月刊バスケットボール6月号

【ウインターカップの思い出】 ー津屋一球ー 「負けたのは自分の責任」という冬の苦い記憶が這い上がるきっかけに

「負けたのは自分の責任」という冬の苦い記憶が這い上がるきっかけに

 

 東海大時代にはキャプテンとしてチームをインカレ優勝に導き、陸川章監督に「東海大の魂」と言わしめた津屋。その活躍がファンの間で「津屋ってる!」というフレーズで表現されるなど、闘志むき出しのプレーで見る者を引き付ける熱い男だ。

 

 三遠ネオフェニックスの特別指定選手として202012月にBリーグデビューを果たした後も、すぐに主力の一員として活躍。今シーズンからは過去2季過ごした三遠を離れ、強豪・サンロッカーズ渋谷を新天地として新たな挑戦を続けている。なお、普段から両耳難聴のために補聴器を付けてプレーしており、大学2年生だった2018年には「U21デフバスケットボール世界選手権」で日本を準優勝に導いて大会得点王とMVPに輝いた。

 

 そんな華々しい経歴を持つ津屋だが、高校時代を振り返れば決して順風満帆とはいえなかった。高校1年時の途中からスタメンに抜てきされたものの、初のウインターカップは「緊張し過ぎてダメダメでした」と市船橋に初戦(2回戦)敗退。続く2年時もインターハイ初戦(2回戦)敗退、ウインターカップベスト16と思うような結果を得られず。さらに3年時のインターハイ府予選ではライバルの東山に敗れ、初出場の1971年から45回続いた連続出場を途絶えさせることになった。こうして津屋は、過去経験したことのない不遇の夏を過ごし、最後のウインターカップに挑む形となったのだ。

 

 その2016年のウインターカップでは、2回戦でインターハイ3位の福島南と対戦し、延長戦の末に62 – 60で勝利。試合後、津屋を筆頭に洛南の選手たちはうれし涙を流し、彼らの姿からはこれまでの屈辱や背負ってきた重圧が伝わってくるようだった。


 



 しかし続く3回戦では、延岡学園相手に4Qで一時15点リードしながらも、相手の猛追を許してしまう。1点差で迎えた延岡学園のラストプレーは、津屋が決死のブロックで止めたものの、そのこぼれ球をタップでねじ込まれてブザービーターで逆転負け(67 – 68)。試合後、「どこかで油断があったと思います。良いディフェンスをしてシュートを落とさせているのに、リバウンドを拾われてしまいました。負けたのはゴール下やフリースローを外した自分の責任です」と津屋はうなだれた。

 

 それでも「悔しい思いをして、もっと頑張らなければと這い上がるきっかけになった大会」と振り返るように、高校卒業後から現在に至るまでの輝かしい実績は先述のとおり。ウインターカップで悔やんだリバウンドやシュートの決定力はその後、逆に津屋の武器とも言えるほどになり、常に油断なく集中して、攻防にわたりハードワークできる選手へと成長を遂げた。どん底を味わったウインターカップの苦い記憶は、津屋にとって飛躍につながる原点となったようだ。

  

 \津屋一球選手から応援メッセージ/

悔しい思いをするのはいいけど、悔いを残すことはしないように全力出し切ってください。チームメイトやコーチ、家族に感謝してバスケットを楽しんでください!!


[津屋一球選手 ザムスト着用アイテム]

アームスリーブ

腕全体を中心方向に圧迫することにより、筋肉のムダな動きを抑えパフォーマンスをサポート。
皮膚温に反応して生地が汗を乾かす量を調整する体温コントロール機能に加え、優れた伸縮性を持つ繊維、ライクラ®ファイバーを採用し、快適なフィット感とサポート力を実現。
※ライクラ®(LYCRA®)はThe LYCRA Companyの商標です。





アームスリーブをつけていると適度な圧迫感があるので、疲れにくいと思っています。僕は力を抜いてシュートを打つので、そういう意味ではすごく助かっています。今となってはないと違和感があるぐらいフィットしています。


[ザムスト 部活生向け特設サイト]



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