2005.10.27
女子アジア選手権を振り返る1

東アジア大会の展望の前に、6月に行われた女子FIBAアジア選手権のおさらいから。
■強化の怠慢が招いた最悪の事態
日本はアジアで4位となり、世界選手権の切符を逃した。5大会ぶり、実に20年ぶりのことである。
世界の中で体格面で劣る日本は、これまで試行錯誤しながら“日本独自”の戦い方を築いてきた。それが96年アトランタ五輪で完成した『脚力と体力を生かしたタイトなディフェンスと走力』、『精巧なシュート力(特に3ポイントシュート)』を生かしたトランジション・バスケットボール。さらには、『大型選手に対する守り方、リバウンドの取り方、ボックスアウトのしかた、確実に決めるフリースロー(アトランタ五輪では確率は世界一)』など細部に及んだ緻密な技術が生命線にもなった。その試行錯誤を身をもって実戦してきた選手たちの“経験”が、世界の檜舞台で生かされてきたのだ。
そして世界で実績を残した選手たちが次々と引退を表明。浜口典子、大山妙子、楠田香穂里といったこれまで日本を支えてきた大きな財産たちがアテネ五輪で代表キャリアの最終章を迎えたことで、日本の女子バスケット界は、一時代に区切りがつけられていた。攻防の起点となるセンター浜口とガードの楠田、精神的要だった大山が抜けた今、得点パターンもメンバー構成も見直す時期に来たのだ。
しかし、その後の強化は周知の通り。アテネ五輪での10位という結果を見れば、五輪後すぐに動かなくてはならなかったのに、強化方針を見出せず、ヘッドコーチも決まらないまま、暫定ヘッドコーチでFIBAアジア選手権に臨むことになった。わずか1か月半という短い強化期間では、新たな主軸の確立も日本特有の緻密なシステムも引き継ぐことはできなかったのだ。
そんな中でスタッフや選手たちは精一杯やったと思うが、急造チームゆえ、荒ヘッドコーチが用いたJALの十八番である「エイトクロス」(スクリーンを多用し、空いたスペースを利用して攻めるフォーメーション)システムは機能するまでに至らなかった。荒ヘッドコーチは「能力のない日本には有効」だとしてスクリーンプレイを多用したのだが、選手たちはその緻密なシステムに慣れることができず、意識しすぎるあまり個々の持ち味が出せなかったのだ。
それでも、セミファイナルの韓国戦からようやく戦う姿勢が出てきた日本は、勝負をかけた3位決定戦のチャイニーズ・タイペイ戦にて秘策を出した。タイペイのエースで攻撃の起点であるチェン・ウェイチュアン(171㎝)に、178㎝の石川をマッチアップ。三木と大神の攻撃的な2ガードを起用してゲームの流れを創り、秘策のゾーンを繰り出した。持てるものは全部出し、4Q残り5分には2点差まで迫った。だが、62-73で敗れてしまった……。

大会が終わったからこそ言えることなのだが、この大会で日本の敵となっていたのは、3決で争ったチャイニーズ・タイペイでも、中国や韓国といったアジアの強豪でもなかった。選手たちは「自分たちのバスケットの形」を探し求めてもがき苦しみ、自身が身を置く日本代表と格闘しているかのようにも見えた。選手たちの中にも「何がなんでも世界へ!」という心構えがあったかといえば、そこまでのモチベーションに持っていけなかったということも現実としてあった。この状況では「アジア4位」という結果は当然の成り行きだったと言わざるを得なかった。
しかし、急造チームでこれだけやれたのだから、もっと万全の体制で臨めれば、最低でも世界選手権の切符を取れたのではないか、という思いが強く残ったことも事実。
榊原、三谷、石川ら初選出組は時間がなかったにも関わらず、通用する部分が随所にあった。この3人はもっと早くから経験を積ませたかった。エースの矢野はエイトクロスの呪縛からか最後までうまく噛み合わなかったが、矢野が生きる得点システムを築けないことにも問題があった。江口は移籍問題があったため遅れて強化合宿に参加したり、川畑が大会中にケガをして手術のために途中帰国したり…。万全にはほど遠い状態。これで結果を出せというのが無理というものだ。
世界選手権に出られないという憂き目と責任を中国で戦った“現場”の人間だけが背負ってしまったような、バスケットファンの誰にもさらされることなく闇に葬られてしまったような…。
「強化を怠れば結果は出ない」ということを、いみじくも立証してしまった残酷な大会、それが2005年のFIBAアジア選手権。このバスケット界が犯した重大な事実を、せめてこの場、このコラムからでも認識してほしい。そして、これらの反省から這い上がっていかなければならないのが、東アジア大会を含めた今後の強化なのだ。





