月刊バスケットボール6月号

NBA

2024.03.14

ペイサーズ戦の劇的4ポイントプレーは語り草、3月14日はラリー・ジョンソンの誕生日

おばあちゃんの格好でCMにも出演していたLJ


さまざまな選手のセレブレーションが話題となる昨今。だが、それは今に始まったわけではない。1969年の本日3月14日に生まれたラリー・ジョンソン(元ホーネッツ、元ニックス)もセレブレーションを持っていた一人。彼は両腕で自らのイニシャルである“L”を作るポーズが知られていた。

【動画】ラリー・ジョンソンキャリアプレーベスト10をチェック

201cm、113kg、PFのジョンソンは、若い頃はスラムダンク・コンテストに出場するほどの身体能力を活かした豪快なプレーで観客を魅了したが、年齢とともに背中の故障に苦しむようになる。しかし、アウトサイドのシュートやパスも磨くことで、オールラウンダーへと進化を遂げた。



テキサス州タイラーで生まれたジョンソンはスカイライン高時代には全米有数の選手になっていて、3年生時の1987年のマクドナルド・ハイスクール・オールアメリカン(全米の高校のスター選手が選ばれるエキシビション)にも選ばれている。その後、地元オデッサ・カレッジ(短大)で2年プレーし、MVPを連続受賞すると名将ジェリー・ターカニアンHCがいたネバダ大ラスベガス校へ入学。ステイシー・オーグモン(元ホークス)やグレッグ・アンソニー(元ニックス)らと共に1990年NCAAトーナメントで優勝。さらに翌年ではチームのレギュラーシーズン27戦無敗、NCAAトーナメントファイナル4進出に貢献した。そしてジョンソンは2年連続のカンファレンスMVP、カンファレンス・トーナメントMVPを受賞したほか、1991年には大学バスケのMVPに贈られるジョン・ウッデン・アワードとネイスミス・ネイスミス・カレッジ最優秀選手賞をダブル受賞し、名実ともに全米トッププレーヤーの座に君臨した。

そして同年のNBAドラフト1巡目1位指名を受けてホーネッツ入り。ジョンソンは1年目に82試合に出場。平均19.2得点、11.0リバウンドをマークして新人王を獲得すると2年目にはオールスターゲームに初出場するなど大活躍を見せる(1995にも出場)。シグニチャーモデル「エアロジャム」を作ったコンバースのCMに“グランドママ”(おばあちゃんのコスプレをしていた)として出演していたのはこのころ。1994年にはドリームチームIIとも言われたアメリカ代表の一員としてFIBA世界選手権(現ワールドカップ)に出場。金メダル獲得に貢献している。ちなみに当時、ホーネッツにはアロンゾ・モーニングやNBA史上最低身(160cm)のマグジー・ボーグスらがいて爆発的人気を博していた。それでも好結果を導きださないことには亀裂が生じるもの。ジョンソンとモーニングの間にも不和が生じ、両者は共にトレードされることになった。ジョンソンは1996年7月にニックス入りを果たす。




ホーネッツ時代のラリー・ジョンソン

1999年ペイサーズ戦で生まれた劇的4ポイントプレー


当時のニックスは、センターにはドリームチーム選手のパトリック・ユーイングがいて、ウイングにラトレル・スプリーウェル、アラン・ヒューストンというスターがそろうチームだった。すでに背中に問題を抱えていたジョンソンは、ホーネッツ時代ほどのスタッツは残せなくなっていたものの、オールラウンドな選手になっていたことでスターターとして出場することになる。ニックスでのハイライトは、最終的にNBAファイナルに進出することになる1998-99シーズンのペイサーズとのカンファレンス・ファイナル第3戦での4ポイントプレーだ。



1勝1敗で迎えた試合は、開始から4Q終盤まで1点差を争うような激戦となっていた。4Q残り11秒、スプリーウェルからファウルをもらったマーク・ジャクソン(ペイサーズ)がフリースロー2本を決めて91-88に。タイムアウト明け、ニックスはヒューストンにパスを入れようとしたが、レジー・ミラー(ペイサーズ)がうまく防ぐ。ここでチャーリー・ウォード(ニックス)はインサイドに入れようとパス。ジェイレン・ローズ(ペイサーズ)の手に当たったが、左ウイングにいたジョンソンがうまくキャッチすると、アントニオ・デイビス(ペイサーズPF)との1対1の形になる。残り7秒で仕掛けたジョンソンはデイビスのファウルをもらいながらシュート。その3ポイントは高い弧を描き、見事リングに吸い込まれた。これで同点にすると、見事アンド1も決めて劇的4ポイントプレーが完成。92-91で勝利した。この時も、ジョンソンはLの字を作るセレブレーションを見せている。
ジョンソンのキャリアを語る上で欠かせないのが、ヒートとの激闘だ。1997年のカンファレンス・セミファイナルでも乱闘に巻き込まれたが、1998年のプレーオフ1回戦第4戦ではジョンソンと元チームメイトのモーニング(ヒート)が衝突。ニックスのジェフ・バン・ガンディーHCは止めようとモーニングの足を掴んだものの、引きずられるというシーンもあった。

背中の問題は最後まで彼のキャリアを苦しめ、2001年に現役を引退。しかし、10年間のキャリアの中で数々のドラマを生み出し、多くのファンに愛された名選手であることは間違いない。



文/広瀬俊夫(月刊バスケットボールWEB)

タグ: ニューヨーク・ニックス シャーロット・ホーネッツ

PICK UP

RELATED