月刊バスケットボール5月号

今週の逸足『PUMA X XLARGE SUEDE CLASSIC』

 バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1972年にプーマから発売されたバッシュ『クライド』がベースの『スウェード』(撮影しているのはXLARGE®とのコラボ商品)。そのプーマは、ドラフト1位のディアンドレ・エイトンと契約するなど、ヴィンス・カーターとの契約以来、約10年ぶりにNBAに本格参入となる。



文=岸田 林 Text by Rin Kishida

写真=中川 和泉 Photo by Izumi Nakagawa
 

 バスケットボールシューズの歴史において、大きなインパクトをもたらした逸品(逸足)を紹介するこのコーナー。今回取り上げるのは、1972年にプーマから発売されたバッシュ『クライド』がベースの『スウェード』(撮影しているのはXLARGE®とのコラボ商品)。そのプーマは、ドラフト1位のディアンドレ・エイトンと契約するなど、ヴィンス・カーターとの契約以来、約10年ぶりにNBAに本格参入となる。

 

 ここ数年、NBA選手の足元はナイキ、アディダス、アンダーアーマーの3社を中心に争われてきた。だがこのオフ、コートへの“カムバック”を表明したブランドが現れた。
それがプーマで、6月18日、バスケットボール部門に関するニュースを立て続けにアナウンス。まずはドラフト上位指名が確実視されていた大学生、ディアンドレ・エイトン(アリゾナ大→全体1位でサンズから指名)、マービン・バグリー三世(デューク大→全体2位でキングスから指名)、ザイール・スミス(テキサス工科大→全体16位でサンズが指名、直後に76ersにトレード)との大型契約。続いて、ラッパーのJay-Zが同部門のクリエイティブコンサルタントに就任。そして、かつてニックスなどでポイントガードとして活躍したNBAレジェンド、ウォルト・“クライド”・フレイジャーとの終身契約も発表された。どうやらプーマはストリートカルチャーに軸足を置きつつ、有望な若手アスリートの力を借りてブランドの再活性化を狙う戦略のようだ。

 プーマが1972年に発売したバッシュ『クライド』が、NBA史上初のシグニチャーモデルであることは、あまり知られていない(コンバースの『オールスター』にチャック・テイラーのサインが入ったのは1923年だが、テイラーはNBA選手ではない)。『クライド』の原型となったのは、1968年に開発されたトレーニングシューズ。シューズに名前はなく、またバスケ専用シューズでもなかった。当時アメリカでプーマを輸入販売していたベコンタ社は、NFLジェッツのスターQBジョー・ネイマス、MLBではヤンキースの主砲レジー・ジャクソンら、ニューヨークのアスリートにこのシューズを提供し、ブランドの強化を図る。フレイジャーもそのうちの1人だった。
 
プロ入り当初はコンバースでプレーしていたフレイジャーは、1970年ごろからプーマを着用。私服で『GQ』の表紙を飾るなど、ファッションアイコンとしても注目されていた彼に着目したプーマが、サイン入りシューズの発売を提案する。こうして彼の愛称を刺繍であしらい、足幅を少しだけワイドにした『クライド』が発売された。70年代当時、ミンクのコートにカラフルなスウェードの『クライド』をコーディネートし、さっそうとマジソンスクエアガーデンに通ったというフレイジャーは、人々にとって間違いなくクールな存在だった。

 だがフレイジャー引退後のプーマは、たびたびNBA選手にアプローチしてはフェイドアウト、という歴史を繰り返す。1984年には前年の新人王ラルフ・サンプソン(当時ロケッツ)のシューズを鳴り物入りで発売したが、サンプソンのケガもあり、十分な成果のないまま1988年に契約終了。1989年には絶頂期だったアイザイア・トーマス(当時ピストンズ)と5年契約を締結したものの、わずか1年で破棄(トーマスはその後アシックスと契約)。1991年にはセドリック・セバロス(当時サンズ)モデルとしてディスクシステム搭載の『ホーカス・ポーカス(※セバロスの目隠しダンクの名前)』を発売しているが、これも成功とは言い難い。
 
1998年にヴィンス・カーター(当時ラプターズ)と結んだ10年契約は、プーマにとっては“黒歴史”だろう。ドラフト指名直後にカーターと契約したプーマは、さっそく彼のルーキーシーズンにシグニチャーモデル『ヴィンザニティ』をリリース。だがカーターはほどなくシューズの履き心地や契約条件に不満を漏らしはじめ、両者の関係は悪化してゆく。カーターは2000年のスラムダンクコンテストにAND1の『タイチ』を着用して出場し優勝すると、裁判の末、自ら賠償金を支払ってまでプーマとの契約を解消。シドニー五輪ではナイキ『ショックス』を履いて躍動した。このころプーマは、買収した会社の権利を引き継ぐ形でいくつかのNBAチームのユニフォームサプライヤーも務めているが、これも2年間で撤退している。フェアに言えば、この時期は同郷のアディダスも決してNBAで成功していたとは言えない。当時はそれだけ米国ブランド、とりわけナイキ(とジョーダンブランド)が圧倒的だったということだ。

 フレイジャーの引退により競技用シューズとしての役目を終えた『クライド』はその後、カジュアルシューズ『プーマスウェード』として再発売。すると90年代、ユニオン、ステューシーNYCチャプトといったニューヨークのセレクトショップがその魅力を再発見する。ビースティボーイズ、ディゲブル・プラネッツといった、トレンドに敏感な地元出身のミュージシャンたちもこぞって『プーマスウェード』を履き始めた。彼らは幼いころに憧れたフレイジャーと、あのクールなシューズを憶えていたのだ。プーマのレガシーは、ストリートカルチャーを通じ、次の世代に受け継がれた。
 
カーターとの決別からおよそ20年。来季は久しぶりにNBAのコートでプーマを履く選手が見られそうだ。ブランドの持つスポーツ、ファッション、ストリートカルチャーの背景を活かしながら、どうモダンな存在へとアップデートしてゆくか。Jay-Zの手腕にも注目が集まる。
 

月刊バスケットボール2018年9月号掲載

◇一足は手に入れたい! プレミアムシューズ100選

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(月刊バスケットボール)



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