月刊バスケットボール6月号

国内唯一の聴覚障害者の大学「筑波技術大」の学生が担う「デフリンピック大会エンブレム制作」がスタート

100周年を迎えるデフリンピック記念大会が2025年に日本で開催

4年に1度、聴覚障害者による総合スポーツ競技大会として行われるデフリンピック。同大会が100周年を迎える記念大会は2025年に日本で開催される。そのデフリンピックの象徴となるエンブレムのデザイン案の制作を担うのが、国内で唯一の聴覚障害者・視覚障害者のための国立大学である、筑波技術大の総合デザイン学科を中心とした産業技術学部の学生だ。5月10日、一般財団法人 全日本ろうあ連盟と東京都は、制作を担当する学生に向けてオリエンテーションを実施した。

オリエンテーションの冒頭で、全日本ろうあ連盟スポーツ委員会委員長の太田陽介氏より、「みんなの心を一つにできる、大切なエンブレムとなります。 ぜひ多くの人の目に触れるエンブレム制作を通して、きこえない人たちの大会で、社会を変えていくということを見据えて、制作いただければと思います」と挨拶があった。2025年の大会では、「全ての人が輝くインクルーシブな街・東京」の実現がテーマとして掲げられており、その実現のために、①みんなが つながる ②世界の人々が 出会う ③こどもたちが 夢をみる ④未来へ つなぐ、⑤みんなで 創る という5つの柱が活動の指針として設定されている。

続いてオリエンテーションは、デフバスケットボール日本代表選考メンバーの川島真琴選手と、日本デフバスケットボール協会 強化委員会委員長を務める須田将広氏によるトークセッションへと進んだ。



埼玉県出身で現在20歳の川島選手は、15 歳で初めて日本代表に選出。2018 年に開催されたU-21世界選手権で第2位の成績を収めており、2025年デフリンピック日本代表候補としては最上位ランクの強化指定に選出されている。一方、須田氏は2005年のメルボルンデフリンピックに選手として出場し、2019年にポーランドのルブリンで行なわれた世界選手権では女子日本代表の監督を務めている。 

まず、デフバスケと出会ったきっかけについて川島選手は、「中学校3年生のときに、進学予定だった高校の顧問の先生からデフバスケの存在を教えてもらい、日本代表を目指すための合宿に参加したのがきっかけです。ただ、最初は手話が全くできなかったので、仲間とコミュニケーションがとれず、なかなかうまくいきませんでした」と振り返る。一方、須田氏は、「私がバスケットを始めたのは、実は大学からでした。それまでは小学校2年生から空手をしていました。高校は一般校に通っており、きこえないということもあって、集団競技は難しいのではという状況に置かれ、個人競技の空手をずっと続けていました。その中で、バスケの神様と言われたマイケル・ジョーダンや、漫画『SLAM DUNK』を読み、バスケへの関心が高まり、大学に入ったのをきっかけにデフバスケをやり始めました」という。



2人がともにデフバスケの難しさとして挙げたコミュニケーションだが、川島選手は、「今ではサインバスケというものを使い、バスケをやっています」と続けた。須田氏によると、「音声を話す学生さん、手話を使わない学生さん、聴覚活用をされる学生さん、いろんな方がいらっしゃると思います。大きく分けると、①日本語を話す人、②難聴の方で声を出しながら手話を使う人、③全くきこえず手話だけを使い、視覚的な情報を活用する人がいます。3者が歩み寄った着地点での新しいコミュニケーション方法を何とかつくれないかと思って考えたのが、“サインバスケ”です」とのことだ。 




「デフリンピックを数多くの方に知ってもらうために、デフリンピックの顔となり、たくさんの方に見てもらえるようなエンブレムを!」

このように、健聴者にはふだんの生活の中ではなかなか知り得ないデフバスケに関する知識も含めて、2人は東京で開催されるデフリンピックへの想いを次のように語った。

「今まで、世界選手権など世界大会は2回経験したのですが、デフリンピックは経験したことがありません。東京開催を機に、もっとデフバスケットボールという競技をいろんな人に知ってもらえるきっかけになるなと思ったので、嬉しかったです。そして、競技を通して、日本の中でデフリンピックの存在を数多くの方に知ってもらえたらいいなと思います。また、私は今、聴覚障害者が全くいない大学に通っているので、大学の友達や先輩、後輩、先生方にも、自分の活動を通してデフバスケを知ってもらえたらと思っています」(川島)

「デフリンピックは、歴史が非常に深い大会です。その歴史の中で、初めて東京で開催されることになります。ぜひ国内の皆様からご協力をいただきながら、今までの人生の全てをかけるくらいの気持ちで、皆さんと一緒にデフリンピックを盛り上げていきたいなと思っています。その思いを形にする一つとして、デフバスケの女子代表がまずメダルを取るということを大変強く思っています」(須田)

今回、エンブレムの制作に携わり、自らもデフサッカーで2025年の東京大会を目指しているという学生の1人は、「デフスポーツの存在がオリンピックやパラリンピックに比べると低いと思っており、せっかくデフスポーツを知ってもらえるチャンスがこの東京で開催されるデフリンピックなので、エンブレムには、未来のデフの子どもたちが活躍できる機会が増えるものにしたいという思いを込めたいです。未来のきこえない子どもが壁を乗り越えられるような、希望を与えられるようなデザインを作ってみたいと思います」と抱負を言葉にした。

川島選手もまた、「デフリンピックを数多くの方に知ってもらうために、デフリンピックの顔となり、たくさんの方に見てもらえるようなエンブレムを期待しています」と、大役を担う学生たちに熱いエールを送った。

最後に、全日本ろうあ連盟理事で、デフリンピック運営委員会 事務局長の倉野直紀氏は、「2025 年のデフリンピックは、デフアスリートが主役になることをコンセプトにしていますが、アスリートだけでなく、皆さんも主役の一人です。デフリンピックは、デフアスリートの夢の舞台に位置づけられていますが、そのデフリンピックに皆さんも夢を持って挑戦していただきたいと思っています」と期待を込めてオリエンテーションを締めくくった。 

エンブレムの制作は今後、5~7月にかけてデザイン案を制作し、最終候補となる複数案を選定後、8月下旬にろう学校を含む都内の中高生(100人程度)とのグループワークを経て、中高生の投票により決定される予定。そうした制作過程においても、「きこえない人ときこえる人が協働する」をコンセプトに、手話言語通訳に加えデジタル技術も活用しコミュニケーションが図られることとなっている。

情報提供/東京都 生活文化スポーツ局

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