月刊バスケットボール5月号

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2022.10.22

【全文掲載】開志国際高からコーチ目指してアメリカへ! 北本愛貴インタビュー

 開志国際が創部5年目でインターハイ初優勝を飾った2018年。その年、インターハイ直前に、ベンチ入りしながらも自ら引退を決意した3年生がいた。開志国際高バスケ部の3期生、北本愛貴。現在は指導者になることを目指し、カリフォルニア州立大ロングビーチ校に留学中だ。コロナ禍や物価上昇などで留学する学生たちも減っている現在、苦労しつつも刺激あふれる異国の地で奮闘する生の声は貴重なもの。今回は9月24日に発売した『月刊バスケットボール11月号』にて特集した北本のインタビューを、全文掲載する!

 

 

■Profile

きたもと あいき/2000年5月20日生まれ/香川県出身/綾歌中→開志国際高→カリフォルニア州立大ロングビーチ校

 

――バスケットボールとの出会いと、小・中学校時代のことを教えてください。

 

 バスケを明確に何歳から始めた、というのは覚えてないんです。父(北本真司コーチ)が中学校でバスケットボール部の監督をしていた影響で、小学校に入る前、物心つく頃にはもうボールを触っていたと思います。ミニバスは地元の小学校のチームで、県の2位まで行って全国大会には出られませんでした。中学校は、父が監督をしていた香川県の綾歌中学校に進学して、3年間バスケ漬けの日々を送りました。

 

――中学2年生のときには地元開催の全国中学校大会に出場しましたね。そのときの思い出はありますか?

 

 全中出場を決めた県予選が印象深いですね。その年は開催地だったので、県の優勝チームに全中出場権が与えられました。決勝はライバルチームの香東中との対戦で、最後の方まで負けていて。でもほぼブザービーターで逆転勝ち(29-28)しました。それはものすごく嬉しかったです。全中は、小学生の頃から試合をしたことがある体育館だったので緊張はしなかったのですが、決勝トーナメントの1回戦で梅丘中に敗れました。

 

――中学卒業後は地元を離れ、新潟県にある開志国際高に進学しました。

 

 中学生の頃から将来はアメリカに留学したいと考えていて、開志国際ならそういう準備ができると。父と富樫英樹先生のつながりもあり、入学することになりました。

 

――アメリカに留学したいという希望は、中学時代からあったのですね。

 

 小学生の頃はプロ選手になりたかったのですが、中学時代に現実を知ったというか…。もともと戦術などを考えることが好きだったこともあり、次第にプロ選手ではなくコーチになりたいと思うようになりました。それで、バスケットボールの本場はアメリカですし、留学してコーチングを勉強したいなと。自分はとりわけ頭が良いとか、プロになれるほどうまいわけでもないので、ずっと日本にいたら周りの人と差別化もできない。バスケットが一番進んだ国で勉強することで、何かほかの人と違うものが見出せるかもしれないと考えました。

 

――高校時代はバスケットボールと留学準備を並行してきたのですね。どんな3年間でしたか?

 

 1年生の頃はずっとBチームで、2年生の途中でケガした選手の代わりにAチームの練習に入ったら、たまたま調子が良くて、そこからベンチに入り始めました。それに恐らく、プレーというよりそれ以外の面、誰よりも真っ先に動くなど周りへの気遣いなどを評価していただいたのかなと。苦しいときに声を出したり、水を配ったり、床を一番に拭きにいったり。そういう気遣いは幼少期から両親に教わってきて自分も自信があるところですし、そこを見てもらえたことは本当にありがたいことだなと感じていました。

 ただ、2年生の冬に新チームになったタイミングで、富樫先生にも「そろそろ留学準備に本腰を入れたいです」と話をして。それで、授業が早めに終わる水曜と金曜は部活に行かず、勉強に集中させてもらうことになりました。水曜と金曜は自分の授業が終わった後に国際コースという違うクラスの英語の授業を受け、そのままALT(外国語指導助手)の先生と英語の勉強をする、というスケジュールでずっとやっていました。

 

ーー徐々に勉強にシフトしていったのですね。

 

 それでも試合ではベンチに入れてもらい、本当に先生たちには感謝しかありません。ベンチに入らせてもらっているからには、勉強だけでなくバスケットやそれ以外の面も頑張って、何かしらチームに貢献したいなと。そう心掛けながら半年ほど勉強とバスケットを両立していました。その後、富樫先生とも話して、夏のインターハイ県予選を最後に引退しようと決めて。県で優勝したのを見届けて、プレーヤーとしては引退しました。

 

ーー全国初優勝となったインターハイの直前に、引退したのですね。英語の勉強はどのように進めましたか?

