月刊バスケットボール5月号

今週の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.3-2

  Vol.3 NIKE AIR FORCE 1 ナイキ エアフォース 1   文=岸田 林   (つづき) その2年後、マローン率いるシクサーズに大物ルーキーが入団する。『空飛ぶ冷蔵庫』の異名を持つチャールズ・バークリー(元シクサーズほか)だ。バークリーは“師匠”であるマローンに倣ったのか、大学時代はコンバースを着用していたがプロ入り直後にナイキと契約。ルーキーシーズンのほとんどをAFIのハイカットでプレイする。彼はその後もエア アルファ フォース(1987)、エア フォース180(1991)、エア フォース マックス(1992)などのシリーズを着用し続け、パワープレイヤー向けのバッシュ=エアフォースというブランドイメージの確立に大きく貢献した。   こうして多くの選手たちに愛されたAFIだが、1984年でいったん製造終了となり、後継モデルに道を譲る(なおエア フォース“2”の発売は1987年だ)。だがAFIのすごさはここから。1986年、ナイキはふたたびAFIの製造を開始する。1917年以来、ディティールを変えながら生産され続けているコンバース オールスターを例外とすれば、これがおそらくは世界で初めての『バッシュの復刻版』だ。以降AFIは断続的に復刻され続け、1990年代には定番スニーカーとしての人気を確立。すると、こうしたトレンドがNBAにもフィードバックされ、2000年代にはジェリー・スタックハウス、ラシード・ウォーレス(共に元ピストンズほか)、コービ・ブライアント(元レイカーズ)ら当時の若手スターたちが再びAFIをコート上で着用しはじめる。トップアスリートが競技で『復刻バッシュ』を履くことは現在ではさほど珍しいことではないが、当時としては異例の出来事だった。   現在までにリリースされたAFIのカラーバリエーションは1,700以上とも言われ、ナイキ自身ですら正確には把握できないほどだ。少し古いデータだが、とある経済アナリストが2007年に推計したところによれば、ナイキは“AFIだけ”で、毎年約8億ドル(約920億円)を売り上げているという。アシックスの2015年度の日本国内での総売上が約1200億円(全世界では約4284億円)というから、いかにAFIがビッグビジネスかがわかるだろう。2017年には、軽さと通気性を向上させたエア フォース ワン ウルトラフォースも登場するなど、ストリートシューズとしての進化はまだまだ続きそうだ。 (おわり)   写真=中川和泉 (月刊バスケットボール2017年3月号掲載)

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