月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2017.10.05

【B.STARS Vol.1】田中大貴(アルバルク東京)

華麗なプレイで魅せる

日本が誇るユーティリティープレイヤー!

 

アルバルク東京#24/192cm/SG/1991年9月3日生まれ/東海大

 

 

 

長崎から日本代表へ

挫折を経て世代を代表する選手に

 

 大学3年生で日本代表に初選出されて以来、日本に欠かせない選手になっている田中大貴。大学卒業後に加入したA東京でも3年を経てエースへと成長し、リーグ内でも“名門”と言われるクラブを引っ張る存在だ。

 

 そんな田中がバスケットを始めたのは、小学2年生のとき。その後、身長180cmとなった小浜中時代は、現在同様ボール運びから得点までこなすオールラウンドなプレイでチームを県1位に導く活躍を見せる。しかし、全国中学校大会(全中)の出場権を懸けた九州大会ではレベルの高い争いに敗れ、またジュニアオールスターでは長崎代表に選出されていたが、ここでも予選敗退に終わっていた。

 

 全国区へはあと一歩届かなかったこともあり他県の強豪高校からの勧誘は少なく、結局、地元の長崎西高に進学。しかし、ここで身長が190cm近くまで伸びた田中は、その才能をさらに開花させる。特に鋭いドライブに磨きがかかり1年時から得点源として活躍すると、2007年のウインターカップで全国デビュー。2回戦で東海大菅生に敗れたものの、チーム最多タイの17得点を記録した。

 

 このあたりから「長崎西の田中」として徐々にその名を知られるようになるが、押しも押されぬ全国区になったのは、2年時。インターハイとウインターカップでチームをベスト16に導いたことで、その存在を確固たるものにしたのだ。特にウインターカップでは洛南高の比江島慎(三河#6)と対戦し、引けを取らないプレイを披露した。

 

 そんな田中の成長を支えたのが、1年時までの監督で田中の恩師である後藤慶太氏。田中を「日本代表選手に育てる」と熱心に指導し、田中もそれに応えつつ自主練習も怠らなかった。その結果、全国区の選手へとのし上がったのだ。

 

 一方で、キャプテンとなった3年時はインターハイに出場できず、「一時はバスケットを辞めようと思った」と言うほどの挫折を経験。今でも苦い経験として記憶に残る出来事だ。それでも、その後立ち直り、ウインターカップに出場。その高校最後の大会では、1試合平均31.67得点、9リバウンドと「さすが」と言える獅子奮迅の活躍で、前年同様、チームをベスト16まで引き上げた。

 

長崎西高時代

 

 その後、進学した東海大でも1年時からスタートとして試合に出場。下級生時は勝負どころで弱い部分はあったが、3年時に念願だった日本代表に選出されると、心身ともにさらに躍進。同年のインカレでは、ライバルであった比江島との対決を制し、チームを6年ぶりの日本一に導いた。すると翌年も連覇を果たし、自身も2年連続のMVPを獲得。

 

 結果的に華やかな大学4年間となったが、それはなかなか勝てず苦しんだ高校3年間の積み重ねがあったからこそ。ちなみに東海大、A東京、日本代表で着用してきた背番号「24」は長崎西高の「にし(24)」が由来。大きく成長を遂げ、挫折も経験した高校時代を忘れないため、今もこの背番号を背負っているのだ。

 

さらなる成長の糧になった

日本代表からの落選

 

 インカレ連覇と2年連続MVPを引っさげ、2014年2月、アーリーエントリーでトヨタ東京(現A東京)に入団した田中。合流当初こそ出場時間は限られたが、シーズン終盤やプレイオフで存在感を発揮すると、翌年は中心選手としてNBL2014−15シーズンの新人王を獲得している。

 

 その後、順調にキャリアを積むと思われていた田中だが、3年目を前にしたオフシーズン、「思っていなかった」(田中)ことが起きてしまう。日本代表として初めて臨んだオリンピック世界最終予選でメンバーから落選したのだ。2013年から毎年選出され幅広い活躍を見せていたが、少々インパクトに欠けていたのは確か。加えて2シーズン目のパフォーマンス、前年のアジア選手権で思うような活躍ができなかったことも落選の原因になったと推測できるが、田中自身にも「選ばれるだろうと思っていました」という慢心があった。そして落選という結果を受けて、「悔しいというよりは情けないという気持ちでした。恥ずかしさもありました」と田中。気持ちの整理には時間を要したが、それでも「自分で自分の価値を下げてしまった分、自分で取り戻してやるという気持ち。これをいい機会だと考えています。これからは、インパクトを残すことができる選手になりたい」と、B.LEAGUE初年度のシーズンに臨むこととなる。

 

 そして琉球との歴史的開幕戦、クラブのエースとして期待どおりのプレイを見せた田中は、その後オールスターに選ばれるなど名実共にリーグの顔となり、スタッツ面でも日本人3位となる13.2得点を記録。チームはチャンピオンシップセミファイナルで川崎に敗れたが、シーズンを通して高いレベルのプレイを見せた田中は「個人として成長できたシーズンでした」と振り返る。ただ“インパクト”の部分では「もっとレベルアップをして、もっとインパクトを残すことができる選手になりたい」と自身のパフォーマンスには満足していない。

 

 振り返れば、こうした向上心の高さが、これまでも田中を突き動かしてきた。全国トップの日の目を見られなかった中高時代も、比江島という大きな壁が立ちふさがっていた大学時代も、日本代表落選を経験したときも、その度に「さらにうまくなりたい」という気持ちが芽生え、練習や試合に臨んできた。B.LEAGUE2年目を迎える今シーズンも、現状に満足することなく、我々に“インパクト”の強いプレイを見せてくれるはずだ。

 

 

 

大型補強で臨む2ndシーズン

リーダーシップを発揮して王者へ

 

 1年目はシーズン中盤に外国籍選手の入れ替えを行った影響で、しっかりとかみ合わなかったA東京。それを踏まえ今シーズンは、小学生時に日本でプレイした経験があり、カンザス大でスタートを務めた#9ランデン・ルーカス、キャバリアーズでレブロン・ジェームズとプレイした#31ジャワッド・ウィリアムズ、同じくキャバリアーズに在籍していた#53アレックス・カークと、実績のある3人の外国籍選手を加えた。3選手ともにフォワード~インサイドの選手で、昨シーズンはインサイドで強みを出せなかった分、#10ザック・バランスキー、#15竹内譲次も含めてインサイドがチームの武器になりそうだ。また日本人選手では、ガードの#1小島元基と#3安藤誓哉、現役大学生ながら日本代表にも名を連ねる#6馬場雄大と、ガードからセンターまで全ポジションに厚みを加えることに。名門クラブとしての“本気度”が伝わってくるような補強となった。

 

 そして指揮官には、男子日本代表で暫定ヘッドコーチを務めたルカ・パビチェヴィッチヘッドコーチが就任。パビチェヴィッチヘッドコーチが掲げるピック&ロールを主体としたオフェンスにシフトチェンジする可能性はあるが、外国籍選手はもちろん、日本人選手の全員が日本代表候補経験者で、実績とバスケットIQの高い選手がそろっている。その中で軸となる田中も、「コーチが考えているバスケットは日本代表でやっている分、ほかの選手よりも分かっています」とチームの先頭に立つ覚悟は十分だ。

 

 それでも、馬場が21歳、小島とルーカスが23歳、安藤が25歳と、新加入に若い選手が多いためチームケミストリーは課題となる。田中は「4年目ですし、試合に出ている身としてはリーダーシップも執らなければいけません。そういう意味では一つ上のステップにいくためのチャレンジのシーズンになります」と並々ならぬ闘志を燃やしている。そんなリーダーに導かれるように、“本気”でタイトル獲得を目指す名門クラブが、優勝戦線の先頭を走ることは間違いない。

 

▼月刊バスケットボール編集部員が語る“田中大貴”のここに注目!!

https://sports.mb.softbank.jp/vod/player/14331?rc=cf_featured_basketball

 



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