月バスTOPICS

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2019/05/08

今週の逸足『NIKE AIR FLIGHT』

 ブレイザーズでは十分なプレータイムを得られなかったペトロヴィッチは、1990-91シーズン途中でネッツにトレードされると、欧州最高選手の実力をいかんなく発揮。翌1991-92シーズンは全試合に出場し、一試合平均20.6得点でチームをけん引した。欧州では主にリーボック「BB5600」などを履いていたが、NBA入り後の彼はナイキの「エアフライト」シリーズを愛用。どちらかといえばハイカットのシューズが好みだったようで、クロアチア独立後の初の五輪となったバルセロナ五輪決勝ではナイキ・エアバリスティックフォースを着用し、米国代表のドリームチームを相手に一人で24得点と気を吐いた。
 

 1993年6月7日、NBA4年目を終えたばかりのペトロヴィッチは、ドイツでの休暇中にアウトバーンでの交通事故で命を落とした。まだ28歳という若さだった。その突然すぎる死が報じられると、世界のバスケットボールファンが悲しみにくれた。ネッツは彼の背番号3を永久欠番とし、マクドナルド選手権のトロフィーには彼の名前が冠されるようになった。  ペトロヴィッチと“1989年組”の海外選手たちが切り拓いたNBAへの道は、現在では日本も含めたアジアやアフリカも含めた全世界に広がった。NBAによれば、今シーズン開幕時点でロスターに登録されている米国外選手は、42ヶ国・地域から来た計108名。リーグ全体で100名を越え、かつ全30チームに最低1名以上在籍するのは5年連続で、もはや出身地域で選手を区切ることに意味はなくなりつつあるといっていい。だがその原点は、様々な苦難を乗り越えてNBA入りし、どんな相手にもアグレッシブに立ち向かった、たった一人の選手だった。全世界の選手に「NBAでプレーすること」を強く意識させたペトロヴィッチのパイオニア精神は、これからも語り継がれることだろう。
 

月刊バスケットボール2019年5月号掲載

◇一足は手に入れたい! プレミアムシューズ100選

http://shop.nbp.ne.jp/smartphone/detail.html?id=000000000593

(月刊バスケットボール)


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