月刊バスケットボール6月号

Bリーグ

2021.10.02

木村圭吾(新潟アルビレックスBB) - 都会育ち、アメリカ仕込み、飛躍を胸にB1の舞台へ

 実践学園中学校で全国制覇を成し遂げ、八王子学園八王子高校でスコアラーとして名を馳せた。スラムダンク奨学生として渡米留学したセント・トマスモア・プレップでは本場の厳しさを味わい、その後進んだNCAAディビジョンIIIのセント・ジョセフ大学ではコロナ禍の苦難にもぶつかった。


2021年の秋、決定力を高めて帰国した木村圭吾(新潟アルビレックスBB)は、新潟でこれまで見たことのない空を見ている。胸を打つ高さ。透き通った青さ。それはB1での成長と将来の海外再挑戦という夢を描く、限りなく大きなキャンバスだ。

 

写真/©新潟アルビレックスBB


決定力を高めて臨むプロの世界


――新潟アルビレックスBBに入団した流れはどんなものだったのですか?


僕は今、アメリカなら大学2年生の年で、今年帰国した時点では大学に戻るということを第一に考えていました。Bリーグに挑戦すると決めたのがすごく遅くて、6月の終わりぐらい。エージェントの方がチームを探してくれて、新潟アルビレックスBBのロスターがまだ固まっていないことを平岡さん(今オフに新任ヘッドコーチとして迎えられた平岡富士貴氏)からお聞きして、2日間練習に参加させていただきました。そこで獲っていただいたという流れでした。


――木村選手の側からは、入団の決定的な要因は何でしたか? チームカルチャーなど、どんな特徴でしょうか?


新潟は所属選手の年齢幅も広くて年が離れた方もいらっしゃるんですけれど、あまりそれを気にする必要がなく温かな雰囲気だなと思いました。ベテランの方が2人いて、そのエネルギーがすごいです。ほかの方々も僕からすれば年上で、皆ハードワークしています。自分も結構“ヤル感じ”なのですが、先輩がやるなら僕も、後輩がやるならこちらもという感じで一緒に追いかけられる選手がいるのが、僕としてはすごくいいなと思っています。


――新潟に移り住んで、「ここはいいところだな!」と気に入ったことや、お気に入りの場所などはありますか?


新潟に移り住んだのは7月の終わりくらいだったと思います。とても印象的なことの一つは空。新潟は空がきれいなんですよね。すごくいいなと思って、たくさん写真を撮ったりしました。透き通っている感じがして、雲もきれいなんです。気持ちが落ち着いて居心地がいいんですよ。


――木村選手ご自身のプレーの特徴を教えてください。新潟ではどんなところで貢献できると思っていますか?

 

 僕はそんなにディフェンスがうまかったりリバウンドが強いプレーヤーではなく、得点を獲るのが仕事だと思っています。3Pショットやドライブなど、いろんな得点のバリエーションをお見せしたいなと思っています。


――特にその中で、アメリカに行って強くなってきたようなもの、身につけてきたものはありますか?


アメリカではスポットシューターとして鍛えられました。キャッチ&シュートで、フリーになってもらったら決めるという自信がつきましたね。日本でプレーしていた高校時代には、いろんなプレーが許されていたのですが、アメリカでは僕よりもうまい選手がたくさんいて、その中で役割としてスポットでしっかり決めきれるようになることを強く求められました。その力が身についたと思います。


コーチの期待に応えるレベルにはなり切れなかった気がしますけれど(笑) スロースターターなんですよね…。それは今シーズンの課題の一つでもあると思います。

 

写真/©新潟アルビレックスBB


――語学はどのようにして身につけたのですか? ご苦労もあったと思いますし、コーチや仲間とのやりとりでは上達が必要だったでしょうね。


高校生の頃は毎週火曜日がオフだったんですけれど、ウインターカップが終わる12月末まではその日に英語の塾に通って、大会後は毎日通うようにしました。でも、準備していったつもりだったんですが、いざ現地に入ると皆が何を言っているかわからないし、自分の言いたいことも言えなくて。


最初は、これからどうしよう…という感じがありました。1年目は自分からしゃべるのが嫌になっていたくらいです。恐いと感じてしまっていました。


普段はコーチたちも、僕がわかるようにゆっくりしゃべってくれるんですよね。でも試合や練習になると、すごい早口になって激しい言葉遣いにもなり、学校や塾では習わない多様な表現もどんどん出てきます。それで「どういう意味なんだろう」と思っていると、「わからないなら交代!」ということになってしまうんです。そんなことがよくありましたね。バスケでは頑張れているのに、コミュニケーションの点で自分のチャンスがなくなってしまったというのが残念でしたし、大変でした。


良かったなと思うのは、アメリカの文化的に敬語が厳しくないので、コーチとの会話もすごく気軽なんです。「やあコーチ、元気?」みたいなノリでいけて、日本にはない自然な聞きやすさがあるんです。それが僕には居心地良かったですね。


――最初に入学したセント・トマスモア・プレップは渡邊雄太選手(NBAトロント・ラプターズ)をはじめ日本人も多く在籍し、NBAプレーヤーも何人も輩出していますよね。そうした伝統を感じるようなことはありましたか?


スラムダンク奨学生の4年上から派遣先がセント・トマスモア・プレップになったんですが、やっぱりコーチが日本人プレーヤーを毎年見てきているので、「彼はこうだった」みたいな話を聞くことがありました。渡邊雄太選手は、英語は最初まったくダメだったそうなんですが、バスケの努力はすごかったということを聞かせてもらいました。「日本人の選手達はしっかりしている、朝早くからコートにきて練習している」と、日本人全体の評価が高かったのですが、中でも渡邊選手については「ユウタはすごかった」というのをよく聞きました。


――その後セント・ジョセフ大学に進み、名将として知られるジム・カルフーンさんの下でプレーされましたね。そこで学んだことや体験したことでは、どんなことが印象に残っていますか?


僕が在籍した期間はコロナウイルスのパンデミックの影響で、試合がまったくできませんでした。シーズンもキャンセルになってしまって。しかもカルフーンさんが大きなケガをされて休養をとられたこともあって、接する機会自体がそれほど多くありませんでした。その中でつくづく聞かされたのは基礎の大切さ。何かものすごいことを言われているわけではないのですが、基礎を大切にということがわかりました。


それといろんな練習で、競い合うことを学びました。コートの中では何でも、競い合う練習なんです。勝負ごとにして、選手たちが燃えられるようにしてくれていました。


――アメリカでのチームメイトとは今もつきあいがありますか? 帰国してBリーグ入りした木村選手をどう見ているのでしょうね?


結構連絡をとっているアメリカ人の選手が4人ぐらいはいますね。Bリーグについてはあまり知らないみたいです(笑) でも、プロになったんだということをソーシャルメディアなどで明かしたら、「誇らしいぞ!」みたいな反応を返してくれたりして。


確かに、(Bリーグに)興味を持っている友だちはいると思います。アメリカでプロ入りと言ったらNBAなので、プロに進むのはきついことですからね。チームメイトの外国籍プレーヤーからも、Bリーグの地位が上がっていることを聞きました。「以前は韓国のプロリーグと同じくらいだったのが、今では中国に次ぐリーグ」だそうですよ。


――ディミアン・リラード(NBAポートランド・トレイルブレイザーズ)を尊敬しているそうですね! プレーヤーとしてもリラードのような存在を目指していらっしゃいますか? 


リラードのメンタリティーが好きです。今の時点では難しいですが、2-3年後には彼のようにゲームを支配できるプレーヤーになりたいと思っています。


――“デイムタイム”ならぬ“ケイゴタイム”到来が待ち遠しいですね!


そうできるようになりたいです。それ(ビッグプレーを成功させた後に腕時計を指さすシグニチャー・ジェスチャー)をやってみたいですね!

 

☆次ページ: 後半「シーズン中盤以降、見られるか? “ケイゴタイム”」



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