バスケ歴9年、Wリーグ野口さくらLOVEなアイドルRain Tree新野楓果

1年間の雌伏期間を経てデビュー
――新野さんが所属しているアイドルグループRain Treeは来年、2025年1月にキングレコードよりメジャーデビューすることが決まっています。どんなアイドルグループなのか教えてください。
新野 昨年(2023年)4月に行われたIDOL3.0 PROJECT(秋元康総合プロデュース)オーディションで最終選考まで残った17人のメンバーで構成されています。なかなかデビューできないなか1年間活動してきて、10月8日にデビューが決まりました。みんなでデビューを目指して1年間活動してきたのでメンバーの絆が深く、ステージに立ちたいという思いがすごく大きいので、これからは今まで出しきれなかった思いなどをぶつけられたらなと思ってます。今、一番思っているのは、ライブをすごく盛り上げられるグループにすること。メンバーとファンの方の一体感がある盛り上がるライブをしたいなとワクワクしています。
――もともとアイドルに興味があったのですか?
新野 5歳上の兄がAKB48さんのファンで、その影響で私も好きになって、板野友美さんの握手会に行ったりライブを見に行ったりしていました。ダンスを習っていたこともあり(小5~中1)、アイドルに憧れてはいましたが、自分がアイドルになるということは当時は考えてもいませんでした。自分に自信がなかったので…。でも、IDOL3.0 PROJECTオーディション募集のタイミングでちょうど転職活動(専門学校卒業後に2年半社会人を経験)をしていて、私がアイドルになりたかったという気持ちを知っている母から「年齢的にもタイミング的にも最後のチャンスかもしれないよ」と背中を押されて、オーディションを受けました。

IDOL3.0 PROJECTオーディションで最終選考まで残った17人のメンバーで構成されるRain Tree、前列中央が新野さん(写真:©OVERSE)
――来年1月にリリースされる1stデジタルシングルは、表題曲を歌うメインメンバーと、カップリング曲を歌うメンバーという構成になりました。新野さんは表題曲のメンバーに選ばれましたね。
新野 セレクション制になることはまったく想像していませんでした。17人でデビュー曲を歌えると信じていましたし思っていたので、すごく複雑な気持ちになりました。でもセレクション制にしたというのはちゃんと理由があると自分で考えることができ、マイナスに捉えることはなかったです。セレクション期間中は1人1人が選ばれたいという気持ちを持っていましたが、そのなかでも歌やダンスが得意なメンバーが教えるなど、みんなで協力して頑張れた期間でした。歌とダンスの審査では、今まで練習してきたことを出し切れたと思っていたので、そこを認めていただけてすごく嬉しかったです。ダンスは習っていましたし、歌は習っていなかったのですが歌うこと自体は好きなのと、ピアノを習っていたので(小1~中3)、音程もとれることがよかったのだと思います。あと、年齢的にグループのことを引っ張っていくことも期待されているのかなとも思います。小学校と中学校でバスケをやっていたときはキャプテンで、高校でダンスをやっていたときは副部長だったので、チームをまとめるということをずっとしてきました。なので今もメンバー17人で話し合うときに、みんなの話をまとめたりすることは多く、そういうところでもグループに貢献できるように頑張りたいと思っています。

バスケでのキャプテン経験が役立っていると語った
ミニバス時代はドリブル
中学時代は3Pシュートが武器
――ここからはバスケのことをお聞きしたいと思います。始めた学年やきっかりなどを教えてください。
新野 小1から中3まで9年間やっていました。父がミニバスのコーチだったのと、7歳上の姉がミニバスを習っていた影響で始めました。最初は上級生が試合をしているときに応援歌を歌うのが楽しかったです(笑)。あとは、練習の合間に高学年のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶのが楽しかったです(笑)。
――プレーに関してはどんな感じでしたか?
新野 ボールを2個使ってのハンドリングドリルなどが得意で、当時は背が小っちゃくてすばしっこかったので、試合ではボールを運ぶポイントガードの役割をすることが多かったです。

