月刊バスケットボール1月号

「バスケを好きなまま卒業させることが私のポリシー」ミズノ スポーツメントール賞受賞の桜花学園高・井上眞一コーチ

バスケットボール界から初の選出!

優れた指導者に与えられる栄誉

 

 1990年度より、ミズノスポーツ振興財団が日本スポーツ協会、日本オリンピック委員会と共催で制定している「ミズノ スポーツメントール賞」。日本のスポーツ界に貢献した優れた指導者たちの功績を表彰するもので、その第33回となる2022年度、受賞者に選ばれたのは12名と1団体。その中の一人として、桜花学園高の井上眞一コーチ(元U18女子日本代表ヘッドコーチ)が選出された。なおバスケットボール界からの受賞は初めて。井上コーチは4月20日、都内で開催された表彰式・記念パーティーに出席した。


井上コーチは1946年生まれの76歳。1986年のインターハイ初優勝から2021年のウインターカップ3連覇までの36年間で、全国優勝70回を成し遂げた女子バスケ界の名伯楽だ。山田かがりや大神雄子、髙田真希、渡嘉敷来夢など、これまで育ててきた名選手は枚挙にいとまがない。現在、Wリーグの全登録選手182名のうち26名(14%)が桜花学園出身の教え子。東京2020オリンピックにおいても、5人制女子日本代表として髙田真希、三好南穂、馬瓜エブリン、3x3日本代表として馬瓜ステファニー、山本麻衣の計5名を輩出しており「卒業生の活躍はすごくうれしいです」と笑顔を見せる。

 

「軽い気持ち」でスタートした指導

全中6連覇から桜花学園へ

 

 今回の受賞に際し、井上コーチにこれまでの歩みを改めて振り返ってもらった。学生時代、「バスケットの指導者になろうとは考えていませんでした」という井上コーチは、早稲田大で「当時の厳しい上下関係に嫌気が刺した」とバスケ部を退部。卒業後は一般企業に就職した。しかし「残業ばかりで、毎日ネクタイをしなければいけない生活が自分には向いていませんでした」と3か月で退社。方向転換して教員試験を受け、名古屋市の中学校教員になる。当時、同好会や教員チームでプレーしており、全日本教員選手権大会で日本一も経験。そして「バスケットをやっているのなら部活の顧問をやってくれないかと頼まれ、軽い気持ちで引き受けた」ことが全ての始まりだった。

 

 最初に赴任した中学校は近隣にミニバスがなく、初心者の選手たちを一から指導。ファンダメンタルを身に付けることでぐんぐんと成長する選手たちを前に、井上コーチは指導の面白さにのめり込んでいく。また、最初は男子を指導していたが「男子の部員が少なくて、仕方なく女子を教えたんです。そうしたら女子の方が身体能力に頼れない分、教えたことをきっちりやるのだと感じました」。ミニバス経験者の多かった守山中に赴任したこともあってさらにレベルの高い指導が可能となり、198085年には守山中女子バスケ部を全中6連覇に導いた(※守山中は8687年にも優勝して8連覇達成)。

 

 6連覇後、名古屋短大付高(現在の桜花学園高)の当時の理事長から誘われ、専用体育館と寮を作ることを条件に中学から高校カテゴリーへ。「名短には守山中出身の生徒もいましたし、やることはあまり変わりませんでした」と、ファンダメンタルを大切にする指導は高校に移っても変わらなかった。驚くべきことに1年目の1986年にインターハイ優勝を果たすと、以来インターハイ25回、ウインターカップ24回、国体21回の計70回の全国優勝を達成。なお、名古屋短大付を指導しつつ同時に守山中を指導していた時期もあり、その頃はインターハイにも中学生を同行させ、高校生の試合が終わるとすぐに中学生を連れて現地の強豪中学と練習試合をするなど、忙しい指導の日々を送っていたという。

 

勝ち負け以上に大切にする

バスケットを愛する気持ち

 

 井上コーチは、「負けず嫌い」の才を持った指導者だ。どんなに日本一に立っても、シーズンの大会が全て終わるとすぐに新チームに目を向け、次のシーズンにどうすれば勝てるかを考えている。“燃え尽き症候群”とは全くの無縁で、「指導者を辞めたいと思ったことは?」との問いには「ないですね。面白いもん、バスケット」ときっぱり即答。それはもちろん性格的なものもあるだろうが、「良い指導者と悪い指導者の違いは、“意欲”があるかどうか」との考え方も、そうした熱量を支えているようだ。「毎年勝ち続けるためには、毎年勉強しなければいけない」と、年齢や実績を問わずさまざまなコーチから良いものを学び取ろうとする姿勢は、50年にわたる指導歴においても衰えることがない。

 

 ただ、そんな井上コーチにも、勝ち負け以上に大切にしている信念がある。それは「バスケットを嫌いにさせない」ということだ。「当たり前ですが選手は勝つための道具ではなく、一人の人間として大切にしたい。バスケットを好きな子たちがうちに来るので、絶対にこの子たちがバスケットを嫌いにならずに、好きなまま卒業して次に進めるようにする。それが私の一番のポリシーです。高校はあくまで、大学やWリーグへの通過点に過ぎませんから」

 

 それと関連して、大学時代にバスケ部を退部した自身の経験から「私は上下関係が大嫌いで、大学の卒業論文でもそのことを題材にしたくらい。だからチーム内の上級生と下級生の垣根は取っ払うし、練習が終わって寮に戻れば指導者と選手という垣根も取っ払います」と言う。寮で食事をするときなどは、選手たちも時に井上コーチにタメ口を使うほど距離感が近く、井上コーチ自身もそのフランクな関係性を「昔は娘とお父さん、最近は孫とおじいちゃん(笑)」と言い表す。多くの教え子たちが、卒業から何年たっても何かあれば井上コーチに電話をかけて相談し、何かと母校を遊びに訪れるのも、井上コーチとの近しい関係性あってのことだろう。

 

 燃え尽きることのない情熱を注ぎ込み、他の追随を許さないほどの優勝回数を誇りながらも、選手たちの将来、そしてバスケットを愛し続ける気持ちを何より大切にしている井上コーチ。未来への通過点となる桜花学園は、貴重な高校3年間を過ごした卒業生たちにとっても、井上コーチ自身にとっても、変わらぬ原点なのだ。


※井上コーチのインタビューは月刊バスケットボール7月号(5月25日発売)に掲載!



取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)

タグ: 月バス 桜花学園月刊バスケットボール

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