福岡大附大濠・湧川裕斗――開花につながった自己改革の1年間[ウインターカップ]

©SoftBank ウインターカップ2024
「今大会、(#13湧川)裕斗さんがめちゃくちゃ好調なので、ガードとしてノーマークを見逃さず、裕斗さんを最大限に生かすことも自分の役割だと思っています」
準決勝で東山に勝利した後、福岡大附大濠の司令塔#10榎木璃旺がこう語っていた。
チームメイトも実感する湧川の“好調”ぶりは、数字にも表れている。厳しいマークに遭いながらも、初戦の2回戦から準決勝まで25得点、10得点、23得点、14得点と常に2桁得点を維持。
そして迎えた決勝戦では、3Pシュート4本を含む圧巻の32得点を記録。これほどまでの安定感や再現性を考えれば、もはや「好調」という一時的なものの表現では片付けられないのかもしれない。一皮むけた湧川の他ならぬ「実力」が、今大会で存分に発揮されたのだ。
ここまで彼が開花した背景には、この1年間に取り組んだ“自己改革”があった。
「自分が変わるしかない」と初キャプテンに立候補
昨年のウインターカップ後、湧川は自らキャプテンの座に立候補。春先、その理由をこう明かしている。
「去年のウインターカップで負けるまでは、キャプテンをやろうなんて全く思っていなかったのですが、あの舞台で自分が何もできなかったことが本当に悔しくて…。変わるしかないと思って、自分を成長させるためにも『やりたい』と言いました。今までキャプテンの経験はないので、初めての経験です」
もともと声を出して引っ張るタイプではなく、「周りを巻き込んでいくような振る舞いをしたいのですが、難しいです」と苦戦していた。それでも、練習の前後ではチームメイトの輪の中で意見を述べ、練習中や試合中の声かけも次第に増えていった。
湧川には、リーダーとしての理想像があった。
中学3年生のとき、大濠の2年生だった兄の颯斗(三遠)がウインターカップ2021で優勝。その様子を、広島の自宅で「父と兄(長男)と一緒にテレビで見ていました」というが、その際に強烈な印象を受けたのが、当時のキャプテン岩下准平(筑波大)だ。岩下が3Pシュートを9本決めた仙台大明成戦は「興奮し過ぎて、めちゃくちゃ叫んでました」と語るほど、湧川にとって衝撃的だった。
その岩下が着た憧れの“13番”のユニフォームは、翌年兄の颯斗に受け継がれ、さらにその翌年、高校2年生となった湧川へ。そして3年生になった今年も、引き続き着用することになった。大濠のエースガードの称号である“13番”を背負い、リーダーとしてチームを勝利に導きたいー―。ポーカーフェイスの奥に、そんな熱い闘志を秘めていた。
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さらに湧川は今年、個人的に無念の“代表落ち”を経験している。昨年、U18日本代表として「日・韓・中ジュニア交流競技会」に出場し、今年2月の「男子U18日本代表エントリーキャンプ」にも参加したものの、その後のドイツ遠征などには招集されず。チームメイトの渡邉伶音と髙田将吾が出場した今夏の「FIBA U18アジア選手権大会」にも、出場は叶わなかった。
「FIBA U18アジア選手権大会」は、かつて兄の颯斗も出場した大会だ。「昔からずっと『颯斗の弟』と言われてきたのが悔しくて、自分の名前を呼ばれたい、兄を超えたいという気持ちで大濠に来た」と語る湧川にとって、代表落ちは自信を失いかける大きな落胆だった。それでも彼は、前を向く。
「落選したときはかなり落ち込みましたが、チーム内では関係ない。自分の中でしっかり切り替えて、キャプテンとして声を出しながら、自分のプレーを磨くことが大事だと思いました。代表の選手たちに負けないくらいレベルアップするために、自主練や練習の取り組み方を見直しました。それも自分の成長につながったと思います」
渡邉や髙田、そしてU18日本代表スタッフの片峯コーチがチームを離れる間も、湧川はリーダーシップを発揮し続け、最善の努力を尽くした。リーダーとしての理想像に近付くため、そして代表選手たちに負けじと自らの評価を覆すために、一歩一歩、歩みを進めてきたのだ。
手札を増やし3Pに頼り切らない選手へ
この1年、特に磨いてきたのが“プレーメイク”の部分だ。「去年は3Pシュートを打つだけの選手で、ディナイされたら何もできなかった」という湧川は、ドライブや周りを生かすアシストなどを身に付け、3Pシュート以外のスキルを向上させてきた。
その際に有効になったのが、試合映像を通じて学んだバスケットIQの向上。
「オフェンスではNBAのウォリアーズ、ディフェンスではウルブズの試合を見ていました。特にウォリアーズの試合からは、いろいろな戦術の中で『相手がこう動いたらこうする』というさまざまな選択肢を学びました」
“こういう状況では、こう動く”という知識を得た上で、そこから逆算し、ピックを使ったプレーやアシストなどの必要なスキルを身に付ける。それは残り1年という限られた時間の中で、大きく進化するための全力の取り組みだった。片峯コーチも「気付いたことをメモに取るなど、日頃の取り組みから変わっていった」と変化を語る。
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その成果として、湧川は「3Pシュートが入らないときにどうするか」という選択肢を手に入れた。確かに3Pシュートは彼の強力な武器だが、それに固執せず、手札を増やしてディフェンスへの対応力を身に付けたのだ。それはシューターとしての精神的プレッシャーを軽減し、のびのびとプレーするための一助となった。
数々の悔しさを糧に、この1年で、リーダーシップとプレーの両面で大きな自己改革を遂げた湧川。「優勝するときには必ず求心力のある選手がいる」とは、片峯コーチがよく話す持論だが、湧川はウインターカップ前、「日本一になるために、プレーで引っ張ることはもちろん、チームを鼓舞できる求心力のある選手になりたい」と宣言していた。同学年には渡邉、髙田という国際舞台の経験が豊富な選手たちがいるが、それでも湧川は、彼らに頼るのではなく自らチームを引っ張る覚悟を固めていた。
そして、宣言どおりチームを日本一へと導いた今大会。そこには、かつて中学生のときに憧れた“13番”を堂々と着こなしながら、大きな声を出してコート内外でチームを鼓舞し、状況に応じてオールラウンドにプレーする湧川の姿があった。それはまさしく、周りを巻き込む「求心力のあるリーダー」だったと言えるだろう。
優勝の瞬間、あふれる涙をユニフォームでぬぐった湧川。充実のシーズンを終え、「うまくいかないことも多かったし、キャプテンとしてもなかなかうまくいかず本当に苦労しました。でも最後にこうして日本一になれて、『ここまで頑張ってきて良かったな』って、うれしい気持ちです」と目を赤くしながら笑顔でこの1年間を振り返った。
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