月刊バスケットボール10月号

NBA

2024.09.11

デビン・バッセル(サンアントニオ・スパーズ)インタビュー——「目標はとにかく昨シーズンよりも勝ち星を挙げること。たくさんね」

Photo by Jess Rapfogel/Getty Images

202482日、母校ピーチツリーリッジ高校でバスケットボールキャンプを開催したデビン・バッセルに、現在に至るバスケットボール・ジャーニーについて取材を試みた。


無料で開催されたキャンプは、午前の部は小学生、中学生が対象、午後の部は高校生が対象。大盛況だった。子ども達からの質問にも常に丁寧に答え、キャンプの最後にはマイクを手に取り子ども達の親御さんへ感謝の意を述べたヴァセルはとても温厚な性格だが、バスケットボールに関してはとにかくハングリーで競争心に溢れている。NBAまでの道のりも決して平坦なものではなかった。

知名度があまりなかったことが僕をハングリーにしている



——ここは昔あなたが通っていた高校ですよね?

そうだね(笑)

――この場所でバスケットボールキャンプを開催できることはやはりうれしいですか?

ここでキャンプができることはとても大きな意味を持っている。自分が思っているより地元で時間を過ごせていないので、このコミュニティに対して影響を与えられるのは自分にとって大きい。この高校とコミュニティが僕を育ててくれた。今の自分があるのも彼らのおかげなので、僕ができることは彼らに恩返しすることです。

――このキャンプは何人の子ども達が参加しているのでしょう?

正確な数字はすぐに出ないけど、確実に200人以上はいる。最初のセッションの参加者は110人くらい、次のセッションは105人くらいかな。たくさんの子ども達が参加してくれいるよ(笑)

――子ども達にこのキャンプを通じて伝えたいメッセージは?

僕が子どもたちに伝えたいことは、僕自身もこのピーチツリーリッジ高校に通って一生懸命努力をしたということ。僕は選手として常に脚光を浴びていた訳ではなかった。4スターでも、5スターリクルートでもなかったから、とにかく練習をして、自分を研ぎ澄ませ続ける必要があった。誰かが僕に何かを与えてくれるなんてもことはなかったから、何事も自分から獲りにいかなければいけなかった。子ども達には、目標があるのならば、努力をし続けることが大事だということを伝えたいと思っているよ。

――ちなみにこの地域(ジョージア州アトランタ周辺)のバスケットボールシーンは活発なのでしょうか? NBAの選手がこの地域から輩出されたりしているのでしょうか?

ここはグイネット郡という地域だけど、ここだけでも何人もNBAまで辿りつた選手はいるよ。例えばブランドン ボストン、ジェイレン・ブラウン(ボストン・セルティックス)もこのグイネット郡でプレーしていたこともあったし、南グイネット郡ではルー・ウィリアムス(元アトランタ・ホークス他)がプレーしていた。色々な名前が出せるよ。この地域でプレーしてNBAまで到達したビッグネームはたくさんいる。あと今オクラホマシティ・サンダーでプレーしているアダム・フラッグラーもそうだ。グイネット郡は才能ある選手を多く輩出していて、僕自身もその1人となれてとてもうれしいよ。

――高校時代について話を聞かせてください。高校3年生の時には、平均22点、9リバウンド近くをアベレージして、第1シードとしてリージョンのチャンピオンに輝きました。航行2年生の時には、オールカウンティチームに選出されていて、高校のキャリアも素晴らしいものだったように見えますが、3スターリクルートでした。なぜ世間にこれだけの活躍が届かなかったのでしょう?

そう、3スターリクルートだった(笑)。僕はEYBLElite Youth Basketball League=ナイキのバックアップで運営されているユースチームのリーグ戦)などメジャーな舞台に出ることがなかったから、あまり注目されなかったのだと思う。でもありがたいことに、僕が高校3年生になる前にCY(チャールトン・ヤング、フロリダ州大Aコーチ)が僕に目をつけてくれた。彼は僕の才能を見抜いて特別な選手だということを理解してくれて、育ててくれたから僕はNBA入りすることができたんだ。

――高校生当時、同じ学年だったトップ選手達と自分を比較したことはありますか? 有名どころだとザイオン・ウィリアムソン(ニューオリンズ・ペリカンズ)、ダリアス・ガーランド(クリーブランド・キャバリアーズ)がいて、スパーズでチームメイトになったケルドン・ジョンソンやトレ・ジョーンズがいました。

ものすごいタレント集団だったよ。自分は彼らと競争できると信じていたけれども、同じ舞台で交わることがなかった。これまで誰が相手でも仕留めるっていうメンタリティでプレーしていたし、今もその姿勢でプレーしているからこそ自分をもっと向上させることができる。もともと自分はあまり知名度がなかったし、そこは今でも自分と似たような選手たちに比べて劣っていると感じることがある。それが僕をハングリーにしている。

――次に大学時代について詳しく聞かせてください。最終的にはフロリダ州大に進学しましたが、他にもテキサス工科大やノーステキサス大からもオファーがあったと聞いています。なぜフロリダ州大を選んだのでしょうか?

一つには、フロリダ州大は僕の中でドリームスクールだった。高校時代から行きたいと思っていたんだ。二つ目は、彼らがオファーをくれた大学の中で一番大きな学校だったこと。彼らは、真の意味で僕に関心を持ってくれていたし、僕に対して真摯な姿勢も見せてくれた。彼らは僕がどういう人間かも理解してくれようとしたし、プロになるために必要な育成に関しても話してくれた。そういったアプローチをしてくれたので、フロリダ州大に決めることはとても容易だった。

――大学1年生時はACC1年生のトップ3Pシューターでした。2年生になると試合に先発出場するようになり、NBA入りも現実味を帯びるようになりました。3スターリクルートから短期間で一気にNBAプロスペクトまで駆けあがるには相当な努力が必要だったと察します。

もともとCYがビジットに来てくれたときに、僕に「1年目は多分レッドシャツ扱いになる」と言われたことが自分にとって最大のモチベーションになった。そこからはとにかく体育館、ウェイトルームに篭った。大学に通うようになってからも、CYとずっとワークアウトを続けて、僕はレッドシャツ扱いではなくて、プレーしてチームの一員になりたいことを訴え続けた。チームのためになるのであれば何でもするといった。ディフェンス、シュートを決めるとにかくチームにフィットしたかった。1年目の僕の主な役割はディフェンスと3Pシュートだったけれども、コーチ陣が僕はもっと幅広くプレーできることを認識してからは、役割が大きく広がった。

いつNBA入りを決意したのでしょうか?

実は父親には大学には2年間と伝えていたんだ。1年生を終えた後の夏は、献身的にバスケットボールと向き合った。常に体育館にいたよ。2年生になって、2試合くらい終えた時点でNBA入りを決めた。僕が大学1年生の時のチームメイトだったテレンス・ マンがドラフト(ロサンゼルス・クリッパーズ)されて、さらに自分の中でモチベーションが高まったし、自分もできると決心したよ。


デビン・バッセルと(写真/©小谷太郎)

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取材・文/小谷太郎(Paint It Silver &Black!)

タグ: サンアントニオ・スパーズ

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