月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2021.03.11

船⽣誠也(琉球ゴールデンキングス、福島県出身) - 3.11の思い

このページの原稿は、「東⽇本⼤震災から 10 年を迎えて」というタイトルで琉球ゴールデンキングスから送られてきた、福島県出⾝の#1船⽣誠也選手の手記を原文のまま掲載します。

 

©B.LEAGUE

 

 震災当時、群⾺県にある⾼校に通っており、ちょうど2年⽣から3年⽣に上がる時でした。その⽇もいつものようにバスケ部の練習に参加した後、顧問から「今すぐ実家に連絡しなさい」と⾔われ東北が震源地の地震が起こったということを知りました。
その⽇は両親とも連絡が取れない状況で、寮のテレビでは津波の映像が流れていて、信じられない気持ちと⼼配な気持ちでいっぱいでした。数⽇後に両親と連絡が取れ無事が確認できましたが、17歳にして両親を失うかもしれないという⾮常に不安な気持ちになったのを今でも覚えています。
東⽇本⼤震災は誰にとってもマイナスな出来事だと思います。ただ、10年経ってほとんどの⼈たちが前を向いていて、毎⽇震災のことを考えている⼈は少なくなっていると思います。そんな中で、東⽇本⼤震災を経験していない、知らない世代も増えてきていて、当時⽣まれていなかった⼦ども達が⼗歳になり、⼗歳だった⼦ども達が⼆⼗歳になり、⼦ども達の中ではあまり理解できていない⼦もいると思います。福島で起きたことを語り継いでしっかりと後世まで紡いでほしいと思っています。10年が経過し全国の⽅が忘れてしまうのは仕⽅ないと思いますし、3⽉11⽇に「東⽇本⼤震災が起きた⽇だ」と思い出してくれれば良いと思っています。
地元に帰った時に、福島の海岸沿いには津波を少しでも防げるように防波堤ができていて、多くの対策や準備を個⼈レベルでも実施しているのを⽬にしました。沖縄の台⾵もそうですが⾃然災害は本当に何が起こるかわからないもので、10年前の出来事から学び、準備をし、同じ事を繰り返さない事が⼤事になると思います。そして、それを、震災のことをあまりわかっていない⼦ども達に伝えていく事が、本当に重要になると思います。
⾃分が地元にできる事は本当に少ないですが、⼿の届く範囲で東北や福島の未来を担う⼦ども達をサポートしていきたいと思っています。オフシーズンなどは、⽗親が指導しているバスケットボールチームに可能な限り顔を出して⼀緒にプレーしたり、「アメリカで本場のバスケットボールをしたい」という思いの知り合いの⼦の後押しをしたり、そのような⾃分の周りへ⼿を差し伸べていく事を続けています。これからは、福島の⼦ども達が県外や世界に⽬を向け⼤きなことに挑戦していくことを⽀えたいと思っていて、そういった⼦ども達が増え、成⻑して⼤⼈になった時に福島を元気にしてくれると思いますし、震災のことをもっと深く考え伝えていく側になると思います。
プロバスケットボール選⼿としてバスケットボールを通じ地元へ還元して、その⼩さな活動が、⻑期的に⼤きな⼒へと変化してくれればと思っています。

 

©B.LEAGUE

 

手記/船⽣誠也(琉球ゴールデンキングス)
(月刊バスケットボール)



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