月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2017.10.16

【B.STARS Vol.5-②】富樫勇樹(千葉ジェッツ)

疾風(はやて)のような167cm! 富樫が創り出すアップテンポな展開を見逃すな!!   千葉ジェッツ#2/167cm/PG/1993年7月30日生まれ/モントロス・クリスチャン高  

    ケビン・デュラントも輩出した アメリカの高校へ留学    そうして日本一の座を射止めた富樫には、様々なバスケット名門高校からの誘いが来たが、富樫が選んだのは渡米しワシントンDC郊外にあるモントロス・クリスチャン高校(ケビン・デュラントの出身校)に通うこと。中学時代から「将来はプロのバスケットボール選手としてやっていきたい」という希望を持っていた富樫は、「将来的にNBAに挑戦するかどうかは別として、これから英語を覚えておけばプラスなことがいっぱいある」と考えたのだ。    そのモントロス・クリスチャン高では1年時(2009年)からロスター入りし活躍していた富樫だが、「“違和感”を感じながらプレイしていた」という。というのも、24秒バイオレーションがなかったのだ。後日、富樫は当時のことを「24秒バイオレーションがなく、シュートを打たなくてよかったんです。となると、セットオフェンスをやっても、うまくいかなければもう一回ボールを戻して確率の高いシュートが打てるところまで打たなかったり、チャンスのあるところでしか打たなかったり。別に自分のシュートの確率が低いとは思わなかったのですが、正直その頃は自分が打つんだったらビッグマンに入れたり外のシューターにノーマークで打たせたり、そういう選択肢のほうがいいと思っていたので」と振り返っている。“シュートも打てる得点力のあるガード”としてプレイしていた富樫にとって、高いレベルでプレイできた高校3年間はムダではなかったが、フィットしない状況でもあったのだ。    そうして高校3年間をアメリカで過ごした富樫だったが、卒業後は帰国し秋田ノーザンハピネッツ入りする。富樫自身はアメリカの大学進学を希望し、実際にNCAA1部のチームから誘いも受けていたのだが「全額援助の奨学金をもらえなかったので、『自分はその程度のレベルなんだな』と思って、日本に戻ってきたんです」と言う。     秋田でガードながら 得点を取るスタイルを確立    しかし、帰国してプロとして歩み始めたのは正解だったかもしれない(2012年)。というのも、秋田の中村和雄ヘッドコーチから「毎試合30点取る気で試合しろ」と言われたのだ。「最初はアメリカの癖が抜けずに、打てるところで打たずにパスしてしまう場面が多くて。そのときに、カズさんから『シュート力がないわけではないから、狙えるところはどんどん打て』と言われて。そこからだいぶ意識が変わりました」という富樫は、本来の持ち味を取り戻していく。    また当時のチームメイトが、富樫が自身のスタイルを確立するためにサポートしてくれたのも大きい。そのときのことを富樫は、「最初は本当にピック&ロールも全然分からずにやっていました。でも秋田1年目には、アンソニー・ケントというセンターの選手と一緒に半年間やらせてもらって、彼にはすごく助けられました。ガードはこういう風にするんだ、というのをいろいろ聞きながら。また2年目のときにはチェイス・マクファーランドにもすごくアドバイスをもらって。二人ともアメリカの大学の経験だったり、Dリーグ(NBAの下部組織/現Gリーグ)の経験がすごくあるので、アメリカの基準みたいなものを自分に伝えてくれて、それはすごく成長できたなと思います」と振り返っている。   (つづく)   ▼月刊バスケットボール編集部員が語る“富樫勇樹”のここに注目!! https://sports.mb.softbank.jp/vod/player/14757  

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