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2018/01/13

今月の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.7-1


 
Vol.7 CONVERSE WEAPON
コンバース ウェポン
 
文=岸田 林
 
世界で大ヒットを記録した
“実力のあるアスリート”を象徴する名作バッシュ
 
 1986年。この年は、ケガでシーズンの大半を欠場したジョーダンとナイキ エア ジョーダン(以降AJ)の“空席”を巡り、多くのスポーツブランドが争った年だった。前年ブームを巻き起こしたAJに刺激され、アキーム・オラジュワン(元ロケッツほか)がエトニックから、ジェームズ・ウォージー(元レイカーズ)がニューバランスから、そして当時ルーキーだったパトリック・ユーイング(元ニックスほか)がアディダスから、それぞれシグニチャーモデルをリリース。コンバースが満を持して「ウェポン」を投入したのは、そんな時代だった。
 
 コンバースといえば、誕生から100年を迎える「キャンバスオールスター」が有名だが、元プロバスケ選手でコンバースの営業マン、チャールズ“チャック”テイラーは、競技とシューズの普及のため、少年少女らのためのクリニックを全米で開催。そうした地道な活動が実り、60年代にはコンバースがバッシュ市場で90%近いシェアを占めるまでに成長する。
 
 そして79年、大学時代からライバルとして名勝負を繰り広げてきたラリー・バード(元セルティックス)とアービン“マジック”ジョンソン(元レイカーズ)が同時にNBA入りすると、コンバースはさっそく2人と契約。バードは主にグリーンの「プロキャンバス」、マジックは白の「プロレザー」と「プロスター」を着用し活躍した。
 
 だが当時コンバースの親会社だったアライド社は競技に熱心とは言いがたく、また現在ほどシューズのモデルチェンジが頻繁な時代でもなかった。コンバースは82年、過去最高の年間1,200万足を生産したが、その大半はすでに競技用としての役目を終えていた「オールスター」。バード、マジックの二人も(普段着で!)「キャンバスオールスター」のTVCMに出演し、コート上では6、7シーズン、ほぼ同じモデルを着用し続けた。
 
 しかし83年、アライド社の撤退により経営方針が刷新されると、コンバースはようやくパフォーマンスシューズに注力し始める。85年にはNBAと契約し、チームやNBAロゴを使ったシューズを製造販売できる公式シューズサプライヤーとなった。だが同年、世間の話題を集めたのは、たった1人のルーキー(ジョーダン)と契約したナイキとAJだった。半年ほど前は学生として、また米国代表としてコンバースを履いていたジョーダンが、翌年にはナイキの広告塔になり、他の若手選手もまたライバル社と高額で契約。
(つづく)
 
写真=中川和泉
(月刊バスケットボール2017年7月号掲載)


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