月刊バスケットボール5月号

今週の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.10-1

  NIKE DUNK FLYKNIT ナイキ ダンク フライニット   文=岸田 林 写真=石塚康隆   ストリートのマストアイテムとして 根強い人気を誇る名作   1985年は、ナイキのバッシュにとってターニングポイントとなった年だ。この年の春、マイケル・ジョーダン(元ブルズほか)の名を冠した初代「エア ジョーダン(AJ)」が大ヒット。するとナイキは“NBAが禁止した” (※下記参照)カラフルなバッシュのトレンドをカレッジバスケの世界にも持ち込もうと、「BE TRUE TO YOUR SCHOOL」キャンペーンを展開。その一翼を担ったのが、今回紹介する「ダンク」だ。   米国でのカレッジバスケ人気はすさまじい。毎年3月にクライマックスを迎えるNCAAトーナメントの盛り上がりを指す“マーチマッドネス”という言葉も存在し、地域や世代によって、その人気はNBAをも上回る。この熱狂に着目し、ナイキ社内で「カレッジカラープログラム」というプロジェクトが立ち上がったのは84年のこと。全米各地の有力なカレッジチームと契約を結び、そのチームカラーをあしらったシューズとアパレルをセットで展開するというものだった。   最初にこのプログラムへの参加を決めたのは、名将ジョン・トンプソン率いるジョージタウン大。後にNBAドラフト1位でニックスに指名されるパトリック・ユーイング(元ニックスほか)らが在籍したこの強豪校のため、ナイキは特製のバッシュ「ターミネーター」を提供。これをきっかけに、ナイキは続々とトーナメント常連校と契約を締結し、それぞれのチームカラーをあしらったバッシュの発売を決定していく。そのデザインを手掛けたのは、初代AJのデザイナーとしても知られるナイキ幹部のピーター・ムーアで、開発中に「カレッジカラーHI」と呼ばれていたバッシュの正式名称が「ダンク」と決まったのは、発売直前のことだったという。   おそろいのシューズを履いた強豪校は、それだけで強そうに見えるもの。ナイキの狙いは当たり、80年代中盤、NCAAトーナメントでは多くのスターが「ダンク」を履いて躍動した。例えばアリゾナ大では、ショーン・エリオット(元スパーズ)やスティーブ・カー(現ウォリアーズHC)らが赤×白の「ダンク」を着用し活躍。ほかにも、セント・ジョンズ大のマーク・ジャクソン(元ペイサーズほか)、カリフォルニア大バークレー校のケビン・ジョンソン(元サンズほか)らが「ダンク」を履いてプレイし、NBAへと羽ばたいていった。   その後90年代、競技用シューズとしての役目を終えていた「ダンク」に、意外な形で注目が集まり始める。日本のストリートファッションにおけるヴィンテージバッシュブームだ。96年8月付けの米News & Records紙には、少しでも他人と違うものを身に付けるため、大枚をはたいて履き古しのスニーカーを買おうとする日本人の様子を下記のように報じている。 (つづく)   ※一般には「初代AJは、カラーリングがNBAの規定に違反していたことから、試合での着用を禁じられた。それでもジョーダン(とナイキ)はNBAに罰金を払いながら黒×赤のAJを履き続けた」との説が流布されている。だが、実際ジョーダンは黒×赤の初代AJを公式戦では一度も着用しておらず、NBAが罰金を科したという記録も残っていない。   (月刊バスケットボール)

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