月刊バスケットボール12月号

Bリーグ

2025.12.15

【インタビュー】田中大貴の今──「自分の心に従って」 移籍を決めたサンロッカーズ渋谷でのキャリア第2章

田中大貴のプロキャリアは今、第2章にあると言えるだろう。第1章は日本代表とアルバルク東京で活躍した2023年まで、そして第2章は現在プレーするサンロッカーズ渋谷でのそれだ。今年34歳を迎えたベテランは、近年課題だったコンディションを万全に整え、2025-26シーズンを戦っている。田中は今、何を考え、どのようにバスケットボールに向き合っているのか。彼の幼少期からの歩みと共に聞いた。


こちらのインタビューは『月刊バスケットボール2026年2月号』掲載の冒頭です。全文は誌面にてご覧ください。

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──今季でサンロッカーズ渋谷に在籍して3季目になりました。改めて、2年前に移籍を決めた理由を伺えますか?

 やっぱりアルバルク東京で一緒に戦ったルカ(パヴィチェヴィッチ前HC)が誘ってくれたことですね。ルカが「一緒にやりたい」と僕を必要としてくれましたし、彼自身も新しいクラブでチャレンジするタイミングでもあったので、その力になれたらいいなと思ったのが一番の理由です。でも、移籍はバスケ人生の中でトップレベルに難しい選択でしたし、自分なりにかなり考えたので、決断するまでに時間もかかりました。最終的には自分の心に従って移籍を決めましたが、その過程で本当に信頼できる何人かに相談もして、その上で自分がどうしたいのかを判断したんです。


──相談した方々からはどんな意見をもらったのですか?

「こっちにした方がいい」とは言われなかったですね。それよりも「もう自分の中ではどっちにするか決まってるんでしょ?」という感じで、僕の相談している様子を見た上でリアクションをくれる人が多くて。もちろん、僕にとってアルバルクは特別なチームですし、大きく成長させてもらった場所でした。中心としてずっとチームのために戦ってきた自負もあったので、難しかったですね。

 当時はすでに日本代表の引退を宣言していたし、腰の手術をしたタイミングでもありました。年齢も重なってきて、ここからキャリアが終わりに近付いていく中で、じゃあ最後に自分が誰と仕事をしたいか、何が一番ワクワクすることかを考えたときに、僕の選手としてのレベルを一番引き上げてくれたルカと一緒にやりたいと思ったし、彼からもそう言ってもらえたことが大きかったです。

──長くA東京でプレーしてきて、初めて違う組織に移る経験をしました。慣れるのに時間はかかりましたか?

 場所が変わればやっぱり新鮮味はありますよね。でも、ある意味で僕にとってありがたかったのは、ルカとずっと一緒に戦ってきたからこそ、移籍をしても新しいところに来た感じがあまりしなかったことです。手術が終わってコンディションを上げていかなければならないタイミングでもあったので、それはありがたかったですね。

──SR渋谷には東海大の後輩でもあるベンドラメ礼生選手や、小島元基選手(現茨城)もいましたが、なじみの顔がいたことも助けになりましたか?

 そうですね。特に礼生は移籍という答えを出す前に相談をした1人ですし、クラブのいろんなことを教えてくれました。大学時代からの関係なので、彼らがいるのといないのとでは全然違ったと思います。



──昨季は出場した58試合全てで先発、今季もバイウィーク前までの全試合に先発出場しています。コンディションはいかがですか?

 移籍も初めて、手術も初めてというところからだったので、過去2シーズンはすごく難しさを感じていたんです。正直、昨季までは自分が思っていたほどのチームへの手助けができなかった印象があって、そこは自分に対してもチームに対しても悔いが残るというか、そういう思いがあります。ただ、今季に関しては過去2年に比べると体の状態も良いですし、もっとインパクトを残せるんじゃないかなと思います。シーズンが終わりに向かうにつれてどんどん疲労もたまってくると思いますが、その中でもなるべく良いパフォーマンスを発揮できるようにと考えていますね。

──SR渋谷に移籍する決め手となったパヴィチェヴィッチHCは昨季途中でチームを離れました。今季はカイル・ベイリーHC体制でスタートしましたが、現在のモチベーションは何でしょうか?

もちろん、ルカがいたことがサンロッカーズに来た決め手ではありました。この夏に契約を更新するタイミングだったので、いろいろ考えることもあったんですけど、まず一つはコロコロ環境を変えたくなかったというのがあります。

 それと、これが大きい理由なのですが、先ほども話したように過去2シーズンはあまり自分の思ったようなシーズンになりませんでした。そこに対してチームに申し訳ない気持ちもあったんです。ルカが誘ってくれたのがここに来た最大の理由ではありますが、サンロッカーズ渋谷というチームが動いてくれたからこそ、今僕はここにいられます。だから、チームに対して何かしらの結果を出して恩返しをしたいと思っています。

──SR渋谷に移籍して背番号も13番に変更しました。「13」という数字に込めた思いは?

 13番は高校に入学して初めてもらった番号なんです。初心に返って一からとまではいきませんが、次のチャプターに進むにあたって初めに頭に浮かんだ番号だったので、13番にしました。

──A東京での24番も長崎西高の「西(ニシ=24)」から取っていましたよね。13番も高校時代のゆかりの番号ということは、それだけ高校時代の経験が大きかったということの表れですね。

 まさにそのとおりですね。

──学生時代と今とで、バスケットボールへの向き合い方や価値観は変化しましたか?

 あまり変わらないと思います。ただ、今はバスケでお金をもらっていますが、学生時代はそんなことはありませんから、そこは大きく違いますよね。変わったところでいえばオンとオフの切り替えです。そこは今の方がうまいというか、はっきりできていると思います。そもそも学生時代はバスケ以外のことをやれる時間も今よりずっと少なかったし、経済力もなかったので。

──田中選手のSNSを拝見すると、写真や旅、車など、オフコートも充実しているように見えます。

 写真について話すと、ありがたいことに僕は学生時代から日本代表で活動させてもらえて、いろいろな国や環境、文化に触れるチャンスがありました。でも、目的はバスケなので、どうしても試合だけして日本に帰るということが多くて。例えば国際大会でオフの日なんかがあっても、あまり自分から外の世界に好奇心を向けるタイプではなかったんですよ。だから、その経験が記憶としてあまり残っていなかったんですよね。せっかくいろいろな国に行けて日本とは違う文化に触れ合える状況だったのに、です。

 バスケをしていたからそういう世界に触れることができたし、今はそれがこの仕事の良いところの一つだと思っています。それを何か形に残せないかと思って、カメラを買ったんです。いろいろなところを巡った経験を最大限、良いものとして自分に吸収したかったんですけど、振り返るとそれがあまりできていませんでした。バスケ以外の世界にも目を向けたら、一人の人間としてより良い経験を蓄積できる。写真に残すことで、そのときの経験を振り返ることができると思ったんです。


続きは『月刊バスケットボール2026年2月号』をご覧ください。



写真/伊藤大允、文/堀内涼(月刊バスケットボール)

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