月刊バスケットボール5月号

2022年8月8日 - バスケットボール女子日本代表銀メダル獲得の回想と展望

 2022年8月8日。トム・ホーバスHC率いるバスケットボールの女子日本代表が、オリンピック7連覇を狙うアメリカ代表を相手に金メダルをかけて東京2020の決勝戦を戦ったあの日から、今日で丸一年だ。

 


©FIBA.Tokyo2020


一年が過ぎても、あの日とそこに至るまでのいくつかのシーンはいまだ鮮明に思い出すことができる。準々決勝の林 咲希の逆転クラッチスリー、準決勝でオリンピック新記録となる1試合18アシストを記録した町田瑠唯の輝かしい笑顔と、メダルを確定させ歓喜に沸くチームの様子などは、東京2020での女子日本代表の戦いを見た多くの方が記憶しているだろうし、それぞれが忘れがたい名場面をとめどなく思い浮かべることができるのではないだろうか。


決勝戦では、序盤に突き離されたチームに息を吹き返させた本橋菜子の思いきり良い3Pショットがあった。前年秋の前十字靭帯断裂からの戦列復帰というストーリーがあっただけに、最強チームを相手に王座をかけて戦ったあの試合での本橋の戦いぶりは、自身がやってきたことへのプライドや支援者への感謝、バスケットボールへの愛情といった目に見えない大切なものの存在を強く感じさせた。チームハイの17得点を記録したキャプテン髙田真希の奮闘ぶりも心を揺さぶった。

 

 西暦2000年生まれ、当時最年少の20歳だった東藤なな子が1本だけ成功させたフィールドゴールは、決して簡単ではないターンアラウンド・フェイドアウェー・ジャンパーだったが、きれいに決めて見せた。日本の女子バスケは「キテいる」。あのショットでそんな頼もしさを感じた人もいたのではないだろうか。

 


最終的には75-90で金メダルを逃した。5ポゼッション差はどうにもならない実力差だったと言えるだろう。しかし一方で、銀メダルは奇跡ではないことも感じさせた。海外からやってくる強豪の多くと互角以上に渡り合うために必要なものを、トム・ホーバスHC率いる女子日本代表は持っていた。


その一つは、海外からやってくる他チームには不可能だった母国での長期間のトレーニングで培ったケミストリーであり、それが攻守における絶妙のコンビネーションにつながった。また、大きな武器の一つと認識した3Pショットについては、レンジを伸ばしながら精度を保つ訓練を行わっていたことを、たびたびオンライン会見で聞くことができた。さらに、ホーバスHCは金メダル獲得を常に言葉にし、チームとしてもこうすれば結果が出ると信じて取り組んでいた。決勝進出と銀メダル獲得はもちろん簡単なことではなく、それを遂行できたことが快挙なのは当然だが、なすべくしてなされた結果だと言える。


アメリカに勝てばそれは奇跡だったが、それは起こらなかった。最大の要因は3Pショットを封じられたことで、大会を通じて全チームトップの38.4%の確率をたたき出した日本が、アメリカとの2試合だけは26.1%に終わっている(決勝戦は25.8%)。アメリカのプレーヤーには、小柄な日本のシューターのボール軌道を遮るに十分な高さとアジリティーがあり、同時に日本の得点を上回るのに必要なオフェンス力があった。逆に言うと日本には広い範囲を守れるアメリカのディフェンスに対抗できるだけのシューティングレンジとアジリティーがなかったし、圧倒的なアメリカのオフェンスを止めるだけのディフェンス力はなかったのだ。


大健闘できたものの勝利には至らなかったあの試合の反省は、「世界一のアジリティーで高さを凌駕する」という恩塚HCの現在のチーム作りにつながっているだろう。また、東野智弥JBA技術委員長と恩塚HCは、現在女子バスケットボールで主流のツーハンドショットを、時間をかけてもワンハンドショット主流に変えていくことの重要性も、大会後に明言している。それは相手のディフェンダーのクローズアウトをこれまでよりも難しくするとともに、スキルセットとしてのプレーヤーの幅を広げることにもつながるだろう。


これらの強化方針がいつ花を咲かせるか。そのとき、女子日本代表にとっては、金メダルさえも奇跡ではなくなっているはずだ。

 

文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)



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