月刊バスケットボール6月号

八村塁らを育成した佐藤久夫氏が死去「バスケットコートは人生のレッスンの場」

八村塁とともにウインターカップ3連覇を果たした

高校バスケ界の名将・佐藤久夫氏が死去

 

仙台大明成高ヘッドコーチの佐藤久夫氏が6月8日に死去した。73歳だった。

 

体調を崩す直前まで、自チームの指導に当たっていた。4月に行われた交歓大会では、車椅子に乗ってベンチから指揮。「この姿を写真に撮ってくれないか。今シーズンの俺は、ここからはい上がるから」と言い、その写真を『月刊バスケットボール』の連載企画「視点」で自ら紹介していた。しかしその後、約2か月の闘病の末に帰らぬ人となった。

 

19491018日生まれの佐藤氏は、上杉中、仙台高、日体大と進んで卒業後は指導者の道へ。公立校で女子10年、男子4年を指導し、1986年からは母校の仙台高で指揮を執った。一からチームを強豪に育て上げ、1999年のウインターカップで全国初制覇。その翌2000年には国体、ウインターカップの2冠を達成した。

 

2002年に教員を退職し、日本バスケットボール協会強化本部でエンデバー一貫指導システムの構築に尽力。1996200220102012年にはU18日本代表ヘッドコーチを務めた。そして2005年に明成高(現・仙台大明成高)で男子バスケットボール部を作り、ヘッドコーチに就任。創部5年目、畠山俊樹(元越谷ほか)らを擁した2009年にウインターカップで頂点に立つと、八村塁(レイカーズ)らを擁した201315年には冬の3連覇を達成。2015年はインターハイと合わせて夏冬2冠となった。20172020年のウインターカップでも日本一に立ち、チームは“冬の明成”とも呼ばれた。

 

勝利への飽くなき執念を持った佐藤氏は、同時に、選手の将来性を見据えた“個の育成”も重んじる指導者だった。長身選手を数多く擁するようになった近年は、1対1を基本としたフリーランスのオフェンスを展開し、ポジションを問わないオールラウンダーを数多く育成。また「バスケットコートは人生のレッスンの場」と常々語り、厳しくも愛のある指導で預かる高校生たちの人間力育成にも努めていた。教え子として多くのプロ選手、指導者のみならず、さまざまな舞台で活躍する人材を輩出している。

 

また、指導の傍ら、写真やゴルフなど数多くの趣味を極め、全国各地を車で回りながら楽しむ人物でもあった。「俺にとってはオンとオフではない。オンとオンだ」と言い、何事にも一切手を抜かない姿勢を私生活でも貫いた。ただ、そうした趣味にエネルギーを注ぐのは「バスケットのことを考え過ぎないようにするため」と言い、やはりその心の芯に揺るぎなく存在していたのは、バスケットボールにほかならなかった。

 

日本の高校バスケ界をけん引する名将といわれ、全国の多くの指導者たちが目標とする存在だった。それでも佐藤氏自身は周囲から学ぶ姿勢を崩さず、良いものは積極的に取り入れながら、自己流のオリジナリティーあふれる指導を追求し続けた。ほんの数年前、「指導歴50年でバスケットボールの半分くらい分かってきたかな。いや、まだまだだな」と笑って語っていたことが思い出される。現状に満足することなく、自らの指導力を研磨し、最期まで情熱を燃やし続けた人物だった。

 

通夜、告別式の日程等は、以下のとおりとなっている。(仙台大明成高HPより)

 

通夜:611日(日)一般焼香18:0020:00

葬儀:612日(月)一般焼香9:0010:00

場所:仙台市青葉区木町通2-2-13「斎苑別館」




文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)

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