 

 留学のために超えなければいけないTOEFLの点数があって、絶対に年内までにはクリアしようと目標を立てて勉強していました。とにかく継続することを意識して、勉強漬けの毎日。すごく効果的だと思ったのは、放課後に毎日、ALTの先生と勉強させてもらったことです。ALTの先生に嫌われるんじゃないかというくらい(笑)、毎日しつこく『ここ教えてください』と質問に行きましたね。アメリカ人の先生なのですが、僕のために『君とは英語でしか話さないよ』と。英語に関しては、本当にその先生に助けられました。

 

ーー大学はどのように決めたのですか?

 

 無事にTOEFLの点数をクリアし、いざどこの大学に出願しようかと悩んだのですが、絶対に譲れない条件としてディビジョン1のバスケに力を入れている大学に行きたいなと。それでいくつかの大学に応募した中で、開志国際でトレーナーをしている菊元則孝さんがカリフォルニア州立大出身だったこともあり、ロングビーチ校に行こうと決めました。

 

ーー合格通知が来たときはどんな心境でしたか?

 

 卒業式のあとに3年生の送別会があって、ちょうどそのときに合格通知が届いたので、すごく嬉しかったですし周りも喜んでくれましたね。

 両親も喜んでくれました。本当に両親には感謝しかなくて、ずっと自分のやりたいことをさせてくれています。高校も県外に行かせてもらったし、留学のお金の面などもサポートしてくれているし。自分の夢を応援してくれる両親で、ありがたいなと思います。

 

 

――渡米したのはいつですか?

 

 実際に学校で授業が始まるのは9月や8月の終わりですが、その前の3か月間は、その大学にある留学生のための英語のクラスみたいなのに入ったんです。渡米していきなり授業が始まるより、ちゃんと3か月勉強して準備しておいたほうが対応できるかなと。それで5月の後半、ちょうど自分の誕生日である5月20日に渡米しました。

 

――実際に行ってみて、もちろん最初は英語の面でも苦労されたかと思いますが。

 

 そうですね。やっぱり試験の英語と、ネイティブが普通に話す英語って全然違くて…。英語は好きだったので『話したくない』という気持ちはないのですが、周りの言葉のスピードが速すぎて聞き取れないし、自分の言いたいことを思うように伝えられない。授業に付いていくのも大変でした。

 

――それはどう乗り越えていったのですか?

 

 甘えてしまわないように日本人の友達はほとんど作らず、寮やバスケ部の人たちと積極的にコミュニケーションを取りました。よく分からなくても、とにかく話さなければいけない厳しい状況に身を置いて、無理やり頑張るうちに少しずつ慣れていった感じですね。それに寮の友達がみんなすごく優しくて、僕の宿題なども手伝ってくれました。大学に入って、周りの人にすごく恵まれたなと思います。

 

――バスケットボール部にはすんなりと入部できたのですか?

 

 最初、バスケ部に入りたくてもどこにお願いすればいいのか分からなかったのですが、ラッキーなことに寮のサービスセンターみたいなところで働いていた人が、元バスケ部だったんです。それで聞いたら、『ここにコーチたちがいるから行ってみたら』と。早速、アポ無しでヘッドコーチのオフィスのドアをノックして、拙い英語で『バスケ部に入りたい。何でもするから入れさせてください』と直談判し、幸いマネジャーとして1年目から入れてもらえることになりました。

 

――情熱が伝わったのですね。入ってみてどんなことを感じましたか?

 

 自分の知る日本のバスケとは、環境など含めいろいろなところが違うなと感じました。アメリカは大学バスケの熱がすごくて、学生チームであってもプロフェッショナルの集団です。バスケットには本当に厳しくて、練習中は選手たちもケンカ腰でバチバチですし、コーチたちの要求も高い。覚悟はしていましたが、それ以上に厳しい世界なんだと衝撃でした。

 

ーー渡米してから苦労したことは何ですか?

 

 いろいろありますが、やはり最初の2年間はキツかったですね。先ほども言ったように英語ができなくて、あえて退路を絶って周りに日本人がいない状況に身を置いていたので…。それに新型コロナウイルスの問題もありました。僕が渡米して最初の秋学期はそこまで大きな影響はなかったのですが、春学期の後半くらいから感染が拡大して、1年間ロックダウン。いろいろな活動が止まり、僕は日本に帰らず寮に残ったのですが、周りに誰もいなくて何もできない。未知のことで不安も大きかったですし、最初の2年間は思った以上に精神的につらかったです。

 

 

――今はマネジャーとして普段どういう活動をされているのですか?

