年が経った今でも、やっぱりあのときの記憶はあります。今、こうやってバスケができていることに感謝の気持ちがありますし、その中で一番強く思うのは、福島の人のためにも自分が活躍して名を上げたいということです。頑張っている姿を見せるのが、自分の仕事だという思いがあります。15年は本当にあっという間でしたが、1年ごとに『また 3.11か』と振り返っています」
水野の地元・福島県福島市も内陸で、津波の被害はなかった。だが、「地震の影響で水が出ない、電気つかない、家が崩れている…そんな光景が当たり前かのように広がっていたし、道路が陥没していたり、そこに車が突っ込んでいたり、校舎や建物に亀裂が入っていたり…そういう光景は鮮明に覚えています」
彼はプロキャリアの最初の2シーズンを含む、計3シーズンを地元の福島ファイヤーボンズで過ごしている。クラブ自体も、2013年5月に「福島を元気に」という旗印のもと、地域復興を一つのテーマに立ち上がった。そのいきさつは水野ももちろん知っている。
彼にとっては、今でもやはり特別なクラブであり「最初は数百人くらいの観客数から始まって、今年は平均4000人ほど入っていると聞きました。僕がボンズにいた頃にも経験したことがない数です。福島がバスケが盛り上がっているのはすごくうれしいし、15年経って、福島県自体も成長して、毎日前に進んでいるなと感じます」と水野。
3.11という特別な日に、細川と水野の2人はあの日の記憶を振り返ってくれた。
あるいは、彼らにとっては言葉にして振り返りたくもない記憶だったかもしれない。そうであったとしたら、それを振り返ってくれたことにまず感謝したい。
15年も経てば、多くの人々にとってあの惨劇は過去のこととなり、他の事象に上書きされていっている。ただ、当事者にとっては一生消えない、風化させたくない記憶である。
チャンピオンシップを争うチームはそこを目指してのラストスパート、その望みが薄いチームはシーズンをどう締めくくり、来季につなげるかを考え始める時期だ。
第25節の群馬クレインサンダーズと川崎ブレイブサンダースは群馬が前者、川崎が後者の立場にある。この試合前の時点で群馬は25勝16敗の東地区5位、川崎は10勝31敗で同12位だった。
試合は1Qから群馬がペイントを力強く攻め立て、アウトサイドからも面白いようにシュートが決まって37-10のビッグランを展開。2Q中盤には50-15とこの試合最大の35点差が付いた。
以降、ディフェンスの強度を強め、3ガードラインナップを敷いた川崎に翻弄される場面もあったが、最後は89-76で余裕を持って勝利。この結果を持って現在ワイルドカード5位と、2ゲーム差で同4位の琉球ゴールデンキングスを追っている。

バスケができていることに感謝して…
群馬はケリー・ブラックシアー・ジュニアの17得点を筆頭に8人が5得点以上(うち4人が2桁得点)を記録するバランスの取れたオフェンスを展開したが、中でも川崎にとってダメージの大きい3Pシュートを決め続けたのが、細川一輝。この日決め切った5本の3Pシュートは今季最多タイだった。
細川は試合後、「やっぱり普通にバスケができているのはなかなかないこと。できていることに感謝してプレーしようと思って、今日は試合に臨みました」と話した。
3月11日──この試合があった日の15年前、細川の出身地である岩手県は東日本大震災によって大きな被害を受けた。幸いにも、彼の地元・雫石町は比較的内陸だったため、津波の被害などは受けなかった。
当時の細川は中学1年生で、「体育館で3年生の卒業式の準備をしていたときに、地震が来た」という。
当然、停電などのインフラ被害もあり、生活には苦労した。当時の記憶は鮮明で、「今でも地震があったり、津波警報が出たりするとそれを思い出しますし、やっぱり来ないでほしいと思います。地震があったときはこまめに両親と連絡を取っていて、『大丈夫か?』と聞いて、『大丈夫』と連絡が来たら、『良かった…』と思いながら過ごしています」と話す。
「本当に地元が好き」だと話す細川にとって、この日の自身の活躍は、地元に捧げるものだったのかもしれない。
「やっぱり、もう 15年かと思いますね。そんなに経ってないように感じながらも、 15年も経ったのかと思いながら…」

「1年ごとに『また3.11か』と振り返る」
もう一人、震災を間近で経験した選手がいた。川崎の水野幹太(福島県福島市出身)だ。この試合はケガのため欠場した水野だが、彼もまた、3月11日に特別な思いを馳せる選手の一人。
「あの日は忘れられない」。こう切り出し、水野は続けた。「当時は小学6年生で、卒業式の練習などをしていた時期でした。だからすごく鮮明に覚えているんです。あれから15年が経った今でも、やっぱりあのときの記憶はあります。今、こうやってバスケができていることに感謝の気持ちがありますし、その中で一番強く思うのは、福島の人のためにも自分が活躍して名を上げたいということです。頑張っている姿を見せるのが、自分の仕事だという思いがあります。15年は本当にあっという間でしたが、1年ごとに『また 3.11か』と振り返っています」
水野の地元・福島県福島市も内陸で、津波の被害はなかった。だが、「地震の影響で水が出ない、電気つかない、家が崩れている…そんな光景が当たり前かのように広がっていたし、道路が陥没していたり、そこに車が突っ込んでいたり、校舎や建物に亀裂が入っていたり…そういう光景は鮮明に覚えています」
彼はプロキャリアの最初の2シーズンを含む、計3シーズンを地元の福島ファイヤーボンズで過ごしている。クラブ自体も、2013年5月に「福島を元気に」という旗印のもと、地域復興を一つのテーマに立ち上がった。そのいきさつは水野ももちろん知っている。
彼にとっては、今でもやはり特別なクラブであり「最初は数百人くらいの観客数から始まって、今年は平均4000人ほど入っていると聞きました。僕がボンズにいた頃にも経験したことがない数です。福島がバスケが盛り上がっているのはすごくうれしいし、15年経って、福島県自体も成長して、毎日前に進んでいるなと感じます」と水野。
3.11という特別な日に、細川と水野の2人はあの日の記憶を振り返ってくれた。
あるいは、彼らにとっては言葉にして振り返りたくもない記憶だったかもしれない。そうであったとしたら、それを振り返ってくれたことにまず感謝したい。
15年も経てば、多くの人々にとってあの惨劇は過去のこととなり、他の事象に上書きされていっている。ただ、当事者にとっては一生消えない、風化させたくない記憶である。
写真/©︎B.LEAGUE、文/堀内涼(月刊バスケットボール)







