女子日本代表

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2021/08/06

林の4強入り決勝弾に重なる『伝説のビッグショット1974』の思い出

準々決勝第4Q終盤、決勝3Pショットを放つ直前の林。ゴールをしっかりとらえ、完璧なリズムから歴史を変えるレインボーが生まれた(写真/©fiba.basketball)


クラッチ! 林の逆転スリー

 

 第4Q残り20秒を切ろうとしていた。83-85。日本代表は2点先行するベルギー代表を追いかけている。右エルボーのやや深い位置でドリブルしていた町田瑠唯(富士通レッドウェーブ)が、急加速してペイントに切れ込む。

 

 3Pシューターの林 咲希(ENEOSサンフラワーズ)は、トップやや左の位置にいた。町田のドライブに合わせるように、林はそのすぐ左にいた宮澤夕貴(富士通レッドウェーブ)とスクリーンプレーを始めるかと見せかけ、ミドルレーンに鋭くターン。マッチアップしていたキム・メスダフと林の間にスペースができた瞬間、町田が見逃さず林にパスを送った。

 

 やられる…! メスダフはそう思っただろう。

 

 林の絶妙なショットフェイクに、メスダフは飛び上がった。カウンターのドリブルで1歩前方にアタックし、ステップバックでセパレーションが完了した頃には、左サイドから飛び上がったメスダフは林の目前を横切り、周辺視野の右の片隅から消えていこうとしていたに違いない。

 

 目の前から、町田とマッチアップしていたジュリ・アルマンが両腕を高い位置にかざしてクローズアウトしてくる。しかし林は完璧なリズムの中で、フロアから伝わってくる力をボールに乗せ、シューティング・ストロークを始めていた。

 

 林の手を離れたボールは、虹のように美しい弧を描いて空中を飛んでいき、リングの奥をたたいてネットを揺らす。86-85。日本代表のオリンピック初となる準決勝進出を決定づけた、歴史的3Pショットだった。

 

オリンピックで初めての準決勝進出を決めた日本代表は喜びを爆発させていた(写真/©fiba.basketball)

 

日本の女子バスケに飛躍をもたらした伝説のビッグショット

 

 今から45年前、女子バスケットボールが初めて正式種目となった1976年のモントリオールオリンピックに、日本代表は出場している。この事実は間違いなく、日本のバスケットボールの歴史のにおいて記憶され、語り継がれるべき事柄の一つだ。

 

 その歴史的出来事を実現するまでの過程で、やはり伝説のビッグショットが生まれていた。


 その一撃は、1974年にイランの首都テヘランで開催された第7回アジア競技大会(女子バスケットボールが初めて採用された大会)の決勝ラウンド第2戦、対韓国戦の終了間際に生まれた。決めたのは、当時日本体育大学教員だった生井けい子(現姓今野)。町田と同じ162cmのガードだ。


 69-70の1点ビハインドで迎えた後半残り20秒(当時は前・後半20分ずつの規定。3Pショットは導入されていない)、ボールは韓国代表が保持していた。ショットクロックが30秒の時代。ボールをキープされれば日本代表は勝つことができない状態だった。しかしプレッシャーを高めた日本代表のディフェンスに対し判断を誤ったか、アグレッシブに攻め込んだ韓国代表は、残り11秒の時点で約5メートルの距離から得点を狙った。

 

 しかしこれはミスショットに終わる。こぼれたリバウンドを脇田代喜美(現姓甲斐、当時ユニチカ山崎所属)がつかみ、橋本きみ子(現姓長井、当時第一勧業銀行所属)につなぐ。橋本は左前方に生井が走っているのを見て、バックコートのフリースローライン付近から矢のようなパスを送った。

 

 残り2秒、1秒…。生井はセンターラインを2メートルほど超えたあたりから、約10メートルのロングショットを放つ。直後に試合終了を告げるピストルの音。このショットが劇的な逆転弾となり、日本代表は宿敵韓国に71-70で勝利することができた。

 

 この一撃で波に乗った日本代表は、イラン、韓国、北朝鮮、中国との5チームで行われた決勝ラウンドを全勝で終え、この大会で金メダルを獲得したのだが、物語はそこで終わらない。当時FIBA事務総長だったウィリアム・ジョーンズ氏が、生井の劇的な逆転弾による韓国代表戦勝利とこの大会における金メダル獲得を高く評価し、翌年コロンビアで開催されるFIBA女子ワールドカップ(当時の名称は女子世界選手権)への日本代表の出場を認めたのだ。

 

 そして、上位3チームに翌年のモントリオールオリンピック出場権が与えられることになっていたこの大会で、日本代表は銀メダルを獲得。自力でモントリオールへの切符を勝ち取るのだ。生井の一撃は、2年越しでワールドカップ銀メダルとオリンピック出場を実現する道への扉を開くカギだったのだ。

 

年季の入った1975年のワールドカップ銀メダル(長井きみ子所蔵、写真/柴田 健)

 

 ワールドカップでももちろん、数えきれないドラマ、数えきれないファインプレー、勝負を左右したビッグプレーがあったのであり、そのすべてに敬意を表したい。例えば、キャプテンだった脇田代が、銀メダル獲得がかかった対イタリア戦の残り1秒に、逆転のクラッチフリースロー2本を沈めていなければ、今日までの日本の女子バスケットボールの歴史はまったく異なる経過をたどっていたと思われる。

 

レジェンドからの激励


 日本代表の準決勝前日の8月5日、1974年の伝説のビッグショットをおぜん立てした長井(前述・橋本)に、東京オリンピックでの日本代表の快進撃について話を聞かせてもらうことができた。今回、歴史が変わることを予感していたという。「本当にうれしい。女子はいけるんじゃないかな、歴史が塗り替えられるな、きっと、と思っていました」。林の逆転弾には、「生井さんが世界選手権にいく前のアジア競技大会で、韓国代表戦の最後に放ったショットの再来を見るような感じでした」と、1974年の思い出を重ねていた。

 

 ショットを放った位置もプレーの流れも違う。しかしその一撃が歴史に及ぼす影響の大きさが計り知れないという点が同じだ。「最終的に生井さんの逆転ショットがモントリオールにつながった。(林の逆転3Pショットは)あのときと同じような状況でしたからね」

 

 1974年のあのショットは、日本代表が日ごろ取り組んでいた速攻の練習のたまものでもあったそうだ。「脇田代さんからのボールを受けて、日ごろの速攻の練習がそのままあの瞬間に出ていました。真ん中につないでいくのが得意だったんです。時間がほとんどなかったので、すぐにそのままの勢いで生井さんにつないだと思います。生井さんが放ったボールが空中にある間に試合終了のピストルが鳴り、それが入った…!」

 

 その話を聞くと、林の試合後のコメントもふと頭に浮かんでくる。「最初にシュートを狙ったときに相手が飛んでくれたので、そこからは練習通りのプレーでシュートを打つことができました。練習のおかげです」

 

 基本は同じ。練習はうそをつかないということが、半世紀近くの時間を超えて両者の言葉から確認される。

 

 「日本代表の3Pショットの打ち方は完璧ですね。これが崩れないで、明日の試合(8月6日の準決勝)に勝ってもらいたいなって、楽しみにしています」と、長井は明るい声で話してくれた。

 

世界選手権で銀メダルを確定させたイタリア戦の勝利を喜ぶ長井(長井氏寄贈の資料より)

 

 激励、期待、感嘆。長井の言葉は熱烈だった。渡嘉敷来夢(ENEOSサンフラワーズ)を欠く中で、誰もが攻められる総合力も、ホーバス トムHCがタイムアウトで語りかける日本語の指示も素晴らしい。納得できる。試合のたびにレベルを上げてきている町田のプレーメイクは「すごい。身長も生井さんと同じくらいですよね。(連係の証しである)アシストで、すごく日本らしいバスケットになっています」


 キャプテンの高田真希(デンソーアイリス)には「勝負心がある」と話した。「自然と出るものなのでしょうね。いざという決めどころはすごい。シュートに丁寧さ、優しさがあるんですよね。1本打つにも味があって、それで点を取ってくるのはさすが。キャプテンらしいです」


 1-2本のパスで一気にフロントコートのゴール近くまで持っていくスピーディーなバスケットボールができるのではないか、そうすれば3Pショットがいっそう生きてくるのではないか…。1975年のワールドカップ銀メダリストの言葉は、これから試合に向かう現役プレーヤーの言葉を聞いているような情熱にあふれていた。


 オリンピックで世界の4強入りを果たした日本代表だが、また塗り替えるべき歴史残されている。1975年の日本代表は、世界の№2だったのだから。ただしそのハードルはもともと越えようとしているハードルだ。それにはあと2つ、勝利をつかむ必要がある。

 

取材・文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)

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