月刊バスケットボール5月号

有明アリーナの想い - 香西宏昭(車いすバスケットボール、NO EXCUSE所属)インタビュー

 車いすバスケットボールで2008年の北京大会以降のパラリンピックに4大会連続出場を果たした香西宏昭。直近の東京2020大会では、ともに大会1位の3P成功率51.9%と成功数14本(1試合平均1.8本)という好成績を記録し、銀メダル獲得という快挙を成し遂げた日本代表のエースとして活躍した。

10月9日の有明アリーナ。東京ユナイテッドバスケットボールクラブ(以下東京U)がさいたまブロンコスを迎えて開催したクラブ初のホームゲームに、香西の姿もあった。この場所は昨夏香西たちが銀メダルを手にした晴れの舞台なのだ。

 

 あの日——決勝戦が無観客で行われた2021年9月5日——は関係者以外誰もいなかった場内が、この日は9,295人ものファンで埋められていた。車いすバスケットボール教室の講師を担当し、来場したファンたちと体ごとコミュニケーションを取りながら競技の楽しみを伝えていた香西はどんな思いだっただろう? コメントを求めてみた。

 

香西宏昭 
1988年7月14日生まれ(千葉県出身)。先天性両下肢欠損(膝上)があったが、小学6年(12歳)で車いすバスケットボールを始めると、17歳だった2005年にU23日本代表の一員として世界選手権で銀メダルを獲得。同年A代表にも選出され、2006年にはフル代表の世界選手権に初出場を果たした。高校卒業後の2010年にイリノイ大に留学。2012年・13年と全米大学リーグで2年連続MVPに輝いている。卒業後の2013年以降は長くドイツのブンデスリーガ1部を活躍の舞台とし、いったん帰国後の2022年にはRSV Lahn-Dillに所属してリーグ制覇を成し遂げた。日本国内のチームはNO EXCUSE。車いすバスケにおけるクラス分けは3.5ポイント。自身の活躍に加えてこの競技における第一人者として、普及・発展を推し進めるリーダーの一人だ。

 

全バスケットボールカテゴリー全体として日本を元気にしていけるように


——東京Uのホーム開幕戦で、銀メダル獲得の舞台となった有明アリーナに、車いすバスケ教室でも大勢の人々が参加しました。率直な感想はどんなものでしたか?


東京パラリンピックをきっかけに車いすバスケットボールを多くの方々に認知していただいて興味を持っていただいたり、試合の応援に足を運んでくださっていることを実感しています。今回の体験教室にもたくさんの皆さんが体験に来て、笑顔で楽しそうにしている姿を見ると僕も楽しくなりました。銀メダルを決めた有明アリーナで、車いすバスケットボールにかかわる企画が走り始めたことに大きな意味があると思っています。
男子車いすバスケットボールがパラリンピックで初めてメダルを獲得した有明アリーナは、まさに「聖地」ともいえる特別な存在です。素晴しい経験をさせていただいたからこそ、この地で継続的に活動をさせていただくことが、レガシーのバトンをつなぐ大切な役割だとも思います。

 


ときに言葉を交わし、身振りを入れて、香西は参加した人々に丁寧な指導をしていた

 


——今、どのような目標を持って日ごろの練習や、ファンとの交流活動、競技の普及活動に臨んでいますか?


練習については、まず1月に控えている天皇杯を「日本一のチームワークで優勝」するべくクラブチーム「NO EXCUSE」の仲間たちと共に日々成長を目指して活動しています。また、日本代表ではパリパラリンピックでのメダル獲得を目指しています。メダルを2大会連続で獲得する、つまりは勝ち続けるという挑戦です。

 ファンとの交流活動という意味では、一番は感謝の気持ちを表現したり、お伝えすることを考えています。東京パラリンピックは無観客開催でした。興味を持っていただいたけど試合に行けない、という状況でした。パラリンピック終了後も新型コロナウィルスの影響を受け、なかなか大会が開催できないこともありました。
少しずつ大会やイベントが増えていっているので、プレーで魅せることやイベントでも楽しんでいただくことを通じて、もっと車いすバスケットボールにのめり込んでもらえるように、と思っています。
普及活動に関しては、僕は12歳で車いすバスケットボールを始めることができ、そこから多くの素晴らしい出会いを経て、イリノイ大学留学やブンデスリーガ参戦という可能性と選択肢が広がっていきました。今度は僕がそのきっかけを作る側になって、次の世代、そのまた次の世代に繋いでいく活動をしたいと思っています。それが、ブンデスリーガのチームと契約をせず帰国をした理由なんです。
これからは、日本を回りながら地域の活動を学びつつ、車いすバスケットボールの楽しさをより多くの様々な方に伝えていけるよう、自分のきっかけにもなったNPO法人Jキャンプの一員として活動予定です。


——東京Uの開幕戦の大盛況を見ると、何かのきっかけでこれまで集客には苦戦していたB3でも急激なステップアップが起こりうることがわかります。その観点からは、どのような感想を持ちましたか?


初めてB3の試合を観戦したのですが、B1の試合を上回る集客数記録を更新したのは本当にすごいことだと思います。実は少し前から、東京Uの皆様と車いすバスケを通じた今後の企画を話し合わせていただく機会に恵まれる中で、地域に愛されるクラブを目指して、試行錯誤をしておられる様子を目の当たりにさせていただきました。
実際開幕戦を二日間とも拝見させていただいて、無料招待をしたからと言ってすべての方が足を運んでくださるわけではない中で、ここに来てみたいと思えるような様々な仕掛け作りもされていることを感じました。
そして、実況の方が分かりやすくさりげなくルール説明を加えるなど、初めてきた方も楽しめる工夫もされていると思いました。車いすバスケットボールもまたご一緒させていただけたら光栄ですし、これを学びにつなげていけたらと思っています。


——ファンだけでなく、競技関係者・メディアなどバスケコミュニティーの人々に伝えたいメッセージがありましたら、ぜひお聞かせください。


新型コロナウィルスが猛威を振るってからというもの、僕たちは「繋がる」ことがしづらい状況になってしまいました。でもスポーツには人と人を繋げる力があると思います。一緒にスポーツをしたり、応援したり、支えたりすることで輪が大きく広がっていきます。バスケットボールと車いすバスケットボールも繋がっていけたらなと思っています。
全てのバスケットボールカテゴリー全体として日本を元気にしていけたらなと思っています。

 


「今度は自分が次世代の飛躍のきっかけを作る番」と香西は力強く語る


取材・文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)



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