月刊バスケットボール5月号

今週の逸足『FILA GRANT HILL 2』

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回は、グラント・ヒルのシグニチャーモデル『グラント ヒル2』を取り上げる。   文=岸田 林 Text by Rin Kishida 写真=石塚康隆 Photo by Ishizuka Yasutaka  

  バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回は、グラント・ヒルのシグニチャーモデル『グラント ヒル2』を取り上げる。   「 ケガさえなければ」、というフレーズこそ付きまとうが、グラント・ヒル(元ピストンズなど)は間違いなくNBAの歴史に残る才能の持ち主だ。 オールラウンドなスキルと、バスケットボールIQの高さを生かしたクレバーなプレー。加えて育ちの良さを感じさせる知性的な話しぶりとスマイルは好感度抜群で、ゼネラルモーターズ(GM)、シックといった大企業のCMに引っ張りだこだったことも頷ける。   1995年のオールスターで新人ながらファン投票1位を獲得したとき、誰もが、マイケル・ジョーダン(元ブルズなど)引退(一度目)後のNBAを救うのは彼だと確信していた。そんなヒルが当時 、“ギャング”と交流があった、といったら意外だろうか。 ヒルの父親カルビンは名門イェール大学出身で、NFLダラス・カウボーイズのスター。母親ジャネットも、大学時代にヒラリー・クリントンとルームメイトだった才媛だ。そんな恵まれた家庭で育ったヒル自身もまた名門デューク大学に進学し、クリスチャン・レイトナー(元ウルブズなど)らとともにチームを4年間で3回NCAAトーナメント決勝に導いている(うち2回優勝)。
まさに文武両道のエリートだった彼は、ピストンズからドラフト指名された1か月後、フィラと5年契約を締結。契約にあたってヒルは、生まれ故郷デトロイトへの120万ドルの寄付と、子どもたちのためのサマーキャンプ開催を求めたというから頭が下がる。その優等生ぶりは「ロールモデルを引き受ける気はない」とナイキのCMで公言して物議をかもしたチャールズ・バークリー(元サンズなど)と対比された。   1994‐95シーズン、ヒルは期待にたがわぬ活躍を見せ、新人王をジェイソン・キッド(元ネッツなど)と分け合った。初のシグニチャーモデル『グラントヒル』も登場。ハイテク過剰気味だった当時のバッシュの中で、ネイビー、白、赤を基調としたシンプルなデザインは新鮮に映った。ヒップホップミュージシャンのメソッド・マンがPVで『グラントヒル』を着用すると、ストリートでのフィラ人気にも火が付いた。これが全くの偶然だったことは、ヒル本人がのちに米オンラインニュース『ミシガンライブ』のインタビューで明かしている「 僕は彼(メソッド・マン)のファンではあったけど、知り合いではなかったんだ。(『グラントヒル』がPVに登場したことは)僕が起こしたわけではなかった」   この出来事に感激したヒルは、発売前の新作シグニチャーシューズを、自分の好きなミュージシャンにプレゼントすることを思いつく。そのうちの一人が、2PACことトゥパク・シャクールだった。ニューヨーク・ハーレム出身の2PACは、若くしてシーンで注目を集めていた俳優・ラッパーだ。だがその言動は“問題児”のレベルを超え、ギャングスターそのもの。ドラッグ、暴力は日常茶飯事、ファンへの暴行や、警官を狙撃するなどの容疑でたびたび逮捕・勾留され、自身も銃弾を5発も被弾する事件に巻き込まれたこともある。スラング満載の歌詞は名誉棄損で告訴され、彼の曲に影響されたという少年による警官射殺事件が発生すると、当時のクエール副大統領が2PACのアルバムを店頭から撤去するようレコード会社に迫った。
そんな過激な音楽を、あの優等生のヒルが好んで聴いていたのだという。「 彼(2PAC)が知られ始めたころ、共通の友人がいて、ただ単に好意でシューズを何足か贈ったんだ。こんなことが起こるなんて想像もせずにね」 迎えたプロ入り2年目のオールスター。現役復帰したジョーダンを僅差で抑え、2年連続でファン投票1位に選出されたヒルは、名実ともにNBAのスーパースターとなった。ヒルはこの試合、新作の『グラントヒル2』を履いてプレー。   そして2PACのアルバム『All Eyez On Me』がリリースされたのは、その2日後だった。CDのブックレットには、デニムのセットアップに『グラントヒル2』をコーディネートし、靴底のフィラのロゴを見せつける2PAC の写真が掲載されていた。現在のように大手スポーツブランドがミュージシャンと契約することが一般的ではない時代。2PACは、ただ純粋にヒルから贈られたシューズを気に入り、撮影で使ったのだ。「 彼がアルバムのカバー写真で(『グラントヒル2』を)履いているのをみて、本当にクールだと思った。いい時代だったね」   住む世界が違うはずの2人のスターが、音楽と1足のバッシュを通じて交流した瞬間だった。結果的に全米で500万枚以上を売り上げたアルバムの宣伝効果 は絶大で、メジャーブランドに飽きていた少年たちにとって、フィラは新たなマストアイテムとなった。『 All Eyez On Me』がヒットチャートをにぎわせていた1996年9月7日、2PACはラスベガスでのボクシング観戦後の帰宅途中を銃撃され、6日後に死亡。真犯人はいまだ明らかになっておらず、2PACはヒップホップ界の伝説となってしまった。   一方のヒルは2000年、マジックへの移籍直後に足首を骨折。以降はケガに悩まされながら2013年まで現役を続けた。現在は解説者として、そしてアトランタ・ホークスの共同オーナーとしてNBAに関わっている。2017年に2PACの伝記映画が公開されたことをきっかけに、2PACが常に身に着けていたペイズリー柄のバンダナをモチーフにした『グラントヒル2』が復刻されている。若き日の思い出があしらわれたこの一足を、ヒルはどんな気持ちで見つめるのだろう。
    月刊バスケットボール2018年5月号掲載 ◇一足は手に入れたい! プレミアムシューズ100選http://shop.nbp.ne.jp/smartphone/detail.html?id=000000000593     (月刊バスケットボール)

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