谷直樹×道原紀晃、“Mr.ストークス”の2人が語るクラブの変遷「一般就職の内定を蹴って…」
イチから作り上げてきたクラブ黎明期
──Bプレミア参入決定について、率直にどう感じていますか?谷 すごいなと思いましたが、聞いた瞬間は何だか自分が所属しているクラブという実感がなくて、ただただすごいなと感じました。
道原 びっくりしたというのが正直なところですね。小さいクラブだったところからこうしてBプレミアに参入できて、これからのストークスの未来がすごい楽しみに感じています。
──お二人ともストークス一筋のキャリアを歩み、谷選手は13年目、道原選手は12年目です。その間の組織の変化や成長をどういったところに感じますか?
谷 本当に全てですね。練習環境も選手の待遇も…。最初の頃はみんな荷物を自分らの車で運んでいたし、マネジャーというポジションもしっかりと確立していませんでした。本当にみんなで作り上げているっていうか、まだチームとしてしっかりと成り立っていないところから始まっているので、今の若手の待遇などを見ていると『いいな』と思いますね。
道原 谷さんと同じですが、まずは環境が大きく変わりました。給料などもそうですし、トレーニングにしても、今はトレーナーが複数人いてくれたり。以前とは全然違いますね。
2013-14シーズンの谷(左)と道原
──特に谷選手はクラブ創設初年度からのメンバーです。お二人は地元にプロクラブができることが決まったとき、それをどう受け止めていましたか?
谷 僕は最初に聞いたときはあんまり興味がなくて…(笑)。
道原 就職も決まっとったんちゃうの?
谷 決まってたね。
──一般企業にですか?
谷 そうです。当時はプロになるという考えはなかったですから。就職活動をするときに多少は実業団のチームで、というのは考えましたが、バスケをしたいというよりも普通に働こうと考えて内定をもらっていました。なので、最初に聞いたときは「へぇ~、そんなんできるのか」くらいだったんです。
ただ、その後に入団選手が決まったというニュースを見たときに、兵庫県の国体で同じメンバーだった中村大輔が入ったのを知ったんです。彼とは高校からの知り合いで同い年だったので、『あいつがプロに!?』と刺激を受けて、それがきっかけで自分も入りたいという気持ちになりました。
──内定をもらっていた状態から、どんな経緯で加入することになったのですか?
谷 内定を辞退したのですが、その企業の社長さんが体育会系の優しい…というか熱い方で、「若いうちしか挑戦できないから飛び込んでみたい」と話したら、応援してくれたんです。
道原 すげえ!
谷 大学のコーチにも「お前なら入れるから行け」と背中を押されていたので、僕の中でも「やります」と言えば入れるんだろうと思っていました。それで、いざストークスの事務所に意思表示をしたら「じゃあトライアウトを受けて」と。そりゃそうですよね(笑)。でも、当時は入れるものだと思っていたので、「ちょっと待って、それ聞いてないし。言えば入れるって聞いててんけど!」なんて言えないじゃないすか(笑) 。それで「分かりました…」という感じでトライアウトを受けることになったんです。
道原 もう内定辞退しちゃったのにね(笑)。
谷 そうそう(笑)。でも、トライアウト当日までにある程度の期間があったので「それまで一緒に練習しようか」と言われて練習に通い始めて1週間くらいたったあたりでチームに入れることになったんですよ。これでトライアウトに落ちていたら…まぁ結果的に良かったな、という感じです。
──それはギリギリでしたね(笑)。道原選手はどんな経緯で加入しましたか?
道原 僕は就職先が決まってなかったのですが、バスケをしようとは思っていませんでした。だから、とにかく何とかして仕事を見付けなあかんなと。当時はストークスもリーグ参戦してから1年くらいでチームも出来上がってきていました。当時は谷さんや中村さんとか、松崎(賢人)さんなどがいました。
谷 賢人はもう入ってたん?
道原 入ってた。それで「やってみたいか?」と誘われました。でも、契約内容は聞いていたものと違ったり、いろいろあったのですが(笑) 、チャレンジすると決めていたので就職もせずにトライアウトを受けて合格できました。でも、ストークスができると聞いたときは谷さんと同じで全然興味がなかったんです(笑)。『本当にできるのか? あれ、谷さん入ってるやん!』みたいな感じです。
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写真/月刊バスケットボール 文/堀内涼