 

 練習中はフロアを拭いたり水を出したりリバウンドを拾ったりといったマネジャー業務ですが、今は練習外で選手のワークアウトやトレーニングを任せてもらえるようになりました。それはすごく恵まれていますね。ワークアウトをして、フィードバックを受けて、改善してまたワークアウトをする。その積み重ねをして選手が良くなっていくことに、すごくやりがいを感じます。あとは今年から、チームで行うスカウティングの『フィルム』もやらせてもらえることになり、映像を見てまとめたりしています。

 

ーーシーズン中はかなり忙しそうですね。

 

 正直、ものすごく忙しいです。授業もありますし。だいたいのスケジュールでは、まず朝6時から11時までバイトをして、12時から14時まで授業、14時から17時までチーム練習、18時から20時まで個人の夜練。そのあと20時から22時の間で、ジムに行ったり、フィルムの作業をしたり、授業の課題をやったり。そして翌朝も早いので、23時までには寝るようにしています。これが平日で、土日はバイトがないので、朝から何人かの選手とワークアウトしたりトレーニングしたり。あとは平日あまりまとまって勉強する時間が取れないので、土日に集中して課題や勉強をやります。アメリカに来てから、1日オフということはないですね。ただ、もし空き時間などができれば、ルームメイトとどこかに遊びに行くこともあります。

 

ーー朝から晩まで予定がぎっしりですね。どんなときにやりがいや充実感を感じますか?

 

 毎日が刺激的ですし、やはり選手をコーチングしているときに、やりがいを感じます。あとはいろいろな人たちとの出会い。例えばこの夏のオフシーズン期間にもインターンに参加して、アメリカのトップレベルで活躍するコーチの方々からいろいろ教わることができました。この夏は本当に自分がコーチとしてレベルアップしていることを感じられたし、最近は、今までやってきたことが本格的に動き出したなと思える感覚があります。自分が学んできたことを選手にアウトプットできる環境が、すごくうれしいです。

 

――インターンというのはどのような活動をされたのですか?

 

 5月から6月までの約1か月間、東藤俊典さんのご紹介もあって2つのインターンに参加したんです。クリッパーズのスキルディベロップメントコーチをやっていたコーチ・デイブ(Dave Severns)と、コービー・ブライアントをはじめいろいろなNBA選手のスキルコーチをしていたコーチ・マイク(Mike Procopio)がやるキャンプのお手伝いをさせてもらいました。NBAのドラフトに選ばれるようなトップ選手が集まってワークアウトやトレーニングをするキャンプで、たった1か月でも自分の知識や考え方が本当に広がったと思います。コーチ・マイクには今でも週1回、Zoomで『今週こういうことがあったのですが』と報告してアドバイスをもらっているんです。面倒を見てもらい、師匠のような存在です。

 また、そのインターン期間中、岡本飛竜さんが同じ場所で別のワークアウトに参加されていて、『ぜひ自分とワークアウトをしませんか』と挨拶に行きました。それから2週間、飛竜さんのワークアウトも手伝わせてもらい、今でも連絡を取り合っています。本当に、こうした貴重な出会いには感謝です。

 

――世界トップレベルに触れて、例えばどんなことを学びましたか?

 

 バスケットの話になりますが、例えばいかにゲームをシンプルにするかが大事だということ。今はYouTubeなどでも、ドリブルを何回もついて、ステップして、みたいな複雑な技術がたくさん出てくるじゃないですか。でも実際に試合となったら、そういう複雑なプレーって本当に1%とか2%にしかならない。残りの98%は、キャッチ&シュートだったりワンドリブルジャンプシュートだったり、基本中の基本のムーブ、本当にシンプルなプレーなんです。そこに選手をフォーカスさせる、シンプルなプレーこそ大事にするような意識付けを選手にしていくことが、NBAのようなトップレベルの世界でも重要なのだなと学びました。

 

ーー選手やコーチを目指して留学したいと考えている中高生に向けて、何かアドバイスはありますか?

 

 何もアドバイスなどできる立場ではないんですが(笑)、でも伝えたいのは、ただアメリカに来たからって、何かが劇的に変わるわけではないということ。アメリカに来てからどうするかに、フォーカスすることが大事だと思います。アメリカに来ることがゴールではなく、本当にそこからがスタートですから。

 逃げ道をなくして挑戦すると、つらいなと感じることも時にはあるかもしれませんが、支えてくれる人たちを思い出して目標に向かって行動することが大事なのかなと思います。僕自身も、最初の2年間は本当にキツくて心が折れそうになりましたが、そんなとき頭にあったのは自分の目標と、何より支えてくれる人たちの存在です。特に両親は、昔から僕のやりたいようにさせてくれて、僕の夢をずっとサポートしてくれている。支えてくれる人たちに恥ずかしく思ってもらいたくない、という思いが大きなモチベーションになりましたね。

 

――最後に、今後の目標を教えてください。

 

 今の目標は、NBAにコーチとして入ること。そのためにひたすら突っ走ります!

 

 

○取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール) ○写真/本人提供

※取材日は日本時間8月24日

 



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