高校3年生の球技祭ではクラスの代表としてバスケで活躍!(本人提供写真)
――新野さんは身長167cmとRain Tree最長身なのでセンター的なポジションかと思っていたのですが、ポイントガードだったんですね。
新野 中学卒業までは低いほうだったんです。中学生のときはずっと成長痛に悩まされていて、一時は手術することも考えていて、バスケができない時期もありました。引退してからグンッと身長が伸びて、『これまでに伸びてくれればよかったのに!』と思いました(笑)。
――ミニバス時代にいちばん印象に残っていることは何ですか?
新野 父とバスケをしたのが一番の思い出です。父は私が小4のときに単身赴任で海外に行ってしまったのですが、それまではめちゃくちゃ鍛えられました。自分の子なので私にだけ当たりがキツかったりしたのですが、逆にそれが悔しくてめちゃくちゃ頑張ってたなという思い出があります。あとは茨城県の県南選抜に選ばれてJCOMカップで優勝したときはうれしかったです。ほかに、『SLAM DUNK』の桜木花道が好きで、父がUFOキャッチャーで取ってくれた桜木花道のバッグをずっと使っていたことを覚えています。
――その後、中学校ではどんな感じでしたか?
新野 毎日、朝練で2km走ってからの筋トレがルーティンで、体脂肪率が2%でした。そのあとにシューティング練習をしてから授業に出て、放課後にまた練習だったので本当にキツかったです。長距離走がすごい苦手で、本当に朝練がイヤだった記憶があります。

――プレー面での成長はありましたか?
新野 ポジションはミニバス引き続きポイントガードでしたが、中学生になってから3Pシュートがすごく得意になって、公式戦で5本連続決めたりしていました。1本決まると流れでそのあとも決まるじゃないですか。『今、流れがきている!』という感じで、それがすごく楽しかったです。
――試合を見に行ったりしていましたか?
新野 中学生のときはバスケ部のみんなで一緒に毎年ウインターカップを見に行っていて、高校生になってからはバスケが好きなダンス部の友達と毎年ウインターカップを見に行っていました。特に印象に残っているのが、高校2年生のときに見に行ったウインターカップです。安城学園(愛知)の2年生エース、野口さくら選手(現アイシン ウィングス)のプレーに目が引き寄せられました。高身長なのでリバウンドが強く守備力がすごくあるのですが、オフェンスではペイントアタックができて、外から3Pシュートも打てて、オールラウンダーなところがすごいと思いました(チームは準優勝)。あと、笑顔がすごく素敵で、プレーとのギャップが好きになってしまって、その当時は本当にプリクラに「さくらLOVE」と書くぐらいでした。
今でも7歳上の姉が富士通レッドウェーブの町田瑠唯選手推しなので一緒にWリーグの試合を見に行ったりしていますし、2024-25シーズンのオフィシャルプログラムを買って選手のことをチェックしたりしています。男子も地元の茨城ロボッツの試合を父と一緒に見に行ったりします。男子のプレーは体の当たりが強くてプレー自体の迫力もあるので、見ていて女子とは違う楽しさがありますよね。

中学、高校と毎年ウインターカップを見に行っていた新野さん。高校時代の野口さくら選手に魅了されたという
――バスケをしていたことで、今のアイドル活動に役立っていると思うことは何ですか?
新野 すごくたくさんありますが、体力面、精神面ではすごく強くなれたなと思っています。バスケ時代は本当に怒られることも多く、しんどくても走らなければならないなど、追い込まれたことがたくさんありました。それに耐えてきたので、今もレッスン中の体幹トレーニングや筋トレがつらくなっても踏ん張ることができます。精神的には、デビューまでの1年間、何度も『もう無理かもしれない』『何のために活動してるんだろう』と不安になることがありましたが、『応援してくれる方の期待に応えたい』と思い、『ここまで頑張ってきたから頑張ろう』と自分を信じることができました。バスケでたくさん経験したことが、今の活動にも活きています。

写真:©OVERSE
Profile
新野楓果(にいの・ふうか)
茨城出身
2000年10月8日生まれ
SNS
https://x.com/niino_fuka
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https://www.tiktok.com/@niino_fuka
▼IDOL3.0 PROJECT HP
🔗https://www.idol3-project.jp/member/
▼Rain Tree HP
🔗https://rt-official.jp/

取材・文/高木希武