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2021/03/11

⼩野寺祥太(琉球ゴールデンキングス、岩手県出身) - 3.11の思い

このページの原稿は、「東⽇本⼤震災から 10 年を迎えて」というタイトルで琉球ゴールデンキングスから送られてきた、岩⼿県出⾝の⼩野寺翔太選手の手記を原文のまま掲載します。

 

©B.LEAGUE

 

 10 年前の東⽇本⼤震災の時、⾃分の地元は沿岸部ではなく津波の被害はありませんでしたが、周りの建物が倒壊したり電気やガスが⽌まってしまったりしていて、とても不安でした。
 地震や津波はもちろん⼤変でしたが、地震後の⽣活が⾮常に苦しかったことを覚えています。⽕や電気が使えなくなり、温かいものを⼝にすることはほとんどできず、⾃宅にあった⾷料も 1 週間⾜らずでなくなり、市役所の前で配給している⾷べ物をもらいに⾏っていました。⼀番きつかったのが、⽔の確保でした。飲み⽔はもちろんですが、トイレを流す⽔やお⾵呂に使う⽔などはほとんどない状況が⻑らく続きました。
 今でも当時の状況を振り返って、準備をしておくことの⼤事さを改めて感じています。
2 ⽉ 13 ⽇にも福島沖で震度 6 の地震が発⽣し東⽇本⼤震災を思い出した⽅もいると思いますし、準備していた⼈やそうでない⼈もいたと思います。⽇頃から備蓄や準備というのは⼼がけていってほしいと改めて思いました。
 ⾃分がプロに⼊ってからは、東北や地元に元気を与えられるような良いニュースを届けられるよう意識して活動しています。キングスに⼊団し沖縄でのプレーが多くなっている今も、岩⼿の地元雑誌へインタビューしていただいた記事を⾒てくれたり、キングスのSNSを⾒てくれた周りの⽅から連絡をもらったりします。そういう時に、「もうちょっとだけ頑張らなきゃ」という気持ちになりますし、プロスポーツ選⼿として⾃分しかできないことがあると思ってプレーしています。
 シーズン中は良いニュースを届けられるようにプレーし、オフシーズンは地元に戻って⾃分の知り合いのバスケットボール関係者が関わっているミニバスなどに⾶び⼊りで参加するなどして、⼦ども達と触れ合うことを⼤事にしています。⾃分が秋⽥に所属していた時、キングスでプレーしていた寒⽵さん(現 仙台)から連絡をもらい、東⽇本⼤震災で被害にあった沿岸部に⾏き、⼦ども達を対象に何選⼿かでバスケットボールクリニックを⾏なったことがあります。⼦ども達は、バスケットボールに触れている時や体を動かしている時、本当に明るく元気で楽しんでくれていたのが印象的で、クリニックに⾏った⾃分が逆に嬉しい気持ちにさせられました。去年はコロナの影響もありそういった活動ができなかったですが、これからも続けていきたいと強く思っています。
 最後に、東⽇本⼤震災から 10 年が経過し忘れている⼈も多くいるかと思います。
 ⾵化していく事に対しては、正直に忘れて欲しくないという思いも少なからずあります。沿岸部の被災者の⽅からお話を聞いたことがありますが、本当に悲惨で⾟く、それでも今は強く⽣きている。忘れて欲しくないですね。ただ、外にそういうことを発信していくことも⾃分の役⽬でもあると思っています。地震がきた時や⾃然災害のような突発的な緊急事態の時は、まずは⾃分の安全を守ることを最優先にして、周りの⼦どもやお年寄りに⼿を差し伸べてみんなで乗り越えてほしいと思っています。そのためにも⽇頃からの備えをして⽣活する⼈が増えてほしいです。
 ⾃分はこれからも東北へ良いニュースを届けられるように全⼒でプレーし続けたいと思います。

 

©B.LEAGUE

 

手記/⼩野寺祥太(琉球ゴールデンキングス)
(月刊バスケットボール)


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