月刊バスケットボール6月号

Bリーグ

2017.11.10

【B.STARS Vol.10-④】田臥勇太(栃木ブレックス)

高校9冠・日本人初のNBA選手・ Bリーグ元年優勝と20年以上、日本バスケ界の顔として君臨!   栃木ブレックス#0/173cm/PG/1980年10月5日生まれ/ブリガムヤング大ハワイ校  

    日本人初のNBAプレーヤー として開幕戦でデビュー    その結果、田臥が下したのが、大学を途中で辞めて帰国し、JBLのトヨタ自動車アルバルクに入るという決断だった(2002年)。当時トヨタを率いていた小野秀二コーチの元であれば『バスケットに専念できる』と考えたのだ。するとその年、田臥は新人王を獲得し、オールスターにもファン投票1位で選ばれるまでになる。    こうしてコートで自分のプレーを表現することの楽しさを改めて確認した田臥は、バスケットボールの最高峰NBAに挑戦することを決意する。そのため、1年でJBLに別れを告げ、2003年に再び渡米。すると、サマーリーグやマイナーリーグで活躍する田臥の姿がフェニックス・サンズのヘッドコーチの目に留まり、2004年9月7日にフェニックス・サンズと契約。11月3日の開幕戦で日本人初のNBAプレーヤーとしてデビューを飾り、4Q残り10分からの出場で7点、1アシストを記録したのだ。    その後、12月18日に解雇となるも、2005年9月にはロサンゼルス・クリッパーズと契約。ここではシーズン前に解雇となったが、その後も再びNBAの舞台に立つべく、サマーリーグやマイナーリーグなどでプレーを続け、再びNBAに挑戦する機会をうかがっていた。    だが、一向にNBAチームから声がかからなかったこともあり、渡米して6年が経った2008年に帰国。能代工高時代の恩師、加藤三彦コーチ率いるリンク栃木ブレックスに入団すると、翌2009‐10シーズンはチームを優勝に導いた。    その後、チームは優勝から遠ざかっていたのだが、冒頭に記したように、記念すべきBリーグ開幕年で優勝。田臥が名実共に“持っている”プレーヤーなのは、間違いない。   (つづく)   ▼月刊バスケットボール編集部員が語る“田臥勇太”のここに注目!! https://sports.mb.softbank.jp/vod/player/14717  

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