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月バスTOPICS

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2019/03/13

今週の逸足『PUMA X XLARGE SUEDE CLASSIC』

 だがフレイジャー引退後のプーマは、たびたびNBA選手にアプローチしてはフェイドアウト、という歴史を繰り返す。1984年には前年の新人王ラルフ・サンプソン(当時ロケッツ)のシューズを鳴り物入りで発売したが、サンプソンのケガもあり、十分な成果のないまま1988年に契約終了。1989年には絶頂期だったアイザイア・トーマス(当時ピストンズ)と5年契約を締結したものの、わずか1年で破棄(トーマスはその後アシックスと契約)。1991年にはセドリック・セバロス(当時サンズ)モデルとしてディスクシステム搭載の『ホーカス・ポーカス(※セバロスの目隠しダンクの名前)』を発売しているが、これも成功とは言い難い。
 
 1998年にヴィンス・カーター(当時ラプターズ)と結んだ10年契約は、プーマにとっては“黒歴史”だろう。ドラフト指名直後にカーターと契約したプーマは、さっそく彼のルーキーシーズンにシグニチャーモデル『ヴィンザニティ』をリリース。だがカーターはほどなくシューズの履き心地や契約条件に不満を漏らしはじめ、両者の関係は悪化してゆく。カーターは2000年のスラムダンクコンテストにAND1の『タイチ』を着用して出場し優勝すると、裁判の末、自ら賠償金を支払ってまでプーマとの契約を解消。シドニー五輪ではナイキ『ショックス』を履いて躍動した。このころプーマは、買収した会社の権利を引き継ぐ形でいくつかのNBAチームのユニフォームサプライヤーも務めているが、これも2年間で撤退している。フェアに言えば、この時期は同郷のアディダスも決してNBAで成功していたとは言えない。当時はそれだけ米国ブランド、とりわけナイキ(とジョーダンブランド)が圧倒的だったということだ。 〈続きを読む


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