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今日は、まず哀しい報告をしなければならない。
結論から言うと、私はWNBAとの契約を終 了し、日本へ帰ることになった。これは、あくまでも私の意志である。
練習が終わる頃を見計らってアリーナへ行く。メインコートではトラックのショーか何かがあ るらしく、山盛りの土を相手にブルドーザーが格闘していた。こないだはプロレスのリングに なってた。その前は、サーカスの会場で、普段私たちが車を停める所に象が10頭位並んでい て、その後もしばらくその臭いに辟易した。
もう、このアリーナの地下へ続く門をくぐって入 り口のセキュリテイーのおじさんや会場の設営をしている陽気なおじさん、おばさんたちに 「Hello,」って声を掛けることも無いんだなあ。何人かのおじさんは私の姿を見ると 「ミキーコー!!」と言って「RAISE THE ROOF」の仕草をしてくれた。
プラクテ イス・コートに向かうと、途中ブランデイーが何故か廊下にある椅子に、一人座っていた。ブ ランデイーは21歳のルーキーで、ものすごい運動能力の持ち主である。ただ、試合の経験が あまりなく、正選手(Active Player,以下APと略。)の11人目の最後のイ スを私と争っていた。私がNYからの7泊8日の長いロード・トリップにAPとして参加して いた時、彼女がIRに入るため、医師の診断書を作成しなければならず、NYから一人、フェ ニックスに帰された。
ユタへ行く26日のトリップの直前にIRを告げられた私が、みんなに 「Good luck.」と言って回っていると、「ミキコは行かないの?」と彼女は不審顔 で私に聞いた。
IRになったので、今回はみんなと一緒に行かない、というと「そう。」と、 一転してパッと晴れやかな顔をして笑った。彼女を責める気にはならないが、あまりのわかり やすさに苦笑を禁じ得なかった。そのブランデイーがここにいるってことは、もう練習が終わ ったんだね、と京子ちゃんと話しながらコートのとなりにあるロッカールームに向かう。
最初 に私を迎えてくれたのはミシェル・Gだった。
彼女は私をHUGしてしばらくその頬を私の頬 にくっ付けていた。ブリジット、ミカ、PRのニーダ、クリステイー、マリース、マリア、ア ンドレア、トニー、ジェニファー、ロシア語通訳のアイリーナ、フランス語通訳のキャロリ ン、コーチ・アンダーソン、それぞれに別れの挨拶をし、練習着のTシャツにサインをしても らった。
トニーは「どこに行っても自分のシュートをうってきなよ。」とウィンクをしてくれ た。クリステイー、ミ シェル・Gのオーストラリア勢は「住所を教えて。連絡を取り合いま しょう。」と言ってくれた。私に色々なアドバイスをしてくれた、“GRAND−MA.JE N”は、「自信を持って。どこに行っても一生懸命やるんだよ。あんたがいなくなって寂しい よ。」と、優しい目で、しばらくHUGしてくれた。
マリース、アンドレア、マリアはそれぞ れ自分の国の言葉で「頑張れ。」と、Tシャツに書いてくれた。
私は、一晩苦しんで書上げた 英語の手紙を、特に仲良くなったマリース、ミシェル・G、クリステイーに渡し、さて我らが 姉御ミシェル・Tは、と彼女の姿を探したが、見当たらない。今朝、体調が優れず練習を休ん だ、とのこと。
「試合にはもちろん来るからバスの所で待っていればきっと会えるよ。」シャ ワーを浴びてドレスアップしているみんなより一足先にバスの所へ行ってみた。コーチ・グラ フィーが乗っていたので挨拶する。彼女は私をHUGするためにわざわざ座席から立ってくれ た。
「オーストラリアと、日本のナショナル・チームとして次の国際試合で会いましょうね 。」しばらく待っているとミシェル姉御が向こうの方から眩しそうに顔を歪めて歩いてきた。 やはりどこか具合 が悪いのかもしれない。顔に生気が無い。大丈夫?と聞いた上で、今まで のお礼を言った。
「私のチームならあんたをこんな使い方はしなかった。」と彼女は低い声で 言ってくれた。「私の住所は持ってたっけ?必ず連絡をちょうだいよ。」その時、ミシェルが 来るのを待っていたファンがいて、「ミシェル、あなたのサインをいただけますか?」と横か ら入ってきた。ミシェルがサインをしている間、ミシェルが来た同じ方向からいつのまにかシ ェリルが歩いてきていたのに気づいた。
シェリルまで気分が優れないわけじゃないだろうに、 やはり表情が冴えない。どうかしたのかな、と思いつつ、私はシェリルの方に歩みよって、 「色々本当にありがとう。」とHUGをした。
瞬間、去年トレードされた私をバスの中で割れ るような拍手で迎えてくれたシェリル、スタイリッシュで人情家で頭の回転が速くて、人種の 差別無く人に接するシェリル、先日ミシェルと京子ちゃんと4人で行ったお寿司屋さんの風景 などがフラッシュバックしてきて、一生懸命こらえていたものが吹き出してきてしまった。
と、同時に意外な展開に私は戸惑った。シェリルが泣きだしたのだ。まるで小さな子どもみた いにしゃくりあげ る。そしてHUGしてくれた腕をなかなか解いてくれなかった。あまりの 泣き方に私の方がシェリルを慰めな くちゃ、と思ったほどだ。
シェリルはもしかすると、最 後まで私の存在を本当に「買って」いてくれてたのかもしれない。
だけど、諸々の事情で私に 数少ないチャンスしか与えることができなかったのかもしれない。(それをつかめなかったの はもちろん私の至らなさだが。)責任感がものすごく強く、人の気持ちをとってもとっても大 事にしてくれる彼女だから、あの日本食屋での私の「試合に出たい。」という言葉と、諸々の 事情の板挟みになって自責の念に駆られていたのかもしれない……と思うのは、私の考えすぎ だろうか。
どちらにしろ、泣いている人に向かって「なぜあなたは泣くのですか?」といっ た、テレビのワイドショーじみた馬鹿げた質問をする趣味は私には無い。ぎゅーっと抱きしめ ていてくれていた腕を放すと、彼女は私がみんなにサインをしてもらって回っていたTシャツ に目を留め、こう書きなぐった。
『あなたがいなくなってめちゃめちゃ寂しいよ!!…コー チ・ミラー。』
私は、自分でも単純だな、と思わずにはいられなかったが、試合に出られなく って、試合で結果を出せなくって、それを誰にも伝えることができなくって悔しくて悔しくて どうしようもなかった日々が、自 分の中に、浅瀬に堆積した細かい砂のように密かにわだか まっていたチクチクしたものが、最後のシェリルの涙で洗い流されたような気がした。少なく てもシェリルは計算した行動のとれない人だから。自分の感情のままに、時には激情に身を任 せて自分の足の骨を折ってしまうような人だから。私はシェリルの涙を信じたいと思った。
これで、私のアメリカへの挑戦は終わりました。
最後は自分でも思いも寄らない形で、自分の 手で終わりの幕を引いてしまいましたが、今考えてみても、「しょうがなかったんだ。」とし か言いようがありません。
言い訳だ、と思って下さっても構いませんが、結局最後まで「日本 とアメリカのバスケットのスタイルの違い」に悩み続けました。
去年1シーズンを経験し、今 年世界選手権で充分手応えをつかんで、今年こそは、と乗り込んできたこのシーズンでした。 何か違う形で打開策が見えるかもしれない、と、毎日藁にもすがる思いであれこれ私なりに手 を尽くしてはみましたが、結局、「私自身のプレー」が表現できる土俵で戦うことが、今、私 が一番したいことだ、と気づきました。
もちろんアメリカが今なおバスケットの世界最高峰で ある以上、日本人の私のプレーがそこで通用しなかったということでがっかりなさった方も多 いかもしれません。やっぱり日本人はだめなのか、とお思いになる方もいるでしょう。また、 シーズン全てを全うしないことを選択した私に対し、不甲斐ない、というご意見も多数あると 思います。
でも、敢えて私の見解を述べさせていただくなら「アメリカ のバスケットが全て じゃない。」ということです。負け惜しみ、と取られても構いません。どう解釈されても結構 ですが、私はアメリカから「逃げた」のではなく、自分で自分の環境を選択しただけだ、と思 っています。
「頑張ってみたけど、やっぱりアメリカは合わなかったよ。」……ただそれだけ のことだ、と思っています。
今回のこの日記では、去年の反省も踏まえて、かなり私の本音に 近い部分で書かせていただきました。最後まで読んで下さって本当にありがとうございまし た。
それから、たくさんのご声援を、本当に本当にありがとうございました。私の不注意で日 本IBMさんにお借りしているこのパソコンを通信不可能状態にしてしまい、なかなかこの日 記がアップせず皆さんにご迷惑をおかけしたことを最後にこの場を借りてお詫びしたいと思い ます。
本当にありがとうございました。 萩原 美樹子
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