月刊バスケットボール1月号

中学(U15)

2023.04.15

四日市メリノール学院中・稲垣愛ヘッドコーチ指導者インタビュー「基礎基本の徹底で選手の成長を促す」[リバイバル記事]

写真:山岡邦彦(月刊バスケットボール)

驚くほど成長率が大きい中学カテゴリーのとりこに


2017年創部後、数年にして全中、Jr.ウインターカップで2度の優勝を成し遂げている四日市メリノール学院中女子部。その指導者が、かつて朝明中を率いて全中準優勝を果たした稲垣愛コーチだ。明るく、愛にあふれた指導で選手たちからも慕われる稲垣コーチ。指導者としてのこれまでの歩みや、大事にしているモットーを聞いた。
※『月刊バスケットボール』2021年12月号掲載記事を再編集した記事になります

【動画】連覇を果たしたJr.ウインターカップ2020-21&2021-22女子決勝ハイライトを見る

――バスケットボールを始めたのはいつ頃ですか?

小学4年生のときに転校した先の小学校にミニバスがあり、転校生ということで周りが誘ってくれて始め、バスケットに魅了されました。私は四日市出身で中学・高校と地元の学校でしたが、そこでも迷うことなくバスケ部に入りました。
 中学校の恩師は理科の先生で、叱るにしても一つ一つ納得のいく形で指導してくださる方でした。自分は能力もサイズもなくて大した選手ではありませんでしたが、能力に頼らないバスケットを指導していただき、どんどん楽しくなった感じです。中学、高校と全国には出ていませんが、高校で東海大会に出ました。

――そこから愛知大に進まれましたが、大学時代について教えてください。

中学や高校の恩師の影響で、子どもの頃から『将来は先生になってバスケットを教えたい』と思っていました。それで国語が好きだったので国語の教員になろうと、愛知大に。バスケットというより、国語の勉強がしたくて進路を決めました。
 大学時代は3、4年生のときに東海学生リーグのアシスト王になり、4年生のときに愛知大として初めてインカレに出られたことが印象に残っています。当時の東海地区は愛知学泉大がめちゃくちゃ強くて、周りの大学も体育大など強化している大学ばかり。その中で愛知大は、監督からあれこれ言われるというよりは自分たちで考えるチームでした。プレー面でもチーム作りの面でも自分たちでやっていくのは大変でしたし失敗もたくさんありましたが、インカレ出場という成功体験ができたことはすごく良かったです。

――その後、朝明中で指導することになった経緯を教えてください。

卒業後もまだもう少し選手としてやっていきたいなと思い、クラブチームを立ち上げて、会社勤めをしながら国体選手として何年かプレーさせていただきました。それでそのまま国体のスタッフになり、最初は成年女子の指導をしていたんです。
 その頃、中学校の恩師が朝明中の教頭になられたのですが、それがたまたま女子バスケ部の前任の先生が異動されるタイミングでした。その前任の先生もすばらしい指導者で、2004年には全中にも出ています。その先生が異動されるということで、外部コーチとして指導してくれないかと恩師に誘われたのがきっかけ。それが2007年のことです。

――成年女子と中学生とでは、指導の内容も方法も全く異なりますよね。

はい。中学生を教える経験がそれまで全くなかったので、最初は本当に手探りでした。成年と違って、中学生はそもそもバスケット用語が分からない。例えば「ディナイしよう」と言ってもディナイがどんなものか分からないので、手の位置はここ、視線はここ、重心の位置はここ…と一から教える必要がありました。ただ、中学生は教えれば教えるほど、驚くほどに成長する。たった1日でもガラリと変わるんです。気付けば成長率がすごく大きい中学というカテゴリーのとりこになりました。


取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)

タグ: 四日市メリノール学院中

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