月刊バスケットボール11月号

Bリーグ

2025.05.01

柏木真介が21年の現役生活に幕「これ以上ない幸せなバスケ人生だった」

「バスケに嘘をつかず、妥協せず」——貫いた信念と誇り


5月1日、NBL時代から司令塔としてチームをけん引し続けた柏木真介が、2024-25シーズンをもって現役を引退することが発表された。

北海道出身。183cmのガードとして、中央大卒業後の2004年に日立サンロッカーズ(現SR渋谷)でプロキャリアをスタートさせ、2006年からは長くアイシン(現シーホース三河)で活躍。天皇杯5度、リーグ優勝を含む数々のタイトルを手にし、2016-17シーズンにはBリーグ初年度の中地区優勝にも貢献した。日本代表としても長年活躍し、2006年のFIBA世界選手権(現ワールドカップ)をはじめ、国際舞台にも立った。

今季は三遠ネオフェニックスに期限付き移籍という形で在籍。43歳のベテランとして、若手の模範となりながらチームに経験を還元してきた。クラブからも「練習中だけでなく試合中も、コート内外から若手の育成やチームの勝利に貢献してくれた」と厚い信頼が寄せられている。

柏木は引退に際し、「これ以上ない幸せなバスケ人生だった」という一文からなる長文のメッセージを発表。9歳で競技を始めて以来、夢にも思わなかった21年に及ぶプロキャリアを振り返りながら、感謝と誇りを込めて綴っている。

「嬉しいことばかりじゃなかった。むしろ悔しさや苦しさのほうが多かったかもしれない。それでも、仲間たちやスタッフ、ファンの皆さんとの出会いがあったからこそ、私は前を向いて走り続けることができた」

中でも自身にとって大きな存在となったのが、キャリアの大半を過ごしたシーホース三河である。「このチームがあったからこそ、今の私がある」と語るように、アイシンの司令塔としての年月は、柏木という選手の礎を築いた時間だった。またラストシーズンとなった三遠ネオフェニックスでも、「たった1年だったが、心に刻まれるほど濃密な時間だった」と振り返り、チームへの感謝を惜しまなかった。

「どんな時もバスケットに対して嘘をつかず、妥協せず、最後の最後まで、真正面から向き合ってこれたことを誇りに思う」
この言葉が示すように、彼のキャリアには一貫して「まっすぐさ」があった。なお、引退セレモニーについては後日、所属元であるシーホース三河より発表される予定である。



Profile
背番号:33
ポジション:PG/SG(ポイントガード/シューティングガード)
出身校:中央大学
出身地:北海道
生年月日:1981年12月22日
身長:183cm
体重:83kg


そのキャリアは日立から始まった

経歴
2004-06:日立サンロッカーズ
2006-13:アイシンシーホース
2013-16:アイシンシーホース三河
2016-17:シーホース三河
2017-18:名古屋ダイヤモンドドルフィンズ
2018-20:新潟アルビレックスBB
2020-:シーホース三河
2024-:三遠ネオフェニックス(期限付移籍)
代表歴
2003 第26回 李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会
2004 第1回 FIBAアジアスタンコビッチカップ 日本代表選手
2005 第23回FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会 東アジア地区予選代表 日本代表選手
第4回東アジア競技大会 日本代表選手
2006 2006年FIBAバスケットボール世界選手権 日本代表選手
第15回アジア競技大会 日本代表選手
2007 2007年バスケットボール男子アジア選手権 日本代表選手
2009 第25回FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会 日本代表選手
2011 第26回FIBA ASIA男子バスケットボール選手権大会 日本代表選手
第2回東アジアバスケットボール選手権大会 日本代表選手


日本代表としても長年活躍し、2006年のFIBA世界選手権(現ワールドカップ)をはじめ、国際舞台にも立った



■コメント(三河、三遠発表)
このたび、2024-25シーズンをもってプロバスケットボール選手としてのキャリアを終える決断をいたしました。
これまでどんな時も温かく応援してくださり、支えてくださったファンの皆さま。パートナーの皆さま。地域の皆さま。そして、私に関わってくださったすべての方々に心から感謝申し上げます。
また、どんな時も変わらず応援し、支えてくれた両親、家族には言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

思えば、9歳でバスケットボールを始めたあの日から、こんな未来が待っているなんて誰が想像できたでしょうか。
プロの舞台に立ち、日本代表の一員としてプレーさせていただき、多くのタイトルを手にすることができ、たくさんの歓喜を味わうことができた日々は子どもの頃の私にとって、夢のまた夢でした。

そして、気づけば21年間という長い時間、私はプロバスケットボール選手として大好きなバスケットボールとともに過ごさせていただくことができました。
今、胸の中にあるのは「これ以上ない幸せなバスケ人生だった」という、ただ一つの想いです。
嬉しいことばかりじゃなかったです。むしろ、悔しさや苦しさのほうが多かったかもしれません。
それでも、多くの素晴らしい仲間たち、スタッフ、そして皆さまとの出会いがあったからこそ、私は前を向いて走り続けることができました。

そんなキャリアを振り返る中で、私にとって大きな影響を与えてくれたのがシーホース三河(旧アイシン)です。
長年にわたりプレーさせていただいたこのチームでの経験が、私という人間を、選手を、そして心を育ててくれました。
このチームがあったからこそ、今の私があります。ここで出会ったすべての方に。心から、ありがとう。

そしてもう一つ。キャリア終盤、43歳という年齢にもかかわらず、迎え入れてくださった三遠ネオフェニックスの皆さま。大野ヘッドコーチ、スタッフ、チームメイト、ファン・ブースターの皆さま。
ほんの1シーズンでしたが、心に刻まれるほど濃密な時間を一緒に過ごさせていただきました。
新たな挑戦の場を与えてくださったこと、心から感謝しています。

最後に。
私は、悔いのない選手人生を歩むことができました。
どんな時もバスケットに対して嘘をつかず、妥協せず、最後の最後まで、真正面から向き合ってこれたことを誇りに思います。
こんなにも長く“バスケットボール”という愛すべき存在と共にいられたこと。
それは私の人生そのものであり、かけがえのない宝物です。
バスケットボールが私を育ててくれました。支えてくれました。そして、成長させてくれました。
そんなバスケットボールに出会えたことに感謝します。
そして、このすべての時間を支えてくださったすべての皆さまへ。
本当に、ありがとうございました。





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