月刊バスケットボール6月号

アカツキジャパンにつながる伝説の“辺土名旋風”を振り返る - 平均身長169.8cmでインターハイ3位

沖縄アリーナを舞台に825日から開催されているFIBAバスケットボールワールドカップ2023で、男子日本代表が歴史的勝利を収めた。NBAオールスターの実績を持つラウリ・マルカネンを擁するFIBA世界ランキング24位の強豪フィンランドに対して、一時18点の先行を許しながら、第4Q35得点を奪う猛攻で98-88の逆転勝利。世界の舞台で得点が90を超えたのは初めてであり、ワールドカップでの勝利も2006年日本大会(当時の呼称は世界選手権)でのパナマ戦以来17年ぶりだ。


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歓喜の勝利に沖縄が沸いた後、開催地沖縄にちなんでぜひとも振り返っておきたい出来事がある。1978年の山形インターハイに沖縄県代表として出場し、全国3位の座に上り詰めた辺土名高校のエピソードだ。沖縄のバスケットボール熱や文化を語るときにたびたび出てくる“辺土名旋風”という言葉。一体どれだけ強烈だったのか。当時の月刊バスケットボール1978年10月号誌面からデータを引用しながら振り返る。


最長身174cm、平均得点111.0!


山形インターハイ準決勝で福岡大附大濠のディフェンスを切り裂いてゴールに向かう金城 健。ひたむきな表情と丁寧にゴールにおいて来ようとしている両手、そして相当な跳躍力も印象的だ(写真/©月刊バスケットボール)

辺土名はこの年の山形インターハイが全国大会初出場という県立高校。チームを率いたのは外部指導員の立場で指揮を執った安里幸男だ。大宜味村で育ち、中高時代に指導者がいないチームで悔しい思いをした安里は、今のように沖縄と内地の行き来が簡単ではなかった当時、自身が指導を勉強してやんばるの子どもたちを強くしたいという意欲にかられて中京大に進んだ人物。それだけでなく、秋田県の名門能代工(現能代科技)の練習を見学に行き、その様子から強烈なインスピレーションを受けて沖縄に戻る。

安里は辺土名を始め、その後長年沖縄県内の複数の高校を指導し、赴任先では堂々「打倒能代工」を掲げて全国屈指の強豪と伍することを目指した。安里が率いた辺土名は、月刊バスケットボールの記載によれば最長身が宮城 武の174cmで、12人中6人が170cmに届かない小柄なチーム。平均169.8cmは、現在ワールドカップで大活躍中の河村勇輝(172cm)よりも小さい。


「打倒能代工」の文字は、安里幸男バスケットボールミュージアムに今も掲げられている(写真/©月刊バスケットボール)

しかし、安里は辺土名が小柄なことを言い訳にせず、スピードを武器に山形インターハイに臨む。しかも安里の練習ノートには、「日本のバスケットボールの方向性を示すようなゲームを必ずやろう」という大旦な志が記されている。

その志はどのようなバスケットボールとして表現されたのか。データを見ればすぐにその特徴を感じ取ることができる。


“辺土名旋風”の軌跡

まずは、辺土名がどのような経過をたどって全国3位に到達したかを見ていこう。

☆1978年山形インターハイ沖縄県予選試合結果
2回戦vs.首里 88-53
3回戦vs.八重山 91-73
4回戦vs.名護 98-97
準決勝vs.興南 117-93
決勝vs.豊見城 124-86
平均得点103.6 平均失点80.4

☆山形インターハイ試合結果
1回戦vs.山形東 114-105
2回戦vs.倉敷工 134-98
3回戦vs.宇都宮学園 92-80
準々決勝vs.習志野 116-100
準決勝vs.福岡大大濠 99-134
平均得点111.0 平均失点103.4

上記の結果を見るだけで、圧倒的な得点力だということがすぐにわかる(
実際に当時の映像を見れば、上記のデータからイメージできる状況が実際に次々と現れる)。辺土名のバスケットボールは、フルコートプレスとスピード感に満ちたトランジションオフェンスを武器として、200cm台のビッグマンも出てくる内地の強豪に対抗する“超スモールボール”だった。上記の得点を、辺土名は3Pショットのルールが採用されていない時代に、自分たちよりも大幅に大きな相手に記録しているのだ。ちなみに全国の舞台で、辺土名のオフェンスは沖縄県予選以上の破壊力を示している。予選を終えた後にさらなる努力を積んだ後が見え、行く手に立ちはだかるいかなる障壁も吹き飛ばすような威力を持っていたことが感じられる。

破壊力抜群の辺土名のオフェンスは二人の得点源、金城 健と金城バーニー(170cm)を軸に、強烈に速く力強いトランジションから次々とゴールを奪うスタイルだ。失点しても気にしない。やられたらやり返す。ゴールを奪ったら気迫に満ちたプレスでひたむきに圧をかけ、ボールを奪い、得点につなげる。

168cmでガードを務めた金城 健は、駅伝で全国大会出場を目指すほどの走力とスタミナを誇る若者だった。山形インターハイでは5試合すべてで30得点以上を記録し、福岡大附大濠との準決勝では40得点。平均35.8得点(総得点179)は、ベスト8以上に勝ち上がったチームの中で1位だったと月刊バスケットボール誌面には記されている。

金城バーニーは身長170cmだが、フロントラインで相手のビッグマンと対峙する役目を負っていた。こちらも砲丸投げで県の上位を争うほど強靭な体力と運動能力を持つタレント。ときに20cm以上も大きな相手に対しスピードとシューティングの精度で対抗し、彼もインターハイの5試合で31.2得点のアベレージを残している。



笑顔の金城バーニーは、辺土名の快進撃を得点面で支えたプレーヤーの一人だ(写真/©月刊バスケットボール)

辺土名旋風からすでに45年が過ぎているが、当時のファンや関係者が彼らのニュースに触れた時の驚きは、現在のバスケットボール界にかかわる人々も共感できるものではないだろうか。そして昨夜沖縄アリーナで実現したフィンランド戦勝利。それはあたかも、辺土名旋風で示された「日本のバスケットボールの方向性」が、的を射ていたことを証明するような痛快な金星だった。

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文/柴田 健(月刊バスケットボールWEB) (月刊バスケットボール)

タグ: インターハイ FIBAワールドカップ2023

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