月刊バスケットボール5月号

今週の逸足『NEW BALANCE WORTHY EXPRESS』

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした一品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1985年に発売されたニューバランスの『ウォージーエクスプレス』。同社は、近年ではNBAとの関わりは決して強くはないが、40年前にエンドースメント契約をいち早く結ぶなどして一躍話題となった。カワイ・レナード(スパーズ)を新たにパートナーに迎え入れ、今後の動向にも注目が集まっている。

NEW BALANCE WORTHY EXPRESS

ニューバランス ウォージーエクスプレス

文=岸田 林 Text by Rin Kishida

写真=中川和泉 Photo by Izumi Nakagawa
 

バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした一品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1985年に発売されたニューバランスの『ウォージーエクスプレス』。同社は、近年ではNBAとの関わりは決して強くはないが、40年前にエンドースメント契約をいち早く結ぶなどして一躍話題となった。カワイ・レナード(スパーズ)を新たにパートナーに迎え入れ、今後の動向にも注目が集まっている。
 

 今季ラプターズへ移籍したカワイ・レナードは、現地1月4日の古巣スパーズ戦で、かつてのファンたちから強烈なブーイングを浴びた。突然の移籍に納得できないでいるサンアントニオのファンも、まだまだ多いようだ。
 

 レナードは今季、もう一つ大きな決断を下している。プロ入りからずっとジョーダンブランドの顔として活躍してきた彼が、昨年12月、新たなパートナーとして選んだのは、意外にもニューバランスだった。報道によればレナード側はジョーダンブランドからの4年最大2200万ドル(約23億円)の契約延長のオファーを断り、自身のシグニチャーシューズ発売が見込める新たな環境を選んだようだ。アメリカにおいてもニューバランスは「主には白人のシニア層が着用する、高価でクラシックなジョギングシューズ」のイメージが強く、バスケのイメージは決して強くない。だが実は同社こそが、およそ40年前、新人選手との高額なエンドースメント契約をNBAに持ち込んだ会社であることは、あまり知られていない。ナイキとマイケル・ジョーダン(元ブルズなど)が1985年に締結した契約が「NBAで実績のない新人に対し、高額な契約を結ぶことは前例がなかった」と評されることは少なくない。だがニューバランスはその3年前の1982年、ドラフト全体1位で指名されたばかりのジェームズ・ウォージー(当時ノースカロライナ大、元レイカーズ)と8年120万ドルの大型契約を締結している。100万ドルを超えるエンドースメント契約は、NBA史上初の出来事だった。

 この契約の背景には、2人のキーパーソンがいた。1人は、ニューバランスのお膝元ボストンでプレーし、同社初のNBA契約選手となったM.L.カー(元セルティックスなど)。当時、同社会長のジム・デービスから有望な若手バスケット選手について相談されたカーは、迷わず同郷のウォージーを推薦したという。もう1人はこの契約をまとめ上げたスポーツエージェントのデビッド・フォーク。当時彼が所属していたスポーツマネジメント大手プロサーブ社では、スタン・スミス(同名のアディダスのシューズでも有名)、ジミー・コナーズ、クリス・エヴァートらテニス選手とスポーツブランドを結び付け、シューズやアパレルのラインナップを売り出すことで商業的な成功を収めていた。フォークはこの手法がNBAにも応用できるのではと考えた。彼は後にナイキとジョーダンの契約を手掛けたことでその名をとどろかせるが、「ウォージーの契約が、バスケット全体の相場を押し上げた」と米シューズ業界紙のインタビューで振り返っている。
 

 ウォージーを獲得したニューバランスは、1982年に同社初のバッシュ「P480」を、そして(ナイキから「エアジョーダン」が発売された)1985年には「P740」、通称「ウォージーエクスプレス」を発売。シューズのみならずアパレルのラインナップも展開し、ブランドの顔としてウォージーを全面的に打ち出した。
 

 1988年のNBAファイナル第7戦では「P790」を着用したウォージーがキャリア初のトリプルダブルを達成し、レイカーズの連覇に貢献。ウォージー自身もファイナルMVPに輝いている(マッチアップ相手だったピストンズのエイドリアン・ダントリーもニューバランス契約選手だった)。

 だが8年契約が終わる頃には両者の間に隙間風が吹いていたようだ。キャリア終盤を見据えていたウォージーは当時より良い契約機会を模索していたが、1990年に彼が売春容疑で逮捕されたことにより決別は決定的なものになった。以降、ウォージーは1994年に引退するまでアディダスなどを履いてプレーした。後に彼は「コンプレックススニーカー」のインタビューで、ニューバランスを離れたことを「最大のミステイクだった」と悔いている。多くのファンの脳裏には、彼の華麗なファストブレイクと、その足元にある「N」のロゴが焼き付いていたのだ。
 

 ここ最近、NBAでのニューバランス着用選手といえばチャーリー・ベル(元バックスなど)、マット・ボナー(元スパーズなど。2014年にアディダスと契約)くらいであったため、レナードとの契約にファンが驚くのも無理はない。昨年11月、米「ヤフーニュース」のクリス・ヘインズ記者がこの話題をスクープすると、Twitterでは「これがレナードの新作シューズだ!」としてニューバランスの(クールとは言い難い)“ダッドシューズ”のコラージュ画像を貼り付ける、いわゆる大喜利状態に。だが実はニューバランスはレナードに先駆け、近い将来のドラフト上位指名が有力視される18歳のダリウス・ベイズリー(シラキュース大)とも、プロ入り後のキャリアにかかわらず最低100万ドルを支払う“インターン契約”を締結。同社は昨今、サッカーでもプレミアリーグのリバプールFCのユニフォームサプライヤーを務め、野球でもロビンソン・カノ(メッツ)ら数名のメジャーリーガーと契約。ストリートブランドとのコラボも積極的に展開するなど、かつての“ダッドシューズ”イメージからの脱却に躍起だ。冒頭で触れたスパーズ戦ではまだ「エアジョーダン32」を着用してプレーしたレナードは、1906年創業のニューバランスの歴史に、これからどんな1ページを書き加えてゆくのだろうか。
 

月刊バスケットボール2019年3月号掲載

◇一足は手に入れたい! プレミアムシューズ100選

http://shop.nbp.ne.jp/smartphone/detail.html?id=000000000593

(月刊バスケットボール)



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