月刊バスケットボール10月号

Wリーグ

2025.05.16

宮崎早織、来季限りで引退へ──ENEOSと日本代表で駆け抜けたスピードスター

「元気なうちに潔く」――笑顔で語った決断とファンへの思い


5月15日、ENEOSサンフラワーズ所属の宮崎早織が都内で会見を開き、来シーズン限りで引退することを表明した。宮崎は聖カタリナ学園高から2014年にENEOSに加わった。以来、常勝チームの一員としてWリーグ、皇后杯優勝に貢献。2020-21シーズンからは不動のスターターとしてチームをけん引してきた。また、日本代表としても東京2020(2021年実施/銀メダル獲得)、パリ2024と2大会連続でオリンピックに出場。武器とするスピードは国内のみならず世界に通用することを証明してきた。



「パリ・オリンピックまで全力で走り続けてきたのですが、その後の目標を考えたときに、ロサンゼルス・オリンピックはちょっと目指せないのかなというのが正直な気持ちでした。自分のベストなタイミング…、このシーズンで終わりというのがベストではないかと思い、引退を決断しました。何かが嫌になったのではなく、体力があり元気なうちに潔く辞めたいと思い、決めたことです」と宮崎は引退の理由を語った。そのうえで、シーズンが始まる前に引退を表明したことについては「ファンの皆さんのことを一番に考え、どういうふうに伝えたら恩返しができるのかと考えたときに、やはりシーズンの始まる前にファンの皆さんにしっかりと報告し、1年を通して、たくさんの人に会場に足を運んでいただいて、恩返しができたらいいと思ったので。シーズンが終わってから引退と言うよりは、早めに伝えて、皆さんとまた一緒に1年間いい思い出ができたらいいなと思い、この発表をさせていただきました」と思いを語った。
「私らしく笑顔で」と臨んだ会見だったが、参加した記者からの「最も感謝を伝えたい人は」との質問に「もちろん家族が一番なのですが…」としつつ、ENEOSに呼んでくれた高橋雅弘氏(2014年当時の部長、現WJBL専務理事)と、佐藤清美氏(2014年当時のHC、現秋田銀行女子バスケットボール部HC)の名を挙げ、目に涙を浮かべるシーンもあった。





また、日本代表での思い出深い試合として、パリ・オリンピックに向けた最終予選(OQT)を振り返り「一番苦しかったのは東京オリンピックでしたが、一番思い出に残った試合はパリ・オリンピックの前の、OQTが心に残る試合でした。バスケットボールを始めてどの試合よりも緊張しました。恩塚(亨HC)ジャパンになり、少しずつメインで使ってもらえるようになって、まさかOQTでスタメンとして試合に出るとは思ってもいなかったので、責任も感じましたし、覚悟もしっかり持たなければといった試合だったので」と日本代表としての責任を背負ったプレッシャーと緊張感を明かした。また、銀メダルを獲得した東京2020大会のトム・ホーバスHCについては、「(オリンピック代表)選考期間がすごく苦しく、何度も心が折れそうになりましたし、トムさんには死ぬほど怒られたので、東京2020のときは銀メダルを取ったうれしさと同じぐらい苦しかったですね」としつつ、ENEOSでも指導を受けていたホーバスHCに対して「東京オリンピックのときは怒られ過ぎて嫌いでしたけど、今は、ちゃんと大好きに戻っています」と笑顔で話した。

「18歳に負けないぐらい、一緒に走り込みもできるという自信はあります」と言う宮崎は冒頭にも語ったように、「元気なうちに」現役を退くことを決断した。それでも、宮崎の世界屈指のスピーディーなプレーを、コートの上で弾ける笑顔を、あと1シーズン見ることができることをファンの皆さんと共に楽しみにしていきたい。







文/飯田康二(月刊バスケットボール)

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