月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2023.03.26

張本天傑インタビュー「マッチアップしたくないなと思ってもらえたらうれしいですね」[リバイバル記事]

バスケット人生のルーツは中国にあり


選手の生い立ちにフィーチャーしてインタビュー形式でその人生を振り返るこのコーナー。今回紹介するのは名古屋ダイヤモンドドルフィンズの張本天傑。中国にルーツを持つ張本は197㎝の長身ながら、学生時代から3Pシュートを含むアウトサイドの得点力を武器にストレッチビッグマンとして活躍。日本代表歴も豊富で、大学卒業後はトヨタ自動車を経てBリーグ開幕と同時に名古屋Dへ。安定感ある活躍でチームを支えている。 ※『月刊バスケットボール』2021年7月号掲載記事を再編集した記事になります

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――バスケットを始めた年齢ときっかけを教えてください。

小学2、3年生からバスケットを始めました。軍隊の元プロ選手だった父の影響が強いですね。生まれは中国で小学5年生くらいまでは向こうにいたので、バスケットを始めたのは中国のクラブチームです。最初は父に教わりながらドリブルなどをつき始めたのですが、入っていたクラブチームは小学生から大学生まで在籍していて、年齢関係なくメンバーを交ぜながらプレーしていました。高校生や大学生がコートでプレーしている中で、僕らは端の方でドリブルをつくみたいな。『スラムダンク』の桜木花道的な感じでした。

最初はハマらなかったですね、半強制的という感じで特に何が楽しいという感じではなかったと思います(笑)。 バスケットが楽しいなって思い始めたのは中学で部活動に入って、大会などに出始めたときくらいです。中国では当時、大会などはなく基礎練習中心の日々だったので、試合に出る楽しさを覚えてから『バスケットって楽しいな』と思えるようになったんです。

――日本に来たのはどういった経緯だったのですか?

両親が日本で仕事を始めることになったのですが、最初僕は中国にあるおばあちゃんの家で1人、下宿生活をしていました。その後、親の仕事もだんだん安定してきて、日本で一緒に暮らすことになったんです。日本は本当に住みやすいというのが第一印象で、僕が日本に来た2日後が地元の小学校の入学式の日でした。右も左も分からない状態でしたが、僕もそのタイミングで小学校に入りました。僕は当時から性格的にも明るいキャラクターだったので友達もすぐできましたし、日本語を覚えるのも早い方だったと思います。 最初は岐阜県の可児市というところに住んでいて、その後、中学からは親の仕事の都合で愛知県に引っ越しました。

――当時から身長は高かったですか?

そうですね。中学入学時点で178cmくらいで、卒業する頃には193cmくらいだったのでゴリゴリのセンターでした(笑)。成績的には地区大会の2回戦、3回戦進出くらいでしたが、元々は結構メンバーもそろっていて地区優勝を狙えるレベルだったんですよ。でも、僕らが3年生になるときに新しい中学ができることになって、主力選手の半分が新しい学校に行ってしまって…。惜しかったですね。

――当時、得意だったプレーはやはりゴール下ですか?

そうですね。得意だったのはリバウンドとゴール下のシュートで、走るのは苦手でした。僕の実家は中華料理屋なので、中学時代は基本的に家でも中華料理を食べていました。だからずっと油がおなかの中に残っているような感じで、結構太っていて。…自分で言うのもなんですけど、めっちゃ貫禄のある少年だったんですよ(笑)。



取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

タグ: 張本天傑 Bリーグ

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