【インカレ男子】人生初の全国決勝に挑む早稲田大・松本秦──洛南高の学びの価値を証明するまであと1勝

日本経済大との準決勝に勝利し、チームミーティングと取材対応を終えた後、早稲田大の #12 松本秦は続く準決勝の白鷗大と東海大の試合の様子を見ようと、アリーナの端に立っていた。
彼に後ろから声をかけた。
「もし明日勝ったら、洛南に行ったことが間違いじゃなかった証明になるね」
明日勝ったら──つまり日本一になったらということだ。
「はい。洛南も、吉田(裕司)先生も、河合(祥樹)先生も」
松本は穏やかな口調でこう答えた。
「第77回全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)」で、早稲田大は実に50年ぶりの決勝進出を決めた。日本経済大との準決勝は、序盤から激しいクロスゲームが展開され、前半を終えて46-42と早稲田大が僅かにリード。
早稲田大がリズムをつかみかけても、すぐに日本経済大が返す。2桁離してもすぐに2ポゼッション差に迫られる──そんな展開が続く中、輝きを放っていた一人が松本だった。得点はエース #6 三浦健一の30点に次ぐ21点。3Pシュートも8本中3本沈めた。

だが、それ以上にインパクトを放ったのがリバウンドだった。
「今日はいつもよりもボールが回ってこなかったので、その中で自分がチームに貢献できるとしたら、やっぱりオフェンスリバウンドやカッティングなどの泥臭いプレーでした。そういうプレーをチームのためにやろうと決めていて、それがオフェンスリバウンドの数字につながったのかなと思います」
特に後半になるにつれてほぼ全てのオフェンスリバウンドに絡み、スタッツに残る数字は9本。ティップアウトなども含めると彼のハッスルによって生まれた早稲田大のポゼッションは相当数だったし、日本経済大にスムーズなオフェンスエントリーをさせないことにもつながった。計13リバウンドは両チーム通じて最多の数字である。
大舞台でも冷静なプレーに終始した松本だが、彼にとって全国大会の決勝はおろか、準決勝もキャリア初の経験だ。「決勝もそうですし、準決勝も自分がメインで出る大会としては初めてでした。緊張もありましたけど、まずは勝ててうれしいです」。洛南高時代は、1年時のウインターカップでベスト8に入ったものの、自身のプレータイムは決して多くなかった。そして、2年時はインターハイにもウインターカップにも出場できず、3年時の昨年もウインターカップ3回戦で福岡第一高に敗れた。「結果」という意味ではなかなか全国で満足な成果を上げることができない3年間だった。だからこそ、このインカレは特別だ。

松本が高校3年時のウインターカップ
しかも、準決勝は恩師の吉田コーチと、前監督の作本信夫雄氏が早稲田大のベンチ裏で試合を見守った。なにせ、早稲田大のベンチには4人の洛南高卒の選手(松本、三浦、#18 岩屋頼、#14 高田和幸)がおり、その4人ともが貴重なローテーションメンバーとなっているのだ。松本にその話を振ると、「2人が来るというのは聞いていて、特に吉田先生にはずっと練習を見てもらっていました。泥臭いプレーや3Pについては高校の頃にめちゃくちゃ言われていたので、だから今日は点も取れたしリバウンドもしっかりと取れたので、良い姿を見せられたんじゃないかと思います」と満足げな表情で振り返った。
今年の早稲田大は出る選手全員がドライブでも3Pでもインパクトを残すことができ、ピック&ロールが主流の現代バスケにおいて、それを使わずパス&ランとカット、そして個々の力量を生かした1対1を軸にオフェンスを構築していく。優れたハンドラーとアイソレーションスコアラーが多くいるチームにおいて、今の松本がボールを扱う時間自体は長くない。だが、ボールを持たない場面での動きでも大きなインパクトを残せているのは、やはり洛南高時代の練習が生きているからだ。松本は言う。
「早稲田の動きって、そのまま洛南でやっていたことで、高校でやっていたことがすごく生きているんです」
もちろん、ゆくゆくはもっと自分でボールを保持したプレーもしていきたい意志はある。だが今は「今年は頼さんや健一さんがいますし、全員がそういう(オンボールの1対1のような)プレーをしていては、チームとして回らなくなってしまいます」とチーム状況を理解しながら、冷静なプレーを心がけている。

自らボールを持たなくても、スタッツ面でもそれ以外の面でもこれだけのインパクトを残せる点は、松本の今後のキャリアにおいて大きな武器となるに違いない。
本日17時30分から、松本と早稲田大はいよいよインカレ決勝に挑む。相手は強固なケミストリーで東海大を下したディフェンシブな白鷗大。オフェンシブな早稲田大とは真逆のチームだ。
勝てばリーグ戦と同じく1968年以来、57年ぶりの優勝となる。そしてそれは、冒頭に記したように、松本が洛南高で学んだことの価値の高さを真に証明することにもつながる。

彼に後ろから声をかけた。
「もし明日勝ったら、洛南に行ったことが間違いじゃなかった証明になるね」
明日勝ったら──つまり日本一になったらということだ。
「はい。洛南も、吉田(裕司)先生も、河合(祥樹)先生も」
松本は穏やかな口調でこう答えた。
「第77回全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)」で、早稲田大は実に50年ぶりの決勝進出を決めた。日本経済大との準決勝は、序盤から激しいクロスゲームが展開され、前半を終えて46-42と早稲田大が僅かにリード。
早稲田大がリズムをつかみかけても、すぐに日本経済大が返す。2桁離してもすぐに2ポゼッション差に迫られる──そんな展開が続く中、輝きを放っていた一人が松本だった。得点はエース #6 三浦健一の30点に次ぐ21点。3Pシュートも8本中3本沈めた。

だが、それ以上にインパクトを放ったのがリバウンドだった。
「今日はいつもよりもボールが回ってこなかったので、その中で自分がチームに貢献できるとしたら、やっぱりオフェンスリバウンドやカッティングなどの泥臭いプレーでした。そういうプレーをチームのためにやろうと決めていて、それがオフェンスリバウンドの数字につながったのかなと思います」
特に後半になるにつれてほぼ全てのオフェンスリバウンドに絡み、スタッツに残る数字は9本。ティップアウトなども含めると彼のハッスルによって生まれた早稲田大のポゼッションは相当数だったし、日本経済大にスムーズなオフェンスエントリーをさせないことにもつながった。計13リバウンドは両チーム通じて最多の数字である。
大舞台でも冷静なプレーに終始した松本だが、彼にとって全国大会の決勝はおろか、準決勝もキャリア初の経験だ。「決勝もそうですし、準決勝も自分がメインで出る大会としては初めてでした。緊張もありましたけど、まずは勝ててうれしいです」。洛南高時代は、1年時のウインターカップでベスト8に入ったものの、自身のプレータイムは決して多くなかった。そして、2年時はインターハイにもウインターカップにも出場できず、3年時の昨年もウインターカップ3回戦で福岡第一高に敗れた。「結果」という意味ではなかなか全国で満足な成果を上げることができない3年間だった。だからこそ、このインカレは特別だ。

松本が高校3年時のウインターカップ
しかも、準決勝は恩師の吉田コーチと、前監督の作本信夫雄氏が早稲田大のベンチ裏で試合を見守った。なにせ、早稲田大のベンチには4人の洛南高卒の選手(松本、三浦、#18 岩屋頼、#14 高田和幸)がおり、その4人ともが貴重なローテーションメンバーとなっているのだ。松本にその話を振ると、「2人が来るというのは聞いていて、特に吉田先生にはずっと練習を見てもらっていました。泥臭いプレーや3Pについては高校の頃にめちゃくちゃ言われていたので、だから今日は点も取れたしリバウンドもしっかりと取れたので、良い姿を見せられたんじゃないかと思います」と満足げな表情で振り返った。
今年の早稲田大は出る選手全員がドライブでも3Pでもインパクトを残すことができ、ピック&ロールが主流の現代バスケにおいて、それを使わずパス&ランとカット、そして個々の力量を生かした1対1を軸にオフェンスを構築していく。優れたハンドラーとアイソレーションスコアラーが多くいるチームにおいて、今の松本がボールを扱う時間自体は長くない。だが、ボールを持たない場面での動きでも大きなインパクトを残せているのは、やはり洛南高時代の練習が生きているからだ。松本は言う。
「早稲田の動きって、そのまま洛南でやっていたことで、高校でやっていたことがすごく生きているんです」
もちろん、ゆくゆくはもっと自分でボールを保持したプレーもしていきたい意志はある。だが今は「今年は頼さんや健一さんがいますし、全員がそういう(オンボールの1対1のような)プレーをしていては、チームとして回らなくなってしまいます」とチーム状況を理解しながら、冷静なプレーを心がけている。

自らボールを持たなくても、スタッツ面でもそれ以外の面でもこれだけのインパクトを残せる点は、松本の今後のキャリアにおいて大きな武器となるに違いない。
本日17時30分から、松本と早稲田大はいよいよインカレ決勝に挑む。相手は強固なケミストリーで東海大を下したディフェンシブな白鷗大。オフェンシブな早稲田大とは真逆のチームだ。
勝てばリーグ戦と同じく1968年以来、57年ぶりの優勝となる。そしてそれは、冒頭に記したように、松本が洛南高で学んだことの価値の高さを真に証明することにもつながる。

文・写真/堀内涼(月刊バスケットボール)







