月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2017.10.26

【B.STARS Vol.8-①】熊谷尚也&藤髙宗一郎(大阪エヴェッサ)

国内屈指のダンカーコンビは 個人技で新天地をわかせる!   【熊谷尚也】 大阪エヴェッサ#27/195cm/SF・PF/1990年11月16日生まれ/日本体育大【藤髙宗一郎】大阪エヴェッサ#3/190cm/SF/1991年10月11日生まれ/関西大  

熊谷尚也(大阪)     無名だった学生時代 大学での成長が転機に    Bリーグにおいて、ダンクで会場をわかせる日本人選手は非常に稀な存在だ。日本人のダンクは、身体能力が高く手足の長い外国籍選手に比べると、どうしてもインパクトに欠けてしまう。そもそも、ダンク自体できる選手が少ないのが現状だ。    そんな中、外国籍選手にも劣らないダイナミックなダンクを見せるのが熊谷尚也、藤髙宗一郎。今シーズンは、その2人がそろって大阪に加入した。互いに20歳代後半と中堅で、今が旬の選手。新天地での活躍が期待される。    そんな2人だが、学生時代はともに全国的には無名の存在だった。熊谷は、バスケ王国・福岡の出身だが、強豪校ではなかったため全国とは無縁。当時から身長は高かったが、ミニバスでも中学でも福岡市内の大会で敗れ、高校もバスケ部ができたばかりの九州産業大付属九州産業高に進学したこともあり、県大会の早い回戦で敗退。そうしたことを考えると、熊谷自身も含め、今の活躍を想像していた者は1人もいないだろう。    転機が訪れたのは、日本体育大へ進学してから。下級生時は体調不良もあって思いどおりのプレーができていなかったが、3年生になってからチームの浮上とともに熊谷も台頭。身体能力と生かしたダンクと3番と4番をこなせるオールラウンドなプレーで、チームの関東1部リーグ昇格に貢献した。  

熊谷尚也(日本体育大時代)    そもそも大学に進学する予定がなかった熊谷は、他校の指導者を頼りに日体大に進学した経緯がある。高校までの実績を考えると、熊谷自身「関東の強豪への進学は憧れでした」と言うのは無理もなく、入学当時はそれほど期待される存在ではなかった。だが、“ダンク”という武器が、状況を変えるキッカケとなったのだ。熊谷の持ち味になっているそのダンクだが、初めて成功させたのは高校2年生の冬。「ジャンプ力が付いたと感じるようになったのはその頃です。何度もチャレンジして、跳べるようになりました」と言う。    そのダンクを含めた身体能力の高さを高校在学中に生かすことはできなかったが、日体大に進学して以降、開花。熊谷にとって初めてといえるトップレベルの中で、他選手との競争で揉まれ、体作りにも励んだことが吉と出て、ダンクの威力はさらに増し、ほかのスキルも飛躍的に向上。4年時にはキャプテンを務め、大学生日本代表にあたる李相佰杯日韓学生競技大会のメンバーに選出されるまでになる。そして卒業後は栃木へ入団と、大学入学以降、すさまじい成長を見せ階段を駆け上がっていったのだ。   (つづく)   ▼月刊バスケットボール編集部員が語る“熊谷尚也&藤髙宗一郎”のここに注目!! https://sports.mb.softbank.jp/vod/player/15074  

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