月刊バスケットボール11月号

Bリーグ

2025.06.20

【インタビュー】篠山竜青の2024-25シーズン振り返り──「新たな川崎の一歩目として、間違っていない一歩を踏めた」

©B.LEAGUE

川崎ブレイブサンダースの主軸として活躍する篠山竜青。安定感あるプレーに加え、ユーモアに富んだサービス精神旺盛な人柄も人気なリーグ屈指の司令塔だ。今月は毎年恒例のシーズン振り返りインタビューをお届けする!


こちらのインタビューは『月刊バスケットボール2025年8月号』掲載の冒頭です。全文は誌面にてご覧ください。

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苦しいシーズンにも腐らず
全員でポジティブに

──昨夏にニック・ファジーカス選手の引退をはじめ、長く川崎に在籍した選手やコーチがチームを離れました。新体制1年目の今季を、まずは振り返っていただけますか?

まず、僕のこれまでのトップリーグキャリアを語る上でニックは切り離せない存在でした。それくらい彼を中心としてチームを作ってきたので、そのニックがいない状態でシーズンが始まったことはある意味、新鮮でした。コーチも選手も大きく変わった中で、特に日本人選手は経験が少なかったですから、苦しむのは予想していたんです。その予想どおり、連敗が長く続いてしまった時期やチームが上向くきっかけを作れずに苦しんだ時期もありましたが、それでもこのチームの良かったところは、腐る選手が少なくて常に地に足を着けてコツコツやり続けられたところ。誰かのせいにしたり、文句を言ったりする人がいなくて、常に前向きなエネルギーをみんなで作りながら戦えました。終盤はネノ(ロネン・ギンズブルグHC)とサッシャ(キリヤ・ジョーンズ)が離脱してしまいましたが、それでも上位チーム相手に接戦に持ち込めたり、勝てたりしました。そういう経験も含めて充実していたし、個人としてもめちゃくちゃ楽しめたシーズンでした。

逆にこれまでは常に優勝を狙えるメンバーと環境が整っている中でやってきたので、勝っても喜びよりもホッとした気持ちの方が強かったんです。逆に負けたら“取りこぼし”という表現になっていました。そういう状態が長く続いていたので、今季のように若くて、本当の意味でのチャレンジャーとして戦って、1つの勝利をみんなで喜び合いながら戦えたのはすごく楽しかったんです。これが本音ですね。

──キャリアの中でも印象深いシーズンになりましたか?

そうですね。もちろん、優勝したシーズンや優勝まであと一歩だったシーズンも印象には残っていますが、そういうシーズンと比べても、今季はこの先ずっと記憶に残り続けるシーズンになったんじゃないかと思います。やっぱり、プロだから結果が求められるじゃないすか。でも、ヤニス・アデトクンボ(バックス)も話していましたが、優勝以外は全て失敗だったのかというと、現場でプレーしていた身としてはそうではなかったです。これは僕の個人的な意見ですが、新たな川崎の一歩目として、間違っていない一歩を踏めたシーズンになったと思います。

──なかなか勝てないシーズンであっても、声援を送り続けてくれたファン・ブースターに対してどんな思いがありますか?

常に大声援を送ってくれたし、遠く離れた地方のアウェーゲームにもたくさんファミリーの方々が来てくれました。ボコボコにやられている4Q残り2分とかでも声を張り上げて応援してくれている姿は、勝てていないからこそ身に染みました。こういうシーズンだったのに、離れずに応援してくれていたファンの方々、ファミリーの方々の表情は忘れられないものになるだろうなと思います。僕が東芝1年目だったシーズンは834敗でした。当時は今よりもずっと観客は少なかったですが、だからこそ、その方々の顔はいまだに忘れられないんですよね。今季もそういうシーズンになったんじゃないかなと感じます。

戦術や日々の練習が一変
それでも変わらない“文化”

──戦術的にも、昨季までのハーフコートバスケから、トランジションバスケへと大きく方針転換しました。アジャストするのは難しくなかったですか?

連戦のどちらかで長く試合に出たりすると、次の試合が体力的にキツいと思うことは正直ありました。でも、個人スタッツはここ数年で一番良かったので、徐々にコンディションを上げられたと思います。そこは自信になったシーズンでしたし、もっとこのスタイルが浸透すれば、自分の体にとっても良いのではないかと感じています。

──試合前半に良い流れを作れても、後半に逆転されてしまうという展開が何度もありました。それは何が原因だったと考えていますか?

シンプルに(プレーの)質の低さだったと思います。前半は何とか勢いで戦えていても、ハーフタイムで相手に修正されて、それに対する答えをうちは出せなかった。試合が進んできたり、戦術が行き詰まってきたりすると正しい判断ができないとか。シンプルにディシジョンメイクのところだったかなと。選手個人の経験値やレベルの問題もあったので、そこは若いチームならではの壁だった部分もあると思います。外国籍選手にしても、そういう場面での状況判断がうまいタイプではなかったし、日本人選手たちも経験豊富というよりもはい上がってここまでたどり着いたような経歴の選手が多かったですから。

──大きく体制が変わったことで、これまでの川崎のカルチャーが崩れてしまうかもしれないといった不安はなかったですか?

そういうのはなかったですね。僕と長谷川(技)がいれば川崎らしさは失われないという自負がありますし、不安だなんて言いたくない。そういう気持ちの方が強かったです。

僕は今の川崎らしさを「明るく元気にめでたい雰囲気で」というものだと捉えています。この雰囲気は、僕が東芝に入ってから作りたかったものです。当時のチームは、今よりずっとおとなしいチームだったので、自分がそれを変えたいと思っていました。今はオーナーの変更やプロ化による集客のためという面を含めて明るい雰囲気になってきて、それが川崎らしさになっています。その雰囲気は自分が作った自負があるので、これからも残していきたいですね。

──ギンズブルグHCはクラブ史上初の外国籍ヘッドコーチです。チームルールやミーティングの仕方なども変化しましたか?

そこはめちゃくちゃ変わったと思います。これまでヘッドコーチだった北(卓也)さんも(佐藤)賢次さんも東芝の元選手で、そこから続いているきっちりした考え方がありました。でも、ネノに変わってそういう“句読点的な部分”が省かれて、「はい次!」という感じに変わっていきました。

例えば、今までは練習の最後にみんなでサークルを囲んで、まずはヘッドコーチが話して、次にマネジャーが連絡事項を伝達、最後にみんなで手をたたいて、1周全員とハイタッチをして終わっていました。でも、今季からそれは全部なくなりましたから。もちろん、練習終わりにハドルは組んでネノが話はしますが、連絡事項は別のタイミングでメッセージで送られてきたり。僕はどちらかというとネノ派で、今まで「硬くないか?」と思うこともあったので、やっぱりそれでいいよなと思いながら過ごしていました。

──三遠とのシーズン最終節はゲーム1で劇的な勝利を挙げました。ゲーム2は大敗したものの、シーズンの締めくくりとしては悪くなかったのではないですか?

そうですね。最終節で、かつホーム最終戦でもあったので、立ち見も出るほどとどろきアリーナは満員でした。そんな中で、この1シーズンは苦しんだけど、とにかく最後に良いバスケを皆さんに見せて終わりたいと強く思っていました。そういう思いがみんなにあったからこそ、ゲーム1でああいう試合がバシッとできたんじゃないかと感じます。


続きは『月刊バスケットボール2025年8月号』をご覧ください。




写真/©︎B.LEAGUE、文/堀内涼(月刊バスケットボール